007_魔物の因子-2

 将聖の授業は続いていた。

 俺が寝ている間に将聖が受けた、フォーリミナのレクチャーの内容の共有である。

 俺は「神々がイザナリアに失望し、イザナリアを作った『創造主』自身の手によって滅ぼされようとしている」という話の続きを聞いていた。

「でも、フォーリミナはイザナリアの滅亡を回避しようとしている。」

「……そ、そりゃ神だったらできるだろうさ。むしろ神の力で、一気にちょちょいとやっちまったほうが、早くないか?」

「ま、氷河期以上の何かを使って完全にリセットすればな。それ以上に干渉することは許されないんだから。でも、それなら魔王がやっていることと同じだろ?」

 そうだね……、と俺は力なく答えるしかなかった。頭のいい奴はこれだから、時々ついていけなくなる。「完全にリセット」とかいう台詞セリフを、どうしてそう無造作に思いつき、口にできるのだろう。

 フォーリミナはイザナリアの管理を新たに任された神だった。要するに、押し付けられたのだ。フォーリミナはまだ進化の途中にある神で、世界を創造する能力に目覚めてはおらず、「見守るべき世界」も持っていなかったからである。

 フォーリミナに与えられたのは、イザナリアが滅びていくのを「ただ見届けるだけ」という仕事だった。その頃すでに、イザナリアは魔王の出現により荒廃し、滅亡したも同然の状態だったせいもある。人々も彼女の「子供たち」ではない。その上イザナリアのネイティブたちは、「加護」で魔力を高めようとすると「魔人化」してしまうのだ。どこまでも、どこまでも、思い通りにならない世界だった。

 しかし、それでもフォーリミナはイザナリアを救おうとした。どうにかしてイザナリアを存続させ、人々にも進化のチャンスを与えたいと考えたのである。

 そして少なくとも、「魔王による絶滅」だけは回避が可能だった。

 何故なら、敵が明らかだからである。しかも、ただ一人。

 そう思った彼女が選んだ手段が「地球世界アルウィンディアからの引き抜き」だった。

 直接の干渉が許されず、また、創造の能力も十分ではない彼女が魔王に対抗しうる存在を手に入れるためには、一からの創造ではない「転生」と、加護を与えるための「再構築」が、とり得る最後の手段であったのだ。

 そして、その対象として「『優秀』と評価されている地球世界アルウィンディアの人間の死者」を使うことを、フォーリミナは選んだのである。

 絶滅を遅らせて、その間に、人々に魔法と魔力について考えさせる。

 イザナリアについて学ばせ、自分たちについて学ばせ、自分たちの中にある「魔物の因子」について知らしめた上でなお、神に向かって進化させる。

 自分たちの力で、滅亡を回避させる。

 可能性は、決してゼロではない。

 こんな女神に選ばれて、将聖は転生した。一度死んで、生まれ変わった。だから将聖は「加護持ち」というわけだ。「再構築」を経て、強い肉体と、まだ明らかではないが何らかのチートスキルという「加護」を得たわけである。

 同時に俺という足手まといの「呪い」も受けてしまったわけだが。

 俺は溜息をついた。

 聞けば聞くほど、フォーリミナという女神が、将聖のような苦労性の男を選んだ理由が分かってしまう。おそらくフォーリミナと将聖は似ているのだ。将聖の困っている奴を見ると放っておけない性分は、フォーリミナと相通じるものがあるのだろう。

 「世界の均衡を正す」とかいう大役を与えられて震えあがっていた将聖が、今落ち着いているのも、(神にこんな言葉が当てはまるかどうかは疑問だが)お人好しすぎるフォーリミナの庇護欲や救済願望に「共感してしまった」せいなんだろう。

 本当にクソだ。クソ真面目な男なんだ。将聖って奴は。

 それにしても。

 俺は気になって、将聖に尋ねた。

「なあ。待てよ。イザナリアに来た転生者って、魔王の出現のために呼び寄せられた『勇者』ってことだよな。でも、今までその転生者って、一人どころじゃなくいたようなことをさっき言っていなかったか? それはどういうことなんだ? まだ魔王は倒されていないのか?」

