Paris 聴取

 オルフェーヴル河岸36番地―。所在地、番地が別名として呼ばれるほど有名で、パリ及びその周辺地域を管轄する警察組織であるパリ警視庁の庁舎だ。建物こそ老朽化しているが、ここが間違いなくパリの治安を維持しているのだと職員全員が自負し、自らの職に誇りを持っている。

「モーリスさん、マルセルさん、目撃者の男子学生が第一聴取室で待っています」

 警視庁に着くや若い署員が声をかけてきた。モーリスは「わかった。ありがとう」と礼を言うと、マルセルに「行こう」と一言告げ、第一聴取室のドアを開けた。

 部屋の中で待っていた男は、先程残虐な光景を目にしたせいか生気を完全に失っていた。丸坊主で面長の特徴的な顔。肩幅は狭いが胴の長さが座った姿勢でも目立っており、上下スポーツメーカーのジャージにスニーカーという、格好だけで判断すればジョギング中だったというのは嘘では無いようだ。

 モーリスとマルセルは改めて椅子を引き、目撃者とされる男子学生の前に並んで座った。

「パリ警視庁のモーリスです」

「同じく警視庁のマルセルです」

 こちらの挨拶にも男は特に反応を示さない。

「恐ろしいものを見てしまったね」

 再度、モーリスが問いかけるも同じく反応はない。男の視線は何も無い机の上を見つめていた。

「何か他に見なかったかい?怪しい男とか、不審な物を見つけたとか」

 モーリスがマルセルの顔を見て首を横に振ってきた。マルセルは〈今度は自分が〉と代わって質問することにした。

「ジョギング中と聞いてはいたが、何か普段からスポーツでもやっているのかい?」

「サッカー」

今にも消え入りそうな声ではあったものの、男子学生はこちらの問いかけに初めて反応を見せた。

「サッカーか!私もやっていたよ。ポジションは?」

「ミッドフィルダー」

「そうか!私はフォワードでね。残念ながらプロプレーヤーにはなれなかった。でも才能はあったんだよ。まぁ中盤がいいパスを供給してくれなかったのさ」

「中盤のせいにしちゃ駄目だよ。フォワードは自分一人の力で点を取るようなセンスが無いと。他人のせいにしているから大成しなかったのさ」

 挑戦的な口ぶりに少し驚いたが、どうやらコミュニケーションは問題なく取れそうだ。

「はっは。確かに。それはそうと近々何か試合でもあるのかい」

「どうして?」

「公園でジョギングをしていたんだろ?個人練習はいつものことか?」

「……」

「どうした?また嫌な光景を思い出してしまったか」

「……」

 事件現場に関する質問をすると再び学生は口を閉じた。

「なぜ黙っている?」

「……」

「何か隠しているのなら正直に話すんだ!」

 モーリスが横から手を大きく振りかぶり机を叩いた。

 マルセルは驚いた。いつもは何事にも冷静で、聞き取りや容疑者の取り調べでもゆっくりと穏やかな話し方をする彼が、こんな短い時間で相手を怒鳴りつけるのは珍しい。マルセルは落ち着いてくださいという牽制の意味でモーリスのスーツの裾を軽く引っ張った。すると我に返ったモーリスは「少し一服してくる」と言い残し聴取室を出ていった。

 部屋を後にするその背中を見て、とても疲れているかもしれないとマルセルはモーリスのことを慮った。

 マルセルが再び男子学生に向き合う。すると彼は小さい声で笑い出した。

「どうした?何がおかしい」

 尋ねると、彼はマルセルの目を見据え、はっきりとした口調で言った。

「おれ、犯人知っているよ」

「本当か?犯人を見たのか」

 思わず身を乗り出す。その様子が愉快に見えるのか、男は声をさらに大きくして笑い出す。

「おい!ふざけるな!」

 手を伸ばして男の胸ぐらを掴もうとした時、男はマルセルの手を素早く払いのけた。そして右腕をゆっくりと上げ、人差し指をマルセルに向かって突き刺してきた。

「犯人さ」

 男の言っている意味を一瞬で理解することが出来なかった。

「何を言っている?」

 呆然と立ち尽くすマルセルを、男はなおも楽しそうに見ている。

「だから犯人さ。もちろんあなたじゃないよ」

「どういう意味だ」

 男子学生はゆっくりと腕を下げ、右腕を膝の上に戻した。

「……」

「まだわからないのかい?だから君は大成しないタイプなんだよ」

 そして男子学生は静かに、しかしはっきりとマルセルに告げた。


「モーリスさ。犯人は君の上司だよ」

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