第4話  油断を見せた彼女から拳に怒りを乗せられた

「……秋稲? 秋稲というと……笹倉秋稲しか思い浮かばないな」


 笹倉秋稲と口にした途端、目の前の少女はつぶらな瞳で無邪気に喜んでいる。つまり、この子は笹倉が宣伝していた妹ということになるわけだ。


「そういうお兄さんは幸多こうたくんで正解?」


 年下に年下扱いされるうえ下の名前で呼ばれるとは、何て新鮮な響きなんだ。笹倉と同様に長い黒髪をしているせいか、余計に新鮮みを感じる。


「そうとも言うね。それで、俺と買い物に行って欲しいの?」

「そうなんですっ。今夜はわたしが夕食当番なんだけど、結構ごろごろしたお野菜が必要だなって思っちゃったので、幸多くんに頼みたくてここにいたんです」


 俺の下校ルートは誰にも教えてないんだが、これも笹倉の策略か?


 ……というか、妹の手伝いをして欲しかったなら帰りに声をかけてくれれば良かったのに。


「まぁ、家に帰るだけだから手伝ってもいいけど。えーと、妹ちゃんの名前は……」

「わたし、青い夏と書いて青夏せいかです!」

「青い夏?」

「うんっ」


 笹倉のいない間に妹の名前をそのまま呼ぶのは気が引ける。


「じゃあ、あおちゃんを採用で」


 すでに懐いてきてるとはいえさすがに調子に乗るわけにはいかないし、ザ・妹ちゃん的な呼び名にしておく。


「青ちゃん……それ、いいかも! それならお姉ちゃんに焼かれる心配が無くなりそうです」

「何を焼かれるって?」

「そんなことより、こっちですこっち!」


 ううむ、かわされてしまったか。


 とりあえず笹倉妹の指示を素直に聞きながら食材を袋いっぱいに詰め込んで、無事に買い物を済ませることが出来た。


 家の前に着いた時、辺りは薄暗くなっていた。


「じゃ、俺は自分の家に入るから」

「あのっ、幸多くん! ついでにわたしの料理食べに来ませんか?」

「――つまり、笹倉の家にお邪魔を?」

「全然邪魔にならないのでぜひぜひ!」


 どうせこのまま家に帰っても適当飯で終わるしな。相手がいいって言ってるのを無下にするのもどうかと思うし、ここは素直に返事をしておこう。


「俺は構わないよ。でも、確か家族暮らしって聞いたけど家の人は驚いたりしない?」

「大丈夫です。家族っていうか、いつもいるのはわたしとお姉ちゃんだけなので! 親は遅くに帰ってくるので遭遇とかしないです」


 俺の親と違って家には帰ってきてるわけか。


 それなら気まずい思いをすることはないな。笹倉妹のご飯を有難く頂いてしまおう。


「それじゃ、お邪魔しようかな」

「はーい。どうぞどうぞー!」

「あ、その前に着替えだけしてきてもいいかな?」

「そうでした! 着替え終わったらノックしてください。ドアの前で待ってるので」


 ん?


 インターホンじゃ駄目なのか?


 そうして速攻で着替えを済ませ、笹倉家のドアを叩くとすぐに笹倉妹が出迎えてくれた。


「青ちゃん。インターホンは鳴らしてないの?」

「鳴ります。でも、宅配の時くらいにしてるので普段は簡単にしちゃってるんです」


 なるほど。


 笹倉妹に案内され家に入ると、おそらく笹倉姉である部屋と笹倉妹の部屋はさすがにカーテンで見えなくなっていた。それなら俺の意識は食事だけに専念出来そう。


「じゃあ幸多くん、その辺に座って待っててね」

「おっけー!」


 俺に買い物を付き合ってくれたことが嬉しかったのか、笹倉妹は腕まくりをしながらキッチンへと移動していった。


 あれだけの気合いだ。料理の腕には自信があるんだろうな。


「――ガンッ!!」


 これから出てくるであろう料理に期待しながらセミダブルソファベッドでくつろいでいると、どこかの扉が勢いよく開けられる音が響いた。


 音がしたすぐ後、ペタペタといった足音がフローリングの床から伝ってきたかと思えば、長い髪をさせたは俺がくつろぐ場所に向かってダイブしてきた。


「うおっ!? な、なんだ……?」


 ――直後、俺の鼻先をくすぐってきたのはフローラル系の香りをさせた濡れ髪だった。


「ほぇ~……疲れたぁ」


 そしてこの気の抜けた声の主は、俺が間近にいることに全く気づいていないようでだらんとした姿勢をキープしている。


 全身バスタオル姿なのは俺的に今後を考えれば幸いだったが、濡れ髪はもちろん、素肌が露わになっている時点ですぐそこに危機が迫っていることには変わりない。


 それにしたって、肌白な素足に肌白な肩回りには感嘆せざるを得ないぞ。


「は~……せいちゃん、お水ちょうだい~」

「…………(返事をしたらヤバい)」

「ねえってば~お水~!」


 快活系女子で誰もが見惚れる笹倉秋稲の欠点のようなものを目の前で見ている俺は、どうするのが正解なのか。


 とりあえず俺が出せる一番高い声で誤魔化すしかないな。


「わ、分かったよ。今持ってきます」


 声を裏返らせ、笹倉妹っぽい声を出して立ち上がろうとするが――。


「あれぇ? せいちゃん、喉痛めたの……?」


 心配されると同時に腕を掴まれた。


「――っ!?」

「うわ~ごっつい……腕? えっ?」


 くっ、バレた!


 掴んできた手の力が強まりつつあるということは、そういうことだろう。


「…………いつからそこにいたんですか、栗城くん……?」

「だ、だいぶ前です」

「どうやって私の家に侵入を……は、ひとまず置いときますけど、どこがいいですか?」

「どこ……とは?」


 俺の腕を掴んで離さない笹倉の手と、完全フリーなもう片方の手は相当な力を込めながら握り拳を作り出している。


 これはつまり制裁を受ける場所の意味に違いない。


「は、腹の辺りでお願いします……」


 これから笹倉妹の料理を食べる前に腹をやられる可能性があるが、力を入れることが出来るのは腹だけだし動きを封じられてる以上やむを得ない選択だ。


 選択をした直後、腹に力を入れるよりも先に笹倉の拳が怒りを乗せた状態で見事にクリーンヒットしていた。


 ……その後、目を覚ますまでのことは記憶になかった。

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