Okinawa 出勤


 沖縄県沖縄市、通称「コザ」――。

 佐倉由人は国道330号線沿いの歩道を胡屋十字路から南向けに歩いていた。県内唯一となる全線四車線のこの道路は、夜の12時を廻っても車の交通量が多い。いや賑わいを見せるのはむしろこれからだ。今日は金曜日。仕事帰りのサラリーマン達が酒を呑み、ホステスのいるこの「中の町」に流れてくる。それだけではない。米軍基地を有するだけあって、外出中の米軍兵の姿もあちこちに目立つ。バーの外で日本の女たちと呑み騒いでいる外国人たちの姿を見ると、近年、世間を騒がせている基地の移転問題や米軍による犯罪などが佐倉にとっては現実のものと思えない時がある。

 自宅を出た時は肌寒かったが、緩やかな斜面の道を登り歩いているうちに、少しずつ体温が上がっていく。佐倉は胡屋十字路から数えて3つ目のブロックを右に曲がった。5階建てのコンクリートビルがすぐに確認できる。全ての階がスナックやキャバクラ店が入居しており、黒く塗りたくられた外壁が、夜のライトアップにより不思議と華やかなものに見える。ビルの前には黒いスーツ姿の客引きの男たちが20人ほどたむろしていた。

「佐倉さん、お疲れっす」

 見慣れた若い顔が近寄って来た。このビルの四階に入居しているキャバクラのボーイだ。

「今日、どうですか」

「悪い。今日は出勤なんだ」

 客引きのボーイにそう告げると「じゃあ、今度休みの時に絶対に来て下さいよ」と言って、おとなしく離れていった。このあたりの客引きはしつこく声をかけてくることはない。同じ人間に声をかけ続けるより、新しい通行人に声をかけたほうが生産的だと理解している。

 ビルを過ぎると『なかどおり』という通りに出た。通りの幅は元々そんなに広くはなく車も一方通行であったが、2、3年ほど前に拡張工事を行い、今では車が対面で二台ほど通れるようになった。そのなかどおりを小走りで横切ると次は税務署通りと呼ばれる通りに出た。

 税務署通りはその名の通り、税務署がこの通りにあったことからつけられた名前だと、地元のオッサン連中に聞いたことがあった。税務署だけではなく、昔はこの沖縄市の中央官庁が一斉にこの辺りに存在しており、人がたくさん集まり、それに比例するように飲食店も増えていった。しかし車で来るには駐車場不足などアクセスがあまりにも悪かったため、行政機関は次々と場所を移転し飲食店だけが残り、現在の姿になったと聞く。

 税務署通りに出て、南向けに少し歩くと右側に『リラン』と書かれた看板が目に入って来た。店の前まで来ると硝子製のドアから店内の様子が少し確認できる。客とホステスが狭い店内でわいわいと騒いでおり、店の外にまで笑い声が漏れている。上場の客入りのようだ。

 佐倉がドアを引く。ドアの内側に付けられていた鈴の音がカランカランと鳴り、店中の人間の注目を浴びた。しかし来客が佐倉であることを確認すると、嬢達は何事も無かったかのように接客に戻る。

 彼女らは佐倉のことを、この店の一従業員としか見ていない。佐倉の仕事はこの店の送迎係。普段はいつも閉店時間となる午前3時前になると店の前で車をスタンバイし、一人一人を家まで送り届けるのが佐倉の仕事である。

「ゆうちゃん、奥の席」

 カウンター越しからこの店のママである愛子が指を指して、佐倉が座るべき場所を指示した。

 基本的に店の中は狭い。その狭い店内に可能な限りテーブルと椅子を配置しているといった感じだ。

 案内された奥のテーブルへ進むと、佐倉より先に先客が座っていた。肌の色は日焼けのせいか浅黒く、オールバックの髪型は整髪料の油によって強く艶が出ている。濃紺のジャケットを身につけた体型は、肩幅が広く、格闘家のようながっしりとした体つきなのが座っていても伝わる。威圧感は十分だった。

「はじめまして。ママの弟さんだね」

 テーブルの前で立ったままの佐倉に対し、男は声をかけた。体型には似つかわしくない少し幼さの混じった声だな、と佐倉は思った。

「ゆうちゃん、座って」

 愛子が佐倉の後ろから声をかける。着席を促され佐倉は男の向かいに座った。続いて新しいグラスを手にした愛子が男の隣に座る。

「どうも、河村と言います」

 そう言いながら河村と名乗った男は名刺を差し出して来た。河村修一。名刺には立派なことに代表取締役社長という肩書きがついていた。

「はじめまして。佐倉と言います」

「佐倉?」

 男は不思議そうな顔で正面の佐倉と隣の愛子の顔を見比べる。

「私たち、片親が違うの」

 相手が抱いた疑問に対して愛子が説明をする。もう何度も繰り返して来たやり取りだ。

「そうだったのか。いや失敬」

 軽く咳払いをし、意味もなく河村が姿勢を正す。

「まぁ、遠慮なさらずに呑んで下さい」

 そう言いながら河村は泡盛のボトルを手にして、佐倉の目の前に置かれた空のグラスに酒をなみなみと注ぎ始めた。半分に届こうとばかりの所まで注がれた時、愛子が「ストップ!」と言い、河村の手を制した。

「ごめんなさい、河村さん。ゆうちゃん、お酒はそんなに強くないの。これは私が少し頂くわ」

 すると愛子は佐倉の前に置かれたグラスを手に取り、注がれていた酒を少しだけ口にした。

「もういいぐらいでしょ」

 そう言うとアイスを一つ付け足し、ミネラルウォーターを注いで水割りを作る。酒3に対し水7。自分にはちょうどこのくらいが良い。

「てっきりママの弟さんと聞いて酒が強いかと」

「そこはお互い似ていないわね。片親が違うせいかしら」

 笑いながら愛子は出来上がった酒を佐倉に手渡した。

「送迎は?」

 これを呑んでしまえば佐倉は従業員の送迎が出来なくなる。しかし愛子は佐倉に呑むよう勧めて来た。従業員には個別にタクシー代を渡して今日は帰らせるつもりらしい。

 河村がグラスを交わそうとしてきたので、佐倉は相手のグラスに軽く自分のグラスを当てた。そして佐倉は酒を一口だけ含み、グラスをテーブルに置くと、本題に入るよう愛子に目で合図を送った。

「河村さん、ゆうちゃんに話して」

「あぁ、実は娘のことで悩みがありまして。ママに相談したところ弟さんが探偵業をやっていて相談に乗ってくれるとかで」

「探偵と言っても看板を出しているわけでもないし、名刺も持っていません。たまに姉経由でこういった話をもらってアルバイトしているぐらいです」

 自分は今日この義姉に頼まれてこの店にやってきた。送迎とは別の業務。店の常連客が抱えている問題の解決に努め、金を貰って生きている。佐倉はそれを決して好きでやっているわけではなかった。むしろ、ことなかれ平和主義者である。けれど自分自身の生きていく道がこれしかないことも、悲しいことに自覚もしていた。

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