祝祭三日目の朝と夢と日中。風邪引いた。

 祝祭、三日目の朝。


「頭、痛い……」


 まずい。風邪を引いたみたいだ。


 そういえば長く引きこもっているから、体力がなかった。あと気力もないし、忍耐もない。だから私は毛布に包まってぐったりとベッドで寝込む。


 昨晩は軽く涼むだけのつもりだった。だから、まさかあんなことになるとは思いもせず、薄着で外に出たのがよくなかったのだ。


 城壁最上部の通路は風通し良く、イエルに部屋まで送ってもらったときには、体がすっかり冷え切っていた。


 想定外に長居することになった結果が今というわけだ。


 頭に毛布を被って頭痛に耐える。


 さっきまで執事長のオウルが心配して部屋の中をうろうろしていたのを、私は薬湯を淹れてきてくれと言って、他にもいくつか用事を頼んで部屋から出した。


 あんまりずっと近くにいると、オウルに風邪をうつしそうだ。


 暫く戻ってくるなよと思いながら、ゴロゴロと落ちつきなく寝返りを打っているうちに、先に飲んでいた薬が効いてきた。頭痛が治ってきたのはよかったけれど、今度は代わりに眠気に襲われる。


 そういえば、風邪を引くなんて何年ぶりだ?


 普段からほとんど人と会わないのでうつされることもないし、部屋から出ないから体が冷えることもほぼない。それが──安全圏から出たのは久しぶりだった。


「熱い……」


 熱のある額に手の甲を当てて、天井を見る。


 あのときは確か、両親が出かけて城を留守にしていて、イエルが看病してくれたんだっけ。


 熱で潤んだ目を、テーブルの上に置いてある水晶球にやる。


 ……皆どうしてるかな。


 昨晩イエルに部屋まで送ってもらった後、私は祝祭でも仕事をしている団員たちに菓子を届けるよう、オウルに指示を出した。


 イエルにも昨晩助けてもらった礼も兼ねて、好物をいくつか届けさせたが、反応は聞いていない。


 聞く前に寝てしまったし、起きたら熱でダウンしていたしで、そんな余裕はなかったからだ。


 しかし水晶球で団員の様子を遠見するには体力がもたない。


 熱のせいで頭がボーッとする。汗だくになりながら暫くそうしていたら、うとうとと寝そうになる。まだ色々と考えていたいのに、いつの間にか眠りに落ちていた。



☆☆☆



 これは夢だろうか? 風邪のせいで頭がボーッとしていて、現実と夢の区別がつかない。


 目の前には懐かしい、十代の頃のイエルがいた。


 イエルのきめ細かい肌にはまだ傷が少なく、はち切れんばかりの若さを象徴している未熟な色艶が残る。


 儚さの漂う金髪碧眼の麗しい容姿に、まだ仕上がっていない肉体はスラリとしていて、少年から青年へ変化する途中のようだ。


 まだ騎士団に入隊する前のイエルだった。城にもよくいてくれたし、この頃のイエルのことはよく覚えている。


 やっぱり私は昔のことを夢に見ているらしい。


 これは、当時十三歳の私がイエルが十八歳の成人を迎える日の前日の夜、通算五十七回目の最後の告白をしてこっぴどく振られた。その翌日の昼間の出来事だ。


 実はイエルに告白して振られた翌日、私は風邪で寝込んでいた。


 ちなみにこの頃は、まだ私は尊敬する兄への口調が抜けていない。純粋な少年だった。


『げほっ、ごほごほっ。もういいですから、イエルは部屋に帰ってください』

『両親が不在の間は俺がお前の保護者だ。大人しくしていろ。それと、あまり喋るな。早く寝ろ』

『あのですね……げほっ、それができたら、ごほっ、苦労しませんよ。ごほっ』


 咳のし過ぎで喉も腹も痛い。それに神経が興奮していて眠れない。


 淡々とイエルの返事を聞いてはいたが、あの後、告白した中庭でぼうっと突っ立っていて、そのうち雨が降り出してもかまわずそのままでいたら見事に風邪を引いてしまったのだ。


 イエルは雨の中突っ立っていた愚かな弟を看病するため、部屋にやってきたのだ。もちろん理由など聞かれなかったが、なんて気の利かない男だ。


 高熱で汗だくになり、ベッドにぐったりと横になりながら、私はやれやれと内心溜息を吐く。


 イエルはベッドの横に持ってきた椅子に座り、手元にある書物に目を通している。サイドテーブルには私の薬の他に二人分の飲み水も置いてある。このままずっと隣で看病するつもりのようだ。本当に両親が帰ってくるまで、てこでも動きそうにない。


 でもどうにかしてイエルを部屋から出したい。


 ……ああそうだ。これなら上手くいくかも?


