第14話 意外? な見落とし
スタッフルームを出たボクと陽葵さんは、店内にいる陽菜さんと合流した。…運良くお客さんはいないので、さっきの事を伝えられるな。
「陽菜さん。ボク、お試しで1~2時間働く事にしたよ」
「そうですか。わたしも頑張ってサポートしますね!」
「アタシは採用されたから、ちゃんと教えてね。陽菜先輩」
「お姉ちゃん、何なの? それ…」
陽葵さんがこれ以上ふざけないようにフォローしよう。
「陽葵さんが採用されたのは本当なんだ。相沢さんの独断で決められるみたい」
「その話は聞いた事あるので驚きませんが、普通に呼んでくれる?」
「はいはい」
陽菜さんが“お客様がいない今の内に、接客の基本を教える”と言ったので『いらっしゃいませ』と『ありがとうございました』の練習をする事になった。
「朝日さん、もっと背筋伸ばして! あと声も大きく!」
陽菜さんの指導はやっぱり厳しい。自信がないから、つい猫背になってしまう。
「…お姉ちゃんは問題ないね。まだ勘は鈍ってないか」
「当然じゃん。バイト辞めたの先月だよ? そんなすぐ鈍らないって」
なんて話をしている時に、中年の女性1人が来店した。今こそ練習の成果だ!
「いらっしゃいませ!」
ボクの小さい声は、陽葵さん・陽菜さん姉妹にかき消される…。陽菜さんの邪魔をしないように、後方に待機してから反省しよう。
「あらあらあら~」
後方に移動する前に、中年の女性は興味津々な様子でボクの元に来た。
「私のお願いをもう聞いてくれたのね~。さすが“マコール”!」
お願いって何だ?
「相沢さんから聞きましたよね? 男性の意見が欲しいって。その話をされたのが、こちらにいる
陽菜さんが、ボクと陽葵さんに解説する。
「私、ここの常連なの。ここは良いお店だけど、男の子が1人もいないのが気になってたのよ~」
「吉井さん。彼はお試しで勤務してるだけなので、まだ確定してませんよ?」
「お試しなんて言わないで、ずっといて欲しいわ~」
そう言ってくれるのは嬉しいものの、自信は全くない…。
「陽菜ちゃん。この子借りるわよ」
突然、吉井さんはボクの手を引いて移動し始めた。
あまりの強引さに驚く。初めての接客で何とかなる人じゃない。
「待って下さい!」
すぐ陽菜さんと陽葵さんも追いかけてくれた。
吉井さんはある地点で足を止めた後、近くにある下着を2セット手に取った。
「ねぇぼく。こっちとこっち、どっちの下着が似合うと思う?」
彼女が手に持ってるのは、デザインが違う黒とベージュの下着だ。後はリボンなどの飾りの数や大きさが違う程度か…。
なんて答えれば良いんだろう? 陽菜さんに尋ねようと思って観たところ…。
「朝日さん。吉井さんはあなたに訊いてるので、思うように答えて下さい」
そうだ。ここで陽菜さんの意見に従ったら、ボクはこの下着屋にいる意味がない。どんな結果になろうと、勇気を出して言わないと…。
「えーと…、こっちのベージュの下着のほうが良いと思います…」
理由は“勘”だ。吉井さんに理由を求められたらどうしよう?
「私もそう思ってたの。陽菜ちゃん、これ買うわ!」
「ありがとうございます!」
陽菜さんと吉井さんはカウンターに向かって行く。
「アタシもベージュのほうを選んだかな」
陽葵さんもそう思ったなら、ボクに訊く必要あった?
