第5話  アクシデントがなければ笑顔と優しさがデフォルト

「……栗城くん、本当にごめんなさい!!」


 目を覚ました時、仰向け状態の俺に対し笹倉は両手を揃えた正座の姿勢で頭を下げていた。


「い、いいよ……俺も誤魔化してたわけだし。笹倉は何も悪くない」

「でも、私のせいで――」


 腹にグーパンチを喰らった俺は軽い眠りについていたらしい。しかし、目を開けても返事が無かったことで相当に焦ったのだという。


 そして、頭を下げる笹倉姉を横目に、俺の口には笹倉妹の介護により柔らかい料理が運ばれている。


幸多こうたくん、美味しい?」

「……おいひいれす」


 ――といった感じで、笹倉妹による甘やかしが始まったことで笹倉姉は頭を何度も上下させているという、一触即発な光景が繰り広げられている。


 しかし笹倉妹の睨みにも迫力があるうえ、妹に逆らえない意思が働いているおかげで、笹倉姉は振り子のようにひたすら俺に頭を下げっぱなしという状況だ。


「幸多くん、あ~ん!」

「あー……んむっ」


 笹倉妹に食べさせられている中、笹倉姉は目の前で起きていることが信じられないといった表情で何度も首を左右に動かしている。


 ……大丈夫だ、俺も現実かどうか信じてない。


 ほぼ離乳食のようなものを食べ終えたところで、ようやく体を起こすことが出来た。要するに空腹で腹パンチを喰らったことによるショックだった。


「幸多くん、お茶持ってきてあげるね」


 そう言うと、笹倉妹は立ち上がって俺から離れた。


「栗城くん……青夏ちゃん――妹に何をしたんですか?」


 その隙に、笹倉は身を乗り出して俺に問いただしてきた。


 ……いや、近い近い。だがここは冷静に対処する。


「買い物に付き合ってあげた」

「いえ、そうじゃなく! どうして出会って間もない妹に下の名前で呼ばせてるのかって聞いてるんです!」

「それは俺もよく分からないな」


 笹倉は時間をかけて俺に妹を紹介したかったのだろう。


 だが、まさか家に上がり込んでいるだけじゃなく妹の手料理を口に運ばせ、おまけに下の名前で呼ばせていることに対し理解が及ばないことに腹を立てているといったところか。


 俺が目撃した笹倉の入浴後の姿は濡れ髪くらいしか思い出せないが、学校での笹倉とはまるで違う姿だったのだけは覚えている。


 それについては――


「――ほとんど覚えてないと思いますけど、ここで起きたことと私のことは忘れてください」


 ……などと、きっちり釘を刺された。


 俺にだらしないことはやめてくださいと言ったのが、丸々自分に当てはまっていることを消去したいんだろう。


「笹倉を俺の記憶から消せと?」

「違います!! そうじゃなくて……」


 流石に意地悪だったか?


「むしろ俺はいつまでも覚えておきたいんだが、駄目なのか?」

「駄目です。認めません! いくら友達だからって、こんなのはまだ……とにかく! 忘れてはいけないことだけ覚えて、それ以外は忘れてください!」


 無茶な注文だな。


「お姉ちゃん。幸多くんも反省してるんだから許してあげたら?」


 お湯を沸かしていたようで、笹倉妹が熱そうなお茶を手にして持ってきた。


「お帰り、青ちゃん」

「えへへ。ただいまです!」

「あ、青……ちゃん? 栗城くん、いま何て?」


 笹倉の妹に対する愛情が半端ないのか、俺の言葉にすぐさま反応を見せる。そして、殴るつもりは無いにしてもまたしても握り拳を作って力を込め始めている。


「あー……いや、特に深い意味はないんだけど、青夏ちゃんを呼びやすく呼んでるだけっていうか」


 色々なことが重なったせいか笹倉の心の中は多分パニック状態。無理もないことだが、笹倉妹のことだけでも許して欲しいところだ。


「そうそう、わたしが幸多くんにお願いしたんだよ」

「そ、そうなんだ……せいちゃんはズルいなぁ、もう」

「だから怒らないであげてね、お姉ちゃん」

「う、うん」


 笹倉妹の説得で、笹倉はようやく落ち着きを取り戻してくれた。


「じゃあ、ごちそうさまでした。何というか笹倉、また明日」


 体力とメンタルが回復したので、笹倉家から撤退して自分の家に戻ることにした。


「お隣さんでお友達ですから、私は大丈夫です。おやすみなさい、栗城くん。また明日」

「おやすみ」


 学校では俺に厳しさを見せている笹倉だが、アクシデントがなければ笑顔と優しさがデフォルトだ。友達という強いこだわりを持っているのを考えれば、これから先も恋愛的要素が高まっていくのは難しいかもしれない。


 中学の頃のこととはいえ、直接好きを伝えてきた相手を友達以上にしない強い意志がある女子だ。そう簡単にはいかないだろう。


「ふんっ…ふっ……!!」


 寝る前に軽く腹筋を繰り返していると、スマートフォンの通知音が鳴った。


「栗城くん。明日は一人で平気です。遅刻しないでくださいね」


 ……などというメッセージだった。


 一人で登校することが当たり前だったのに、わざわざメッセージを送ってくるなんて優しすぎるな。


 恐らく、これからは一緒に登校すること自体無いとみた。笹倉の性格的にあくまでお隣さん記念によるものだったと推測する。


 意識しているのは俺だけだったわけだ。


 誰もが知る幼馴染な関係なら少しは違うだろうけど、笹倉と俺は単なるお隣さんだから余計な気疲れをするのをやめたってことに違いない。


 笹倉のメッセージで気を引き締めたところで朝を迎えた。

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