006_魔物の因子-1

 俺が目を開くと、周囲は霧に覆われていた。四日目の朝だった。

 東の空はやや白んでいるが、まだ薄暗い。今俺たちがいるのは日本より緯度の高い場所なのだろう、可照時間が短くて、朝になっても暗かった。

 俺は体の具合と熾火おきびの残り具合から時間を推し量って、大体四時間は眠ったことを知った。気温が急激に下がって、目が覚めたものらしい。

「ん…。」

 将聖はまだ眠っている。俺をかばいながら歩いているのでずっと疲れるのだろう。昨夜も遅くまで火の世話をしていた。寒さから守るために、俺を焚火と自分の体の間に入れるようにして横たわっている。またワイシャツ姿だった。将聖のブレザーは俺の体を包んでいる。あいつの腕とワイシャツの袖が俺の背後から伸びて、ブレザーの上から何となく俺の体に回されているので、俺は身動きができずにいた。

 でも将聖が寒そうだ。もう少し火をおこしてやりたい。

 俺は将聖の腕を持ち上げて、その下から何とか脱出しようと試みた。

「どこへ逃げる気だ?」

 硬い、しゃがれた声がした。俺がびくりとして振り返ると、大きく開いた将聖の目と、目が合った。

「逃げるって、何だよ。」

 思わず身を引くように体を起こすと、将聖の手が痛いくらい強く俺の肩をつかんだ。

「逃げるって、どこへだよ。どこにも逃げようがねえだろ。」

 俺はひるんで震えそうになる声を抑えるために、腹に力を込めた。将聖がなんか変だ。

「冷えるから火ぃ熾したいんだよっ。手ぇ放せよっ。それから、俺見んな!」

 俺は肩をつかむ将聖の腕を振りほどくと、ブレザーをつかんで、あいつの顔に乱暴に被せた。

 将聖は俺に振り払われて、簡単に地面に伸びた。頭からブレザーを被って、大の字になったまま動かない。

 地面が冷たくないのかよ。

「優希。あのさあ…。」

 将聖が、ブレザーの下からぽつりと言った。

「自殺なんか、止めてくれよ。」

 泣きそうな、かすれた声だった。

「俺、お前の言うこと何でも聞くから。俺にできることなら何でもするから。自殺だけは、止めてくれ。」

「…えんでもねえこと、言うんじゃねえよっ。」

 俺は将聖の脇腹を膝で蹴飛ばした。

 朝っぱらから、何辛気臭しんきくせえこと言ってんだ。ムカつくわ。

 俺は今日一日、将聖と口を利かないことに決めた。



「じゃあ人間が、自分たちに都合よく魔法で生き物を弄繰いじくり回したせいで、魔物モンスターが生まれたってことか。」

「そうらしい。俺たちの世界じゃ、狂犬病ウイルスや赤痢菌なんて、危なすぎて生物兵器にだって使うのは禁じられているのに、ろくすっぽ知識も持たないで、自分たちでそれ作っちまったらおしまいだろ。」

「信じられねえ話だな。」

 俺たちは、昨日の話の続きをしながら森を歩いていた。体が慣れてきたのか、今日の俺はあまり眩暈めまいもしなくなったし、大分速く歩けるようになっていた。将聖も、四六時中俺の面倒を見なくてもよくなったので、解放感を見せて軽々と隣を歩いている。

 俺は、今日は将聖とは絶対口を利かないつもりでいたのに、結局話しかけてしまった。自分で歩けるようになり、自由に動き回れるようになったせいで、この森で初めて目覚めてからずっとやりたかったことを、どうしてもやってみたくなったのだ。

 俺は近くにある一番細い巨大樹の幹に取り付いて、将聖と一緒に腕を回した。やっぱり片手が将聖の手には届かなかった。デカい。とにかくデカい。

「デケぇ。やっぱ、すげえデケぇわ。」

 俺が満足したように笑うと、将聖もようやく笑顔になった。

 このクソ野郎。俺が笑うのをずっと待っていたのか。

 俺は将聖に根負けしてしまって、あいつが時々俺の顔を探るように見ても、気付かないふりをしていた。これまでも、将聖は俺に悟られないようにしながら、ずっと俺の様子を伺っていたのだろう。昨日までの三日間、俺が最悪の気分で森を歩き、運命を呪い、自分自身に嫌悪しながら眠りについたことを全部感じ取っていたようだった。

 その結果が、今朝のあの発言か。

 おかげで、今日の俺はやたらハイになっている。俺が明るい顔をしていないと、将聖はうつ病になってしまいそうだ。

 ありがたいことに、今日になってもまだ腹が空かない。

 フォーリミナは俺たちが人里にたどり着くまでの間の体力などを、地上に下す前に調整してくれていたらしい。

 そしてこの巨大樹の森に入って四日目になって、ついに俺たちは転生先ワールドのテンプレらしい光景を目にしたのだった。

 魔物との遭遇である。

 将聖が、いち早くその存在に気付いた。まだ大分距離があるのにその気配を察知して、俺を下生えが密生している場所へ隠すと、蛇のように音もたてずに様子をうかがいに走っていった。