「何度も倒されているんだよ。同じ魔王が。」

 将聖は言った。

「さっきも言ったけど、魔王イズナーグはイザナリアを創った『創造主』なんだ。フォーリミナであっても、完全に消滅させることはできない。倒しても、倒しても、何度でも復活する。そのたびに勇者が選ばれ、イザナリアに送り込まれるんだ。」

「……倒せるのか?」

 俺の声が上ずった。敵が「元イザナリアを作った創造主」なんて、まさに「神殺し」じゃないか。

「倒すのさ。」

 将聖の声は静かだった。

「初代魔王を倒すために、転生した『勇者』は九人だったそうだ。最初の勇者が死ぬと、フォーリミナはその死体の一部と、新たな転生者の死体を使って『再構築』を行い、次の勇者にその戦いの記憶と魔法などの能力を引き継がせたそうだ。そうやって短期間で勇者を進化させて、魔王を滅ぼしたんだ。『始まりの勇者』の九人の名前は、今も歌い継がれて残っているそうだけど、その中でも一番先に転生した勇者は、歴代の勇者の中で最も弱く、最も偉大な勇者とされている。……そういう人がいたんだな。俺たちの世界に。」

 記録に残されている、最も偉大な勇者の名前は「サトー」だと聞いて、俺は黙り込んだ。フォーリミナも、将聖にそれ以上は教えようとしなかったらしい。

 確か、日本人の中で、一番か二番目くらいに多い苗字だったはずだ。

 この、ただの普通の「佐藤さん」は、どうやって魔王に立ち向かったのだろう。

 どこでどう、その勇気を持ち得てその使命を受け入れ、全うしたんだろう。

「心配するな。俺の役目は魔王と対決することじゃないから。」

 知らないうちに、俺の手は将聖の手をつかんでいたらしい。この三日間、ずっと支えてもらっていたせいか、手を握ることに何の抵抗も感じていなかった。

 うう、何かちょっと恥ずかしい。

 だが、将聖はそんな俺の手を反対の手でぽんぽんと叩いただけで、振りほどいたりはしなかった。

 「見るなの禁忌タブー」も忘れて俺を振り返ると、笑顔になる。口角だけ持ち上がった、『バットマン』のジョーカーみたいな表情かおだった。

「フォーリミナが言うには、最後にイザナリアに現れた勇者の死体が見つからないんだそうだ。最後の勇者だった人はとても優しい人だったそうだけど、イザナリアで辛いことがたくさんありすぎて、死ぬ直前にどこかに身を隠してしまったらしい。フォーリミナは残念がっていたけれど、その勇者の気持ちは理解できると言っていた。……俺の役目は佐藤さんと一緒なんだよ。俺の遺伝子に『魔物の因子』は含まれていないから、俺がイザナリアで生きて、死んだら、俺の体を『再構築』に使いたいんだそうだ。今はまだ、最後の魔王が倒されてから百二十年しか経っていなくて、あと三百八十年は復活する心配もないそうだし、俺がやるべきことは、時々魔物狩りをして経験値を上げとけばいいだけなんだ。……だから、優希も手伝ってよ。」

 まだ硬い笑顔のまま、将聖は言った。

「じゃあ、話を振り出しに戻すんだが、『俺たちが異世界から来たことを隠す』っていうのはどういう意味なんだ?」

 俺はまだ否とも応とも答えかねて、質問で逃げた。

「俺たちは『勇者じゃない』から。」

 将聖は答えた。

「イザナリアに転生したのは、今のところ勇者しかいない。勇者の記録は残っているから、『転生者イコール勇者』という認識はイザナリアに浸透している。俺たちが転生者だと知れたら、人々は俺たちを勇者だと思っちまうし、魔王が復活したと勘違いするだろ。勇者として勝手に祭り上げられた後、いつまでも魔王が現れなかったら、今度は詐欺師扱いされて拷問されたり殺されたりしかねない。だから、隠しておけってさ。」