「朝日君。大切なのは、さっきのおばさんが納得するかどうかなの。女のアタシ達と意見が被るとか被らないとか、その辺はどうでも良いんだから」
どうでも良いとは思えないけど…。
「もう少し自信ありげに答えたほうが良いね。そのほうが買いたくなるから」
「わかった…」
やはり接客は大変だ。そう思うボクであった。
下着を買ってくれた吉井さんに挨拶するため、ボクと陽葵さんはカウンターに向かう。…ちょうど清算し終えたところのようだ。
「ねぇぼく。もしこの店で正式に働く事になって、いっぱい経験を積んだら…」
どんな無茶ぶりをしてくるんだ? 嫌な予感しかしない。
「私の胸の採寸してくれる?」
「ぼぼぼボクがですか!?」
やっぱりとんでもない事言ってきたぞ。
「吉井さん! それは朝日さんに任せる訳にはいきません! わたしがやります!」
「男の子に採寸されるのも面白そうじゃない? 安心して。どれだけ胸を触ってもセクハラなんて言わないから」
躊躇するのは、そういう問題じゃない。
「また会えると良いわね、ぼく」
吉井さんは笑顔で店を後にした。
「あのおばさん、とんでもないね~」
陽葵さんと同意見だ。初めての接客ぐらい、楽させてほしかった…。
「吉井さんに振り回される事は何度もあったけど、今日が一番だったかも…」
陽菜さんも苦労してるようだ。接客できる人って凄いな。
それからも、お客さんがいない間に陽菜さんから挨拶の指導をされる。陽葵さんは既に合格基準をクリアしてるようなので、姉妹の指導と化した。
その間に
そして、柏木さんを見送った後…。
「朝日ちゃん。そろそろ2時間になるよ~」
店の奥から相沢さんが出てきた。
バタバタしてたせいか、意外に早く感じたな。
「陽菜ちゃん。朝日ちゃんはどうだった?」
「猫背になりがちだし、挨拶の声も小さかったりしますが、やる気はあると思います。可能性はある気がしますね」
陽菜さんがそんな事言ってくれるなんて嬉しいな。
「なるほどね~。朝日ちゃん・陽葵ちゃん、一旦スタッフルームに戻ってくれるかな?」
ボク達は相沢さんと一緒に戻る事になった。
スタッフルームにある机周りのパイプ椅子に座る3人。ボクと陽葵さんは、相沢さんと向かい合う流れだ。
「朝日ちゃん。初めてのバイトはどうだった? 正直に言ってね」
「そうですね…。大変でしたけど、勉強になる事もたくさんありました。陽葵さんと陽菜さんがいてくれたから頑張れたと思います」
これは紛れもない事実だ。やはり知っている人がいると安心できる。
「そっか。これからどうする?」
問題はここからだ。今後は今日以上に、大変な事や恥ずかしい事が起こる気がする。それに、今日はなかった警備員の真似事もやらないといけないな…。
ここのスタッフは4人。採用が決まった陽葵さん・陽菜さん・相沢さん・店長さんになる。店長さんには会った事ないけど、陽葵さん達は間違いなく良い人だ。
別のバイト先が、今以上に人間関係に恵まれるとは思えない。だったら…。
「…ここで働かせて下さい。これから一生懸命頑張りますので、よろしくお願いします!!」
「おぉ! 大きい声出せたじゃん、朝日君」
「陽菜ちゃんが言ったように、ポテンシャルはあるみたいね。朝日ちゃん・陽葵ちゃん。2人は今日からマコールの仲間よ」
「ありがとうございます!」
ボク達は同時にお礼を言う。
目標は陽菜さんだな。彼女の足を引っ張らないように頑張らないと!
「そういえば相沢さん。すぐそこの2つの扉は、倉庫と更衣室だよね? 朝日君の更衣室はどうなるの?」
「…あっ!!」
陽葵さんの質問に相沢さんがハッとする。
「うっかりしてた。この狭いお店で、男性・女性の更衣室をそれぞれ準備するのは無理だわ…」
「じゃあ、スタッフルームで着替える感じ?」
「それは厳しいかな。あたしと店長の
一瞬で済ませれば何とかなると思うけど…。
「女子更衣室はどうなの?」
陽葵さんは何でそんなことを訊くんだ?
「スペースもあるし、ロッカーの余りもあるわ」
「朝日君。女子更衣室で着替えれば良いよ」
今日、とんでもない展開多くない…?
「そうしましょうか。同時に着替えなければ、ただの部屋だもんね。あたしと未来ちゃんは先に来て後に帰る事が多いから、被る事はほぼないと思う」
2人はそうでも、陽葵さん・陽菜さんと被る可能性はあるんじゃないの?
「アタシにもついにチャンスが…♡」
なんかよくわからない独り言言ってるよ…。
「今から陽菜ちゃんに話してくるから」
そう言って相沢さんは席を立ち、スタッフルームを出て行った。
「朝日さん。更衣室の件、相沢さんから聞きました」
陽菜さんがスタッフルームにやって来た。今は相沢さんが店に出てるようだ。
「状況が状況なので、仕方ありません。女子更衣室で着替える事を許可します」
許可をもらえるんだ。てっきり反対されるかと。
「ですが、絶対にノックを忘れないで下さい。覗いたら怒りますからね?」
「わかってるよ…」
そう答えるボクを、何故か陽葵さんは不満そうに見るのだった。
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