Okinawa 衝動

 河村杏奈の失踪。桐谷杏奈という偽名。知事の孫娘の誘拐。そしてパリの猟奇事件と杏奈のフランス行き。状況を整理する必要がある。その為にも会うべき人物は1人しかいない。河村修一だ。

 朝8時。佐倉は河村工業敷地内の駐車場で待機し河村の出勤を待った。このいくつもの偶然とは言い難い点と点を線に結びつける為に、河村とは腹を割って話をする必要がある。

 8時15分を過ぎたあたりから続々と車が入って来た。一台一台、車が目の前を通るたびに佐倉は運転手からの視線を浴びた。日常の景色の中で見慣れない車が一台あるだけでも新鮮なのかもしれない。

 始業時刻とされる8時半ちょうどに社長の河村修一がやって来た。

「どうも」車を降りた河村に声をかける。

「貴様、今日は何をしに来た?」

「2日連続の訪問で申し訳ありませんね。あ、顔を合わせるのは3日連続か。昨日の夕方から今朝方にかけて色々とあったものでね」

「何があった?」

「それも含めて全部話します。ですからお互い腹を割って話しましょうよ」

「何を言っている。だいたい昨日は貴様が勝手に来て、私の話をまともに聞かずに自分の都合で帰って行っただろう」

「もう依頼人ではないですからね」

「随分と都合のいい人間だな」

「そうやって生きてきたので」

「帰れ。今日は大事な会議が入っているんだ」

「どんな?」

「貴様には関係ないだろう」

 河村が佐倉を振り切り社屋へ向かう。ここは一つぶっ込んでみるか。

「桐谷杏奈」

 河村が振り返る。鬼のような形相だ。

「河村さんのお嬢さんの名前。河村杏奈は桐谷杏奈というもう一つの名前を騙っています。それとも本当の名前が桐谷杏奈で、河村杏奈という名前が偽名ですか?」

 佐倉の言葉に河村は目を大きく見開き、一瞬にして表情を赤く染めた。口を真一文字に結び迫ってくると、河村はその両手で佐倉の襟元を掴んだ。その拳からは怒りのごとく、鈍い青色をした血管が浮き出ている。

「貴様、もう関わるなと言っただろう!」迫力のある声だったが佐倉は動じなかった。

「昨日の夕方、具志堅知事の孫娘が誘拐された」

「何だと?」佐倉は河村の拳を上から更に自らの手で掴み、振り払った。

「おそらく誘拐には杏奈も関わっている。娘を犯罪者にしたいか?」

 息が荒れている自分を落ち着かせるべく、河村は大きく深呼吸をして空を見上げた。徐々に呼吸が整い、佐倉に静かに一言だけつぶやいた。

「中に入れ」


 河村工業の応接室。社長デスクの前にソファの応接セットが置かれている。どこかお洒落に感じるのはソファの色が柔らかいオレンジ色のせいだろう。もしかしたら昨今ブームの北欧家具かもしれない。壁面には前社長で現会長、河村修一の父である河村修の肖像画が飾られていた。見るからに血圧が高そうな顔の作りは父親譲りか。肖像画と河村修一の顔を見比べ佐倉は思った。

「座ってくれ」

 河村が着席を促す。リランで初めて会った時の景色が甦る。ただ、あの時の友好的な空気はもうそこには存在していなかった。

「具志堅功の孫娘が誘拐されたと言ったな」

「はい」

「要求は?」

「警察関係者の人間によると、要求は金ではなく12月10日の新聞広告に具志堅功のコメントを出せと。昭和52年のことについてだそうです」

 河村の顔が硬直している。顎のラインに力が入っているのがわかった。河村はポケットから煙草を取り出して火を点けると静かに話し始めた。

「杏奈はうちで迎え入れた養女だ。彼女の本当の父親から頼まれてな」

「杏奈さんの父親とどういう関係かはわかりませんが、他人の子供を自分の子供として迎え入れるなんて余程の事情がおありなのでしょうね」

「あぁ。色々と彼女の父親には世話になっているからな。杏奈が6歳の時に我が家に迎え入れた」

「桐谷というのが彼女の本当の名字ですね?」

「そうだ。桐谷浩というのが彼女の父親の名前だ」

「その父親はもうこの世にはいませんね?」

「あぁ。パリで何者かに殺された。今、日本中で話題になっているあの事件だ」

 やはりそうだった。杏奈はパリで起きた惨殺事件の被害者と繋がりがあった。それにしても娘だったとは。

「あなたと桐谷氏、具志堅功の関係性は?」

「桐谷と私は古くからの友人だ。そして桐谷の父親が具志堅功と大学の同期なんだよ。桐谷の父親は亡くなったが、桐谷は具志堅に息子同然のように可愛がられていた。色々と縁あって桐谷を通じて私は具志堅を紹介してもらったんだ。政治献金はその流れだよ」

「杏奈さんはフランスへ行くようです。目的はわかりますか?」

「殺された父親の顔を見にだろう」

「それだけではないはずです。大学へ休学届けまで出している。ということはしばらくフランスに滞在するつもりでしょう」

「桐谷の父親、つまり彼女にとっての祖父にあたるんだが、その祖父の友人に会いに行くんだと思う」

「祖父の友人ですか。何の為に?」

「…」

「教えるのは都合が悪いですか?」

 河村は口を閉ざした。しかしその体格に似つかわしくなく口元は小刻みに震えている。

「本当の父親が外国で殺された。それも酷いやり方で。しかし悲しむ間もなく今度は本人が誘拐ときている。とんでもない女だ」

「…」

 黙り込んだ河村に佐倉は苛立ちを募らせた。この男に人間としての情があるのか。自分の本当の子供では無いとはいえ、6歳から大学生になるまで一人の人間を育てたのだ。その〈娘〉が犯罪絡みの何かを起こそうとしているのが明確になりつつあるというのに。

「杏奈を救いたいという気持ちは無いようだな。父親が聞いて呆れるぜ」

 佐倉が席を立ち、その場を去ろうとした瞬間、河村が静かに口にした。

「待て。全部話そう」

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