004_イザナリア-1

 俺と将聖は巨大樹の森を、南西に向かって歩いていた。

 あの女神(フォーリミナという名だそうだ)が、地上に着いたらその方向を目指すようにと将聖に指示したからだ。上天気の日で、これほど巨大な樹木が密生しているというのに、陽光が隙間から差し込んで下生えを明るく照らしている。こんな状況でなかったら、俺たちは日本では決してお目にかかれないような雄大な風景を楽しみながら、ハイキングを満喫できただろう。

 だが、先行きの不安な俺たちは、ただひたすら道を急いだ。元の世界でも球技大会が終わって、二学期末の定期考査試験の準備が始まるころだったから、季節はほぼ同じ晩秋の頃合いで、天気は良くても空気は肌寒かった。

 俺は将聖の腕にすがって歩いていた。

 俺が目覚めてから、今日で三日目になる。今朝になっても、俺の手足はうまく動かなかった。だがこれはあの初日よりはずいぶんましなほうで、出発した日の朝はもっとひどかった。将聖が手を貸して立ち上がらせてくれたが、俺は全身がぶるぶると震えて、しばらくは足を踏み出すことも思うようにできなかったのだ。

 俺はいまだにまだ少し眩暈めまいもして、何度も足をもつれさせた。でも以前よりも身長差が開いた将聖は、俺が体重をかけて寄りかかってもビクともしなかった。

 おんぶするか、というあいつの申し出に、俺は聞こえなかったふりをした。

 ずいぶんと歩いた気がする。

 俺がなかなか前へ進めなくて、休み休み歩いたことには違いないのだが、丸二日歩き続ければそれなりに距離は稼げていると思う。それなのに、まだこの巨大樹の森から出ることもできない。どれだけこの森は広いんだろう。

 フォーリミナは、俺たちを転生させた直後に遭難させる気でもいたのだろうか。不思議と腹は空かなかったが、こんな大自然の真っただ中に放置するなんて、正気じゃない。

 俺がそういうと、将聖が首を振った。

「俺たちが異世界から来たことを隠しておくためだ。」

 歩きながら、将聖は話し始めた。俺が「再構築」の反動で気を失っている間に、フォーリミナからいろいろなレクチャーを受けていたらしい。

「この世界は……、イザナリアっていうらしいんだけど、これまでにも何度か俺たちの世界から転生者を呼び寄せているんだよ。」

 将聖の説明によると、イザナリアは俺たちの世界よりずっと以前に生まれ、何度も氷期や間氷期を迎えた、果てしない時を刻んだ世界であるらしい。ここに生まれた生物も様々な地質時代を経て、進化と絶滅を繰り返しているとのことだった。

 イザナリアには人類も生まれており、一度ならず巨大文明を築き上げては滅亡しているのだそうである。発展と衰退を繰り返し、大量破壊兵器によって絶滅したことさえあるのだそうだ。もうすでにイザナリアは、地球よりはるかに先を行った歴史を、遠い過去に経験してしまった世界なのである。

 とはいえ、今生きている人類はイザナリアにおいては四度目(!)に現れた人類で、地球世界(アルウィンディアと呼ばれているらしい)での中世に近い文化程度なのだそうだ。俺はそんな惑星規模の歴史を聞かされてもピンと来ず、ただ、どこまでもテンプレな転生先ワールドだと思っただけだった。

「俺たちが転生したことの理由をいうのに、進化の始まりから説明されたのか? そんなことを聞かされたからって、何になるんだよ。」

 俺はできるだけ低い、不機嫌な声で言った。

「いいから聞けって。こういった歴史をちゃんと知っといたほうが、いろんなことが理解しやすくなるんだよ。」

 将聖も低く硬い声で言う。俺のほうを見ないようにしているのは、俺がそう要求したからだ。

 今日の俺は、歩きながら会話ができるほどに今の身体からだに慣れてきていた。

 数歩も歩けば立ち止まり、呼吸を整えていた最初の頃とは明らかに馴染み具合が違う。

 しかし一昨日おとといの朝は最悪だった。イザナリアでの旅立ちの日だというのに、目覚めた時から頭が重くて目の周りが腫れ上がり、鏡を見なくても顔がむくんでいるのが分かった。もし登校していたら学級クラスの女子から笑われていたことだろう。

