~祝祭の過ごし方~

祝祭一日目の夜。包帯を替える。

 イエルの帰還から一日目の夜。私は彼の部屋を訪れていた。


 城主の帰還に賑わう城内からは、騎士たちの祝杯にわく声と、リュートの舞曲が流れている。


 帰還の祝祭は三日間続くのが伝統だが、今回は半年後に開催される精霊祭の予行演習も兼ねていて、二十二日間続くらしい。なかには一ヶ月から一年続くものもあるので、まだ比較的短い方だ。


 ちなみに何故二十二日間なのかというと、元々他の大陸にいた精霊がこの地にやってきてから移住を決めるまでの期間が二十二日だったのにちなんでいる。というのが一般的だが、


 他には人間の頭蓋骨を形成する二十三個の骨のうち、精霊は舌骨を持たず人の言葉を話さないことから、二十二は精霊の数字とされている説からきているとも言われている。


 といっても、精霊がこの地を訪れたのは千年も昔のことだ。真偽の程は定かではない。


 だから精霊祭で行われる行事は、この地の名産や習慣を大々的にアプローチして、精霊に今後もこの地を守護し留まってもらえるよう祈る期間でもある。


 普段から他国との交流が盛んで多くの人がゼノンの地を訪れているが、祝祭の開かれている期間は格別だ。ゼノンの町には活気が満ち溢れ、夜間問わず、人々が行き交うこととなる。


 祝祭で出会って結婚したなどはよくある話だが、私はイエルに告白した前夜祭を最後に、以降は祝祭に参加しなくなった。


 一緒に祝える友人もいないし、祝祭に共に行くような相手もいない。あのときのことを思い出す祝祭は、なるべく避けていたら参加しないのが普通と、周りからも認識されるようになった。


 ここまでくれば、変に気を遣われなくてある意味楽だ。それに、色恋にはもう興味はない。


 以前に振られている私は、一歩下がって距離を取り、弟として振る舞っている。はずが──


 何故こうなった?


 祝祭一日目の夜、イエルの部屋を訪れた私の目の前には彼がいた。


 ここはイエルの部屋なのだから、本人がいるのは当然だろう。そこに文句はない。


 だが、格好が問題だった。


 イエルは脱いだ上着をソファーの背もたれに置いて、上半身を剥き出しに、腰掛けていたのだ。それも、書類に目を通している。


 くっ、ノックをしたら「どうぞ」と気軽に答えてきたから、こちらも何の身構えもなく入ってしまったではないか!


 おそらくイエルもいつもの使用人か医師だと思ったのだろう。


 イエルと距離を空けてからは、彼の部屋を訪ねたのは数えるほどしかない。だからイエルも油断していたらしい。書類から顔を上げると、キョトンとした。


「お前何しに来たんだ?」


 ごもっともな問いかけだが、それは今、私が一番自分に聞きたい。


 先ほど、何やら使用人たちが慌ただしくしていたので執事長のオウルに聞いたところ。帰還した騎士たちの治療を行っていた医師が体調を崩しているとかで、その上祝祭で人手が足りないと聞いて「手を貸そうか?」と申し出たところ、では薬だけイエルに渡して欲しいとオウルから頼まれた。


 まあ渡すだけならイエルもそう悪くは捉えないだろうし、いいか。そんな軽い気持ちでやってきたのだが……


「これはこれはゼトス様! 兄上の部屋に訪ねていらっしゃるとは珍しいですな。なにかありましたか?」


 どうやら診察中に、私は入ってしまったようだ。診察の合間に、イエルは仕事をしていただけらしい。


 部屋の奥から、執事長のオウルの弟のオウリが、新しい包帯を手に出てきた。


 オウリは城の専属医師で、部屋の奥にある大テーブルに置いた診察道具を取りに行っていたようだ。


「オウリ、君は確かギックリ腰で具合が優れないとオウルから聞いてきたのだが」


 具合の悪い医師が診察しているとはどういうことだ?


「具合ですか? いえ、そのようなことは何も私は言っておりませんが……」

「言っていない?」


 オウリが首を傾げる。しかし私が手に持つ薬瓶を見て、何やら閃いたような顔をした。ポンッと手を叩く。お前、今いったい何を閃いた?


