Paris 証言

 パリの花屋はどこも見せ方に隙がない。店内では色とりどりの花が飾られており「どう商品を美しく見せるか」と意識されているのが伝わる。

 マルセルが店内のあらゆる花に目を奪われていると、やがて約束の女性が「お待たせしました」とやってきた。薄黄色のワイシャツの袖を肘下のほうまで曲げ、黒いチノパンは余計な皺も無く下半身にフィットしている。マルセルは店内に飾られている数多の花と同様に、女性に対して品の良い第一印象を抱いた。

「どうぞ、こちらへ」

 マルセルは店内の隅に申し訳程度に設置された椅子に案内された。幸いにも店内に客はいない。ゆっくりと話が聞けそうだ。

「どうも。お電話しましたパリ警視庁のジャンヌ・マルセルと言います」

「アラベルと言います」

 一通り互いの自己紹介を済ませると2人は椅子に腰掛けた。彼女の存在に辿り着いたのはヨシムラだった。

 シャンゼリゼ通りにあるクラブ「スペード」による聞き込みで、ナスリと一時期行動を共にしていた女性がいるとわかった。同クラブは前々からドラッグの売買が行われていると睨まれていた店であり、コカの葉による麻薬の線から捜査を行っていたヨシムラの成果によるものだ。

「綺麗な花がたくさんありますね。見せ方も凝っている」

 マルセルは店内に入った感想を口にした。それは聞き込みの入り口としての会話ではなく素直に思った感想だった。

「ありがとうございます。パリには数えきれないほどの花屋がありますから。でもみんな売っている花の種類は変わらない。だから生き残るためには見せ方とか個性で勝負するしかないんです」

「厳しい世界ですね」

「ええ」

 マルセルの話が社交辞令と感じたのか、それとも早く本題に切り出して欲しいのか、心なしかアラベルの反応は良くないように感じる。それならばとマルセルは直球を投げた。

「ナスリと交際していたというのは本当ですか?」

 1秒でも早く真相解明に近づきたい。そのためにナスリの交友関係において、唯一辿り着くことが出来た存在の彼女が頼りだ。

「事実です。ほんの数ヶ月間だけですが」

「いつから交際されていたのですか」

「昨年の夏頃から彼が亡くなる直前までです」

「出会ったキッカケは何ですか」

「…」テンポ良く進んでいた会話が止まる。彼女とナスリの出会いは表立って言えるようなことではないものなのか。

「もしかしてドラッグ絡みか?」

「…はい」

「君もクスリをやっている?」

 アラベルは何も言わず、代わりに小さく頷いた。今やパリでは簡単にドラッグが手に入るし大麻に手を出す若者も多い。コカインも安く入手できる。彼女も興味本位で薬物に手を出したケースだろうか。

「ナスリの亡くなる前の行動や彼が力を入れていた活動とかはあるかね?」

「彼は大学で、ある研究について論文を書いていたけれど教授に蔑まられ、ほかの生徒の前で笑い者にされたと言っていました」

「何の研究かわかるか」

「カニバリズムと薬物使用の因果関係について」

「カニバリズム…?確かナスリは芸術大学だったような気がするが」

「芸術なんて人によって定義は様々ですから。彼にとっての芸術は共食い。同種が同種を食い尽くす。そんな美しいことは無いと度々発言していました」

「異常だな。殺された日本人の顔が抉られていた。それもナスリの仕業かね?」

「彼が事件に関係があるのなら間違いないと思います。でも彼は一種の精神異常者に見られるかもしれませんが、他人を殺せるような人間ではありません。少なくとも今回の一件については」

「どうしてそう断言できるんだ?」

「バスソルトです。彼はバスソルトも服用していました」

「何?」

 バスソルト。その存在は耳にしたことがあった。ここ10年くらいで国内でも広がっている「人喰い」の衝動に駆られるという脱法ドラッグ。バスタブで使用されているバスソルトの形を用いて広まったことからその名が付けられているが、最近は携帯用クリーナーや植物用肥料の形式で法の目を掻い潜っている厄介な代物だ。

「日本人被害者の顔を食べたのはバスソルトの作用か?」

「私はそう考えています」

 数年前にはアメリカのマイアミでホームレスの顔を食いちぎった男が警察に射殺された事件があった。彼はバスソルトの常用者とされていたが、検死の結果、バスソルトの成分は検出されなかったという。

 だが、これには一つの通説があった。バスソルトは同時に他のドラッグと服用することで、そのドラッグと化学反応を起こし「人喰い」の作用をより助長させる。そして、もう一方のドラッグに吸収消化され、身体にバスソルトの成分は残らないと言われていた。

 検死の結果、ナスリはコカインを使用していたことが既にわかっている。日常からカニバリズムというものに心酔していたナスリなら、バスソルトの使用後に「食人鬼」になっていたとしても何らおかしくない。

「それと見せたいものがあります」

 アラベルはポケットから一つの携帯電話を取り出した。

「この携帯は?」

「ナスリの携帯です」

 取り出した携帯をマルセルに差し出す。初めてみる機種、明らかに国内のものではなさそうだ。

「彼は自分が殺されると予期していたんです。自分が死んだ時、全ての証拠が隠滅されないようにと、私にこの携帯電話を預かっておけと言っていました」

「殺される?ちょっと待ってくれ。彼は歯に毒物を仕込んでの自殺だ。殺された訳ではないぞ」

「それも生前言っていました。自殺に見せかけて殺される可能性もあると…」

「彼はなぜ殺されると思っていた?」

「この電話でやり取りをしていた相手も、同じ薬物常習者でカニバリストであると言っていました」

「相手は誰だ?」

「私はその人の名前まではわかりません。知らないほうがいいとナスリから言われていました。ただ彼がその人物について2つほど教えてくれたことがあります」

「なんだね、それは?」

「一つはその人物は今から40年以上前に日本で起きた現金強奪事件の実行犯だと教えてくれました。未だ未解決になっている事件らしいです。ナスリはその事実を公表しない代わりに取引を持ちかけました」

「取引?」

「はい。警察が押収した薬物の横流しです」

「なんだって!」

「そしてもう一つ。その人物はパリ警視庁の刑事ということです」

 衝撃の事実だった。モーリスはナスリに現金強奪事件をネタに取引を持ちかけられていた。ただしナスリ自身も、それは自分が殺される危険性がはらんでいることを自覚していたということだろうか。

「彼はその事実を抱えたまま、約1年前に日本のオキナワというところに行っています。そこで若かりし頃のその刑事の写真を手に入れたんです。これです」

 アラベルは次に、胸元のポケットから一枚の写真を取り出したー。

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