 だがそれは、これから始まる最悪の日々の、さらに始まりに過ぎなかったのだ。

「あの時死んでいればよかった。」

 そう思う時が来るのが、こんなに早いとは。

 だが、今俺が声を低めているのは、おそらく将聖が考えているのとは違う理由からだった。

 細くて、高い声。とても自分の声とは思えない。違和感がありすぎる。

「要するに、イザナリアでは石炭や石油のような化石燃料はほぼ使い果たされてしまっていて、すぐに使えるエネルギー資源としては、水車や風車以外は『魔法』しか残されていないっていうことなんだ。」

「クソ。チートで無双する夢が一つ絶たれたな。」

 俺はできるだけ冗談めかして言ってみたが、将聖は笑わなかった。

 フォーリミナの話によると、地球世界アルウィンディアは温暖化問題やエネルギーの枯渇の進行でかなり危うい状況にはあるけれども、まだそこに住んでいる人々はそれを合理的な方法で解決しようと努力しているため、人類としてはかなり優秀な部類にあると評価されているということだった。

 すなわち、俺たちを創った「創造主」たちから、それらの危機を克服できる可能性があると見做みなされて、期待されているということなのである。国連気候変動枠組条約締約国会議(COP)や海洋プラスチックごみの回収プロジェクト、太陽光や風力による発電などといった取り組みは、俺たちを凌駕した存在からも注目され、危機を克服することを熱望されているという話なのだった。

 ……もうなんだかそれだけで、ちょっとついていけない話である。

「神々の望みは、俺たち人類を『さらなる高みへ進化させること』なんだそうだ。」

 将聖は続けた。

「世界を作り、生命を誕生させ、成長を見守り、いつかその中から自分たちに似た者が現れるのを待つ。要するに、新しい『神』が生まれるのを待っているそうだ。」

「そんなまどろっこしいことをする必要があるのか? そいつらは『創造主』なんだろ? 新しい神なんて、必要なら自分たちで創り出せばいいじゃないか。」

 とりあえず話を合わせてそう言う俺に、将聖は首を振った。

「俺もそう思っちゃったんだけどな。『神を創造する』なんてことは、どんな存在にもできないんだそうだ。なぜなら、それが『神』だから。唯一無二の存在だから。」

 そう言われて、俺はうなずいた。多分俺は、将聖ほどにはフォーリミナの言うことを理解できていないだろうと思う。でも、俺たち人類が日々学び、努力をしながら大人になっていくように、「神」も初めから「神」であるわけではなく、長い進化の果てに生まれてくるのだと聞いて、少し納得するところがあったのだ。

 生命が生きる究極の目的が「種の存続」にあるのだとしたら、神々も、自分たちの「種の存続」を掛けて創造を繰り返しているということなのだろうか。

「だからさ、神々は今、地球世界アルウィンディアの人類に望みをかけている。俺たちの世界の人間が、種として新たな神へ進化するんじゃないかと期待しているんだ。ここまでは分かったか?」

 将聖が俺をちらりと見、俺と目が合ってしまって慌てて逸らした。

 「じろじろ見るな」と俺が言い、あいつがうつむいたまま「分かった」とうなずいたからだが、本当に約束を守ろうとしてずっと顔を背けているのが将聖らしかった。

 神々は、自分たちの創造した世界の「個々の事象」に、直接干渉することはできないのだそうだ。もちろん、設計段階で進化の方向性を決定することはできるし、そういった意味での「修正」は可能だという。例えば、牙の大きくなりすぎたサーベルタイガーに似た生物はイザナリアにも存在したらしいが、地球世界アルウィンディア同様絶滅し、今は「修正版」のユキヒョウに似た種が栄えているらしい。

 また、直接の干渉は許されなくても、生まれる前なら個々の動植物や人間に、ある種の特性を付与することはできるのだという。イザナリアでは「加護」と呼ばれている特性だ。俺たちの世界なら、長い歳月を経て神木としてまつられるようになった木とか、シャチや熊や狼などのように、人間さえも脅かすほど猛威を振るい、やがて神と呼ばれるようになった動物。天才、聖人と呼ばれる人々などがこの「加護持ち」に当たる。