「おお! そう言えばそうでした! 私は具合が優れないので誰か代わりの者を寄越して欲しいとオウルに連絡していたのを、すっかり忘れておりました。いやぁー年には勝てませんなあ」

「は? 年ってお前まだ四十代半ばだろう。それにオウリ……ギックリ腰はそんなに動いて平気なのか?」

「ん? あ! そうでしたね! 私はギックリ腰でしたっ! アイタタタタタタタ。ではすみませんが、代わりをお願いいたします。手当は済んでおりますので、後は包帯を巻くだけです。オーイタタタタタタタタ。これは酷い。今すぐに急いで休まなくては!」

「ちょっ!? オウリ!?」


 ギックリ腰で何故腹を押さえて痛がっているのか。それも、早口にあれこれ説明してからオウリはかなり素早い動きで唖然としている私の前を横切ると、部屋を出て行った。


「…………いったい、何なんだ?」


 古い血の付いた包帯ごと、診察道具を大急ぎで抱えて出ていったオウリの早口の説明によると、こうらしい。


 戦いから帰還したイエルの血にまみれた体を拭き、戦いの傷を負った体を綺麗にして、手当てをするのが使用人と医師の役割だ。


 しかしイエルは帰還してからも、休まず動いていたらしい。


 使用からそこそこな時間が経過した、イエルの体に巻かれている包帯からは、血がにじんでいて、包帯も少し外れかけていた。そのため、新しい包帯に替えるついでに、傷の具合も見ていたらしい。


 サイドテーブルに置かれている、新しい清潔な包帯にチラリと目をやる。


 確かに体は清潔にされていて、手当は終わっているが、これからそれを使う予定なのは明らかだ。


 オウルは薬を渡すだけといっていたが、はかられた。どう見ても薬を渡すだけでは十分ではなさそうだ。


 替えの包帯を巻く必要がある。


 少しの間を空けてから、イエルは静かな様子で口を開く。


「どうやらオウルとオウリの二人に担がれたようだな」

「…………」


 言葉もない。


 ショック療法のつもりか?


 普段からオウルは私たちの兄弟仲を危惧していた。気を利かせたようだが、互いに立ちすくんでいるこの状況は……。


 はあ、今さら他の使用人を呼びに行くのもなんだし、たまにはいいか。


 実際、使用人たちが祝祭の準備で忙しいのは事実だ。それに、騎士ともなると遠征で仲間の裸など見慣れているだろうし、私が手伝ってもイエルは気にしないだろう。


 入室したときに聞いたイエルの問いに答えるべく、こちらも口を開く。


「そんなに驚かなくてもいいだろ。専任の医師が今日は体調が悪いとかでこられないとオウルが言うから、一番時間を持て余している私が代わりにきただけだ。終わったらすぐに帰るよ」


 今ではすっかり慣れて、気にする素振りすらないけれど。以前は私の口調が随分と小生意気になったのを、イエルは最初、目をパチクリして聞いていた。


 それにしても……珍しいな。この人があんな驚くなんて。


 先ほどのキョトン顔を思い出す。


「そうか、ありがたい申し出だが、あとは包帯を替えるだけだ。他の者に任せるからお前は戻っていい」


 そう言われても、怪我人を放っていくのは目覚めに悪い。


「ゼトス?」


 無言でサイドテーブルから包帯を取ると、イエルの言うことに構わず近づいて、そして──あまりの傷の多さに驚いた。


 血なまぐさい光景も、イエルの戦いをたまに水晶球で覗き見ていたから、多少は見慣れているはずが……


 声を失って硬直していると、イエルに「どうした? 無理はしなくていい」とさらりと言われた。


 お前には無理だと言われているような気がして、「平気だ」とこちらは冷たく告げる。


 大切な人が傷付いているのを前にして、冷静になどしていられるものか。


 少しムキになってしまったけれど、慣れない手つきで私が包帯を巻き始めるのを、イエルは大人しくソファーに座って見ていたが、やがて口を開いた。


「……血は苦手ではなかったか?」


 気まずい気持ちも雰囲気もたいして気にしていない振りをして、淡々と包帯を巻く。


 遠征からの出迎えと見送りのときにしか、私は姿を現さなくなったけれど、イエルは私と会うときは必ず相手をしてくれる。今でもイエルは私の過去と、これまでのことを気遣っているのかもしれない。


「まったく、こんなに無茶をして」


 巻き終わった途端、文句を言うと、クスリと笑われた。


「戦闘で無茶をするなと言われてもな」


 ごもっともだが、強いのだからもう少し怪我をしないように他にやりようがあるだろうがと、こんな傷を見せられたら、そんな知ったかぶりの一般論の一つも言いたくなる。もちろん、空論と実際は違うのはわかっているけれど。


「薬は予備で置いていくぞ? いつ怪我をするか、わかったものじゃないからな」


 サイドテーブルに薬入りの瓶を置くと、「わかった」と素直に返される。


 こちらを見るイエルは、血まみれで帰ってきたときの、闘志が滲む厳しい城主の顔と違って、とても穏やかな顔をしていた。弟を見守る、優しい兄の顔だ。


「手当は終わったし、これからまた他の団員たちと酒など飲むのだろう? 傷に障るから程々にしておけよ」


 言うと、私は挨拶もせずに自室へ戻ろうときびすを返す。長居は無用だ。イエルは忙しい。大切な時間を奪いたくはなかった。

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