「見たいか?」

 帰ってくると、将聖は気持ちを察したように俺の手を取って、俺を少し離れた巨大樹の根の陰へ連れて行った。曲がりくねって盛り上がったそれは、俺と将聖を二人ともすっぽりと隠してまだ余裕があった。

 俺たちは五十メートルほど離れた高所から、魔物を見下ろした。

 うわ。気持ち悪い。

 俺は将聖の隣でビクリと身震いした。

 見た感じは、ただの大きなムカデみたいだった。離れているせいか、それが規格外にデカいことは、さほど気にならない。

 むしろ、そのあまりにも凶暴に荒れ狂う様子に俺はぞっとした。

 ――なんだろう。この異様な感じは。

 言葉で表現するのが難しかった。それはあまりにも自然を逸脱しすぎているように思えたのだ。

 そこはまるで蟲毒こどくの壺の中のようだった。三体の大ムカデがぐるぐると這いまわり、取り囲むようにしてダンゴムシに似た魔物を襲っている。バスケットボールほどの大きさがあるダンゴムシも、地面の穴から次々と這いだしてきては大ムカデの足に食いついていた。

 うじゃうじゃとうごめく、その様子だけでも醜怪だ。

 加えてどちらも、生き物としての何かのタガが外れてしまっている。それが目に見えて分かってしまい、吐き気を感じて俺は口元を押さえた。

 大ムカデに似た化け物は、その力強い顎でダンゴムシの硬そうな外殻を破り、次々と殺していった。ダンゴムシの体がえぐられ、黒っぽい体液があふれ出す。

 大ムカデはその体液を「チュッ」と吸い上げただけだった。後は死骸に見向きもせずに、次の獲物を襲い始める。打ち捨てられたダンゴムシの山は、すでに周辺に高く積み上がっていた。

 大ムカデはすでに満腹であると思われた。その腹は肥大化し、甲殻の隙間から脂汗のような体液が流れて全身がテラテラと光っている。むしろ膨れた腹のせいで動きが鈍重になり、ダンゴムシに反撃のチャンスを与えているように思われるのに、襲うことを止めようとはしない。

 対抗するダンゴムシも負けてはいなかった。大ムカデの弱点と思われる脚を食い破り、やはり体液を欲してかその傷口に吸い付いている。気持ち悪いのは、大ムカデの包囲網から逃れることができたダンゴムシが、反撃に手を貸しもせず、周囲の仲間の死骸をぐちょぐちょと咀嚼している姿だった。咀嚼してぐずぐずになったものから何かも搾り取り、残ったカスをぺっと周囲に吐き散らしている。

 そんなことをしているうちに、共食いのダンゴムシの腹も肥大化していった。足が地面につかなくなり、自由に動けなくなるまで続けているのだから大概だと思う。腹の膨れたダンゴムシが足をばたつかせて暴れていると、反動で転がり始め、ころころと回転しながらその場を離れて行った。

 こんなものが、共食いによる絶滅を避けるための、魔物の世界の摂理なのだろうか。

「……っ!」

 俺は悲鳴を上げそうになるのを、何とか飲み込んでこらえた。突然一体の大ムカデが、一番腹の膨れた大ムカデに襲いかかり、その腹に食いついたからだった。

 チィイイイイイッ。

 チィイイイイイッ。

 腹の膨れた大ムカデは反撃しようと身を反らしたが、反対側からもう一体の大ムカデに食いつかれて動きを封じられてしまった。それでも抵抗するように全身をバタつかせていたが、最初の大ムカデが食いついた腹を引き裂くと、奇妙な鳴き声を最後に、地面に倒れ伏す。

 左右の大ムカデは争うように仲間の腹に顔を突っ込んだ。数匹のダンゴムシもそれに倣う。

「うっ……!」

 信じられないものを目撃して、俺は思わず声をあげそうになった。

 不意に一体のダンゴムシの体が弾け飛んだのだ。全身膨れ上がり、一列に並んだ足をばたつかせながら、大ムカデの腹に吸い付いていた奴である。

 左右の大ムカデが何かしたようには見えなかった。「今のはもしや……」と目を凝らす俺の前で、今度は大ムカデの脚に食いついていた一体の腹が、内側から弾けて体液を撒き散らした。

 ――こいつらの体は、一体どういう造りになっているんだ?