 将聖はフォーリミナから指定された「俺たちの設定」を俺に教えてくれた。

 一応、攻略するのは魔物らしいのだが、「キャラクター設定」なんてものがあるんじゃ、まるで『転スラ』じゃなくて、本当に乙女ゲームの悪役令嬢みたいだ。

 このところ、イザナリアのパワーバランスは魔物のほうへ傾いているらしく、将聖が「再構築」されたのは、それらの魔物を倒して「均衡を正す」ために仕方のないことらしい。だが、それにしても将聖の「再構築」の材料が俺の体というのは、実はどうやらちょっと気の毒な話らしかった。

 最後の勇者は第四十三代目に当たる。

 それに対して、出現した魔王の数はまだ十四人。

 「再構築」を繰り返して同じ魔王を倒しているなら、時代が下るほど勇者はとてつもなく強くなっているはずで、魔王など簡単にひねり潰せそうなものなのだが、実際には一人の魔王を倒すために、平均して三人の勇者が必要だったということになる。

 これは、魔王も進化していることを意味している。五百年おきに復活するたびに、単体で「再構築」して強くなっているのだ。

 あとたった三百八十年の間に、フォーリミナは転生者を進化させて、第十五代魔王に対抗できる勇者を育てなければならない。だから厳選して、将聖を転生者に選んだ。

 だが多分、将聖を選ぶだけでタイムアウトだったと思われる。一緒に連れて来ることができたのは、同時に死んだ俺の体だけだったのだ。

 地球世界アルウィンディアの神も、五分と言わず、もっと長く選ばせてやればよかったのに。

 そうしたら、将聖の「再構築」の素材には、もう少しマッチョで体術に優れたいい死人が見つかったかもしれない。

 それにあいつだって、ただの「素材」の命乞いをした挙句、こんなに大きな負い目を背負う羽目にもならずに済んだかもしれないのに。

「優希。俺、勇者じゃなくて、ただのパンピーだから。こんな知らない世界で大それたことをするつもりはないし、実際できるとも思ってないし。」

 将聖の声は、不自然なほど明るかった。

「はっきり言って、普通に生きていけるかどうかだって分からないだろ? だからまあ、せいぜい長生きできるように頑張ってみるわ。」

 将聖は俺に全身を向けた。後ろ向きで歩きながら、まっすぐに俺を見て、言う。

「……だけど、俺、フォーリミナに協力してみようと思う。魔物狩りの経験値、上げるだけでいいっていうなら。優希も協力してよ。」

 将聖は気楽そうに笑って見せた。精一杯、何気ない風を装っている。

 だが、将聖の声には、何か腹を決めたような響きがあった。

 やっぱりな。

 お前ならそうすると、分かっていたんだ。

 将聖。お前は勇者じゃない。

 だが、お前は勇者を目指す。きっと、勇者になる。

「手伝う気は、ねえよ。」

 俺は憮然ぶぜんとして答えた。

「フォーリミナの理由は分かったし、もしお前がフォーリミナを助けたいと思うんなら、それはそれでいいと思う。でも俺はフォーリミナが許せねえ。てめえの都合を押し付けるだけならまだしも、こんなひでえことする権利あんのか? 俺があいつに何かしたのか? 俺は生きたまま地獄に落ちたわ。俺は絶対に、絶対に協力しない。」

 言いながら、気を付けていたのに俺の声はひび割れてしまった。

 ああ。また将聖を傷付けてしまう。そんなつもりじゃなかったのに。

「……いいよ。優希は優希の好きなようにしたらいい。」

 思い出したように、将聖は俺から顔を背けた。そのままぷつりと黙り込んでしまい、また俺の手を引いてどんどん森の中を進んでいく。

 俺は将聖に気付かれないように涙を拭った。なのに、将聖は前を向いたまま、ポケットから綺麗なハンカチを取り出して、後ろ手に俺に差し出した。


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