『はあ、では治す方法を一つ試してみてますか? げほっ』


 イエルが書物から目を離した。


『何を試す気だ? 薬ならさっき飲んだばかりだろう』


 看病している割りには面倒くさそうな顔でこちらに目をやり返答をするイエルに、私はにっこり笑って述べる。


『ええ、ですが風邪は、げほっ、誰かにうつせば治るって言いますよ?』


 これも薬の効果か、話しているうちに少し咳がおさまってきた。トントンと軽く唇を指先でつつく。


 風邪が良し悪しの判断を鈍らせた。酒の勢いでとは聞いたことがあるけれど、風邪を引いた勢いで病気にかこつけていったい私は何をやっているんだか。


 イエルがエメラルドグリーンを思わせる青緑の美しい瞳で「何を言っているんだコイツは」とでも言うように、相変わらず冷めた雰囲気でジッと私を見ているしで……


 今思えば恥ずかしいことをした。それも振られた腹いせに挑発するなんてと、後悔しかない。


 対するイエルは、昔から綺麗だった。


 今は体格もすっかり大人の男として仕上がっているけれど、昔も今も変わらず無駄口をあまり叩かない。


 すごむまでもなく、その雰囲気で相手を落ち着かせてしまう。そんな子供だった。


 相手にしてもらえないのを寂しく感じながら、お喋りはここまでにする。


『冗談ですよ。そもそも風邪を引いたらイエルは大事な騎士団にも通えませんよね。だからそんな呆れた顔で見ないでください』


 正式な入隊はまだだったが、見習い騎士として、イエルはもう仕事を請け負っていた。


 ベッドにぐったりとしながら、目をつぶり、投げやりに言う。もう頭痛は治っていたけれど、視界を遮るように額を手の甲で押さえる。


 これでさすがにイエルも自室に帰るだろう。


 暫くして『わかった』と返答があった。イエルがガタッと椅子を立つ音が聞こえて、少し涙目になる。


 いかないでほしい。


 部屋に帰れと言ったのは自分なのに、いなくなると少し寂しくなるなんて、矛盾している。


 潮時を見て引き揚げるイエルの足音が遠のくのを想像して目を閉じていたら──何故かそばに気配を感じて、目を開ける。


 イエルは立ち去るでもなく、すぐ横に立っていて、こちらを見下ろしていた。


『イエル? すみません。あの、今言ったことは忘れてください。ちゃんと正攻法で治しますから、だから……』


 無言だと、イエルは顔が整っているだけに何を考えているんだかわからなくて──怖い。あと気に触ることならいいまくった自覚はあるので、動揺にしどろもどろになる。


 私が一通りの言い訳を並べ立て終わると、それまで静かに眺めていたイエルが少し前かがみに手を伸ばしてくる。


 額にかかる私の汗で濡れてペタリとした前髪を丁寧に払う。


『イエル? いったい何を……──っ!』


 話している間にコツンと額に額を当てられた。


 びっくりし過ぎて、大きく目を見開いたまま、息が止まる。


 間近で目を合わせ、何が起こったのか呆然としていると──イエルが口を開いた。


『まだかなり高いな』

『え、あ、熱?』


 キスじゃなくて、熱を測られたのか。若干残念な声を漏らすと、イエルは額を離した。そしてあやすような口調で嘆息される。


『良い子だから大人しくしてろ。それと言われたとおりうつされてやるから、さっさと寝ろ』

『それってどういう意味ですか?』


 思わず期待して聞き返す。キスしてくれるのかと思ったら、イエルはしっかりしていた。


『この部屋にいるだけで十分うつる』

『つまり出ていかないってことですね』

『そうなるな。そもそも熱を測られたくらいでビクついているのにキスなんて百年早い』

『…………はい』


 見抜かれていた。身持ちが固いイエルは、その後も椅子に座り直すと、私の部屋で看病を続けた。


 次の日、私の高熱は下がったが、今度はイエルがしっかり風邪を引いて騎士団の仕事は休んだ。



☆☆☆



 イエルがまたあんなふうに顔を近づけてきたら、こちらからキスしてやるぞ。そうだ。今だったら出来るぞ、多分。


 とか、寝ぼけて無謀で無駄に威勢の良いことを考えながら、私は目を覚ました。


 私が寝ている間にオウルは戻っていたらしい。ベッド横のサイドテーブルには薬湯が置かれている。


 振り子時計を見ると、時刻は午後の三時を示していた。まだ明るい時刻に目が覚めたのに少し安心する。


 朝から寝だおして八時間は立つ。まだ体が怠くて重いけれど、少し楽になった。額に手を当てると、熱もだいぶ下がっていた。


 オウルの姿は見えないから、そのまま仕事に戻ったのだろう。


 ……はあ、いつもなら室内かテラスで出される三時のティータイムの時間だが、これではティータイムどころではないな。


 体は汗でしっとり濡れていて、着替えも必要だった。


 私は上体を起こすと、とりあえずサイドテーブルに置かれている薬湯を飲んだ。


「苦い……でも、甘い?」


 小さい頃から、オウルが入れる薬湯はいつも苦くて不味い。でも効果てきめんで、まさに良薬は口に苦しなのだが……この薬湯には砂糖が入っていた。


 苦い薬もそのまま飲むのが習慣のゼノンでは、医師も使用人たちも薬湯に砂糖は入れない。


 私が好きなだけ苦いと文句を言えて、それを聞き入れて薬湯に砂糖を入れて出す人間は、限られていた。

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