 神々はこういった「加護持ち」たち、特に人間に対し「人並み優れた行いをし、人類の進化に貢献する」ことを願っているのだ。

 他にも、進化を促すための何らかの手掛かりとして「神託」を行ってみたり、「霊感インスピレーション」を与えてみたり、星々を使って未来の予兆を示してみたり、時には大嵐や旱魃などの試練を与えたりしながら、間接的な方法で、常に人類を応援し続けているという。

 まるで親が子供のために、何とか希望の進学先へ入学できるよう、受験勉強の手助けをしているようなものだ。代理受験はできないけれども、ほめたり叱ったり夜食を作ったりしながら、ずっとその努力を励まし続けているわけである。

 神々も自分の子供たちの行く末を、横槍を入れることのできないじれったさにイライラしながら、ずっと見守り続けているのだ。

 だがその「子供たち」は、必ずしも神々の望んだ通りの人生を送ってくれるわけではない。

 人は間違う。迷路に迷い込む。

 怒りに我を忘れてしまうこともあるし、我欲に理性を失ってしまうこともある。長い長い不遇の年月が、時間をかけてその精神を歪めてしまうことだってある。

 そうやって、後戻りできない道を突き進んでしまうこともあるのだ。

 イザナリアの人類も、そうだったのだという。

 もともと、イザナリアは地球世界アルウィンディアよりも「魔法粒子」が多い、恵まれた環境にある世界だった。「魔法粒子」とは、魔法を形成し発動させるためのエネルギーとなるものなのだそうだが、要するに、この世界は地球世界アルウィンディアよりも「魔力の強い世界」なのである。

(ちなみに『魔法粒子』という言葉は、将聖に理解しやすくするために『素粒子』に準じてフォーリミナが使った造語だそうだ。こっちの世界では、普通『イリューン』と呼ばれているという。日本のゲームやアニメ文化の中では『魔素』とか『ミスト』とか呼ばれているものと同じらしいが、物理に弱い俺には、いずれにせよよく分からない。)

「驚きだけどさ、俺たちが普段『魔法』とか『フォース』とか呼んでいる力って、本当は神様が使う力と同じなんだそうだ。『魔法』っていうより、『神通力』とか呼んだほうが正しいのかもな。」

 将聖は俺の手を引いて大きな倒木の上に引き上げながら言った。この森の倒木は巨大すぎて、迂回するには時間がかかりすぎるのだ。

「え? それが何で驚きなんだ?」

 俺は将聖に抱き下ろされながら聞き返した。巨大樹は乗り越えるのも一苦労で、手足がまだ十分に動かない俺は、将聖に引っ張り上げてもらった後、小さな子供のように抱き下ろしてもらわなければならなかったのだ。

「よく考えろよ。世界を創る神様と同じ力だぞ。世界を創造できるし、作り変えるし、操ることだってできるんだぞ。ちょっとこええだろ。」

「いや、だからって俺ら使えねえだろうが。」

「まあそうだけど。でも人間は、神へ進化するまでの過程の中で、この力の使い方に必然的に目覚めていくんだそうだよ?」

「でもそれって、俺たちよりもずっと未来の人類の話だろ?」

「そうでもないらしいよ。あっちでも『悟り』とか『人類の革新』って言葉があったじゃん。そういうのは何かのタイミングで、突然やってくるんだって。で、人類はいつその時が来てもいいように、その知識は事前に与えられているんだっていう話だった。現にさ、俺ら見たこともないうちから、魔法とか超能力とかの存在は知っているだろ? その手の映画とか漫画とか小説とかがいっぱいあっただろが。」

「確かに。」

 徐々に将聖の口調がいつもの調子に戻ってきて、勢い、俺の口も軽くなっていった。

 将聖は地球世界アルウィンディアにいた時も、俺に難しいニュースの話などを分かりやすく説明してくれたものだった。今も俺たちの常識とはかけ離れ過ぎて、戸惑ってしまうフォーリミナの話を、何とかかみ砕いて理解させようとしてくれている。そんなことをしているうちに、以前の距離感が戻って来たらしい。

 そして俺は、それにほっとしている自分に気が付いた。

 あいつにいつまでも遠慮されているのは、正直辛い。

 いつしか俺も、将聖の説明に真面目に付き合い始めていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る