 俺は初めて目にするその光景に、ただ戸惑いと嫌悪と恐怖を覚えるばかりだった。

 彼らが獲物の体液を欲しがっているのは分かったが、すでにその摂取量は限界を超えている。吸うのと同じぐらいの量を口から溢れさせている者もいる。

 それでも目の前にあるそれを飲み込もうとせずにはいられないらしいのだ。

 しかしその結果、その体があんな風になってしまうということなどあり得るのだろうか。まるで空気を入れ過ぎた風船だ。生物の体がそんな風になってしまうなど、聞いたこともない。

 だがそれ以前の問題として、そんなことになる前に、自分を止めることさえもできないのだろうかと俺は思った。

 俺は張り詰めた大ムカデの腹に目をやった。残りの二体も、そのうち自分でその腹を吹き飛ばしてしまいそうだ。

 本当に蟲毒こどくの壺の中のように、最後の一匹になるまでこの争いは続くかと思われたのだが、しばらくしてようやく、一体の大ムカデがその場に背を向けた。動けなくなる前に、残りの一体の大ムカデから距離を取ろうとしているのが分かる。

「……も、もう、いいよ。行こう……。」

 俺が低く囁くと、将聖もうなずいて、手を取って俺を立ち上がらせた。

 将聖の説明によると、魔物はほかの魔物や人間を含めた動物を襲い、血肉を食らうが、本当に求めるのはその肉ではなく、それらの生き物の中に内在している「魔法粒子イリューン」なのだそうだ。だが魔物が欲する「魔法粒子イリューン」の量は、ほかの生物の比ではない。

 生きるために食料として求めるのではない。ただそれに飢えるから求めるのだという。つまり、生存に必要な量は確保できても、決して満たされることがないというのだ。

 飢え続け、それを奪うための力を欲して、さらに求める。

 だから、共食いも辞さない。

 要するに、魔物とは「『魔法粒子イリューン』を貪欲に吸収すること」だけを生きる目的とし、「種の存続」も「食物連鎖に立脚した個体数のバランス」も無視した超常的な「生命体」なのである。

「本当に…。」

 俺はかすれた声で囁いた。

「限界まで喰い尽くすまで止まらないんだな。」

「イザナリアの『魔物』は、何千万年も前にこの地上に存在した、より文明の進んだ人類が戦争のために生物を作り替えて作ったものだけど。」

 言いながら、将聖も表情を歪めていた。

「いったん世に現れると、勝手にどんどん姿形を変えて、次々と増殖していったらしい。もう誰にも止められなかったそうだ。」

 俺は日本で問題になっていた外来種の生き物のことを思い出した。有名なところではブラックバスやカミツキガメなどだ。釣りを楽しむため、またはペットとして人間が海外から連れてきたものであるが、あれも一度放流・遺棄されると、広範囲に拡散していき、誰にも止めることができなかった。

 ……生命の力とはそういうものなんだろう。たとえどんなに歪んだ存在であろうとも、一度生まれたら増殖し、繁殖し、進化でも変異でも何でも行って、生き残ろうとする。

 そうして現在、イザナリアに生まれた者たちは、動物から植物に至るまで、遺伝子の中に「魔物の因子」を持つことになってしまったのだそうだ。ごく普通の昆虫やミミズが、よどんだ「魔法粒子イリューン」の吹き溜まりにさらされてピラニアのような食肉イナゴになったり、ヒュドラのような多頭を持つ巨大なワームになったり、ということが日常的に起こるようになってしまった。イザナリアから「魔物の因子」を駆逐くちくするには、それこそ岩の中に封じ込められて氷河期をも乗り越える、微生物さえもが死滅するような「完全な絶滅」を経なければならないという。

「じゃあ、もしかして、人間も……?」

「うん。イザナリアでは、人間も例外じゃない。」

 人間も、遺伝子に「魔物の因子」が発芽して自滅への道が拓けた。「魔法粒子イリューン」の澱みさえあれば、人間も「魔人」となり、永遠に満たされない「魔法粒子イリューン」への飢餓に陥る。そのあとは理性も感情も失い、自分以外のあらゆるものへ襲い掛かる、パニック映画のゾンビのような存在になるのだそうだ。

 こうしてイザナリアは、人類という種だけでも三度の滅亡を体験したのだという。

 三度も滅亡されたら、見守っているほうもかなりうんざりするのではないだろうか。

 神々はイザナリアに失望した。

「もうイザナリアは『創造主たち』に見捨てられてる。」

 将聖は淡々と言った。

「最悪なのは、イザナリアの魔王は、イザナリアを作った『創造主』のなれの果てだってことだ。」

「どういうことだよ、そりゃ。」

「もうイザナリアから神が生まれることはない。そう絶望して、自分の手で滅ぼそうとしているのさ。」

 将聖がフォーリミナから聞かされた話では、ほかの「創造主たち」も、それに対して見て見ぬふりをしているらしい。すでにイザナリアは救済対象ですらなく、むしろ早急に滅ぶべきだとさえ考えられているというのだ。

 あんまり話が壮大すぎて俺も将聖もピンと来ないでいるのだが、俺たちは本来、イザナリアに転生させられたことに絶望すべきなのだ。乙女ゲームの悪役令嬢に転生した奴だって破滅フラグの回避に奔走しているというのに、俺達にはほぼそれが不可能だからだ。俺たちの前に立ちはだかる死亡フラグは天地創造レベルで、ちょっとやそっとでへし折れるものではないらしい。

 ――実感が湧かなくて良かった。

 そう俺が思っていると、将聖がさくりと言った。

「ま、あと五十億年もすれば、地球も太陽に飲み込まれて消失するけどな。」


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