第37話:告白
俺はあまり、母のことを知らない。
というのも父のことや母のことを知ろうと思うようになったのはそれなりに成長してからで、その時には両親はいなくなっていたからだ。
それでも父のことは父の生家であるこの家で生活したことや、あるいは父の母である祖母との暮らしのおかげで朧げながら理解している。
母の方は……祖母が嫌っていて、悪口以外では話題に上がることはなかった。
母は優しい人だった。自分のことよりも俺や父を優先しようとして、その度に父に窘められていたことを覚えている。
素朴な人で、欲はなく、いつも穏やかな笑顔。
……祖母や父方の親戚の言葉からかつてはお嬢様であったことを聞いたが、あまり話したがっていないことを察して、深く尋ねるようなことはしなかった。
「……これ、開けても?」
「好きにおし。あんたのもんだよ」
「……」
なら勝手に捨てるべきではないだろう。
……と思いつつも、開けて読むべきか迷ってしまう。
「婆さん、これ、似たようなの前にも届いてる?」
「なんでそう思ったんだい」
「いや、まあ、不快な人からの手紙でも、俺には渡さなくとも婆さんは一応確認するもんかなと。確認してないなら、内容の予測が出来ているのかと」
少なくともひと家族まるまる追い詰めて心中まで追い込めるような連中だ。
内容はどうであれ、全く知らずに捨てるということは心情的に難しいだろう。
となると、何度か似たような手紙が届いたが婆さんはそれを読んで俺には伝えずに捨てた……と考えるのが自然だ。
図星なのか、婆さんは「ふん、可愛くない」と鼻を鳴らす。
「どんな内容なんだ?」
「ふん、開けて見りゃいいじゃないか」
「……個人的に、それだとあんまり意味がない気がして」
婆さんは俺を見て、気分が悪そうにため息を吐く。
「……あたしゃにゃ関係ない話だよ」
「なら話してくれよ」
ぐちゃぐちゃの封筒を開けることなく机の上に置いて椅子に座る。
俺の様子を見て、婆さんはゆっくりと口を開く。
「どうせあんたも、あたしのこと嫌いだろうに。なんで話したがるんだ」
「……」
「……不妊だそうだよ。あんたの叔父」
「これはその叔父の名前なのか? 将道って」
「祖父だよ。あんたの」
叔父が不妊……という言葉と、それが祖父からの手紙で語られること、まぁ、なんとなく……全く知らない人なのであまり現実味はないが、想像は出来る。
「……つまり、後継ぎ問題的なやつか」
「ふん」
本当に祖母の反応を見るに正解らしい。
「いいんじゃないかい。金持ちの家に行く方が。あんた、金金とうるさいだろうに、子供のくせに」
「……両親が死んだ原因だぞ。金とかそういう問題じゃあ」
「そんなもん、あたしもそうさね。助けようとしなかった。見捨てた。だからあの子は死んだ。あんたの親の仇というなら、あたしもそうさ」
「……そうは思わないよ。……というか、そんなことばっかり言ってるのに俺を引き渡そうとはしなかったんだな。手紙も隠して」
「バカにするんじゃないよ。会うのが面倒だっただけだから」
「……はいはい。今更ボンボンの坊ちゃんにはなれないよ」
内容も判明したので改めて封筒を手に持って、それをゴミ箱に捨てる。
祖母は目を丸くして、俺の意図を確かめるようにこちらを見る。
「……可愛くない子だよ」
「知ってる。……そっちももう少し可愛げを出して「行かないで」とぐらい言えたらいいのにな」
「誰が言うかい。そんなの、みっともない。ほら、さっさとおいき」
前までの俺なら……とりあえず、情報を確かめるために封筒を開けて内容を読みはしていただろう。
読まずに捨てるというのはある種の演技でしかない。
けれどもそうするのは、たぶん、ミンさんなら真実の追求よりも不安に思っている人への寄り添いを優先するだろうと思ったからだ。
まぁ、婆さんも……もう少し落ち着いてくれたらミンさんを連れてくることぐらい出来たのかもしれないのに。
「……あー、そうだ帰る前に。この前、思い出したんだけどさ、俺、父さんと母さんを守ろうとしてたよ。……ダメだったけど」
俺の言葉に婆さんは顰めっ面のまま返す。
「あんたは本当にノロマだね」
へいへいとだけ言って外に出る。
あまり気がついていなかったけど、だいぶ日差しの強い季節になってきている。
風の涼しさ、太陽の暖かさ。今まで感じていた息苦しさがほんの少しマシになる。
一度、綺麗な空を見上げてからスキルの中に入る。
自分の寂しかったスキルの中に、人の生活音が聞こえ始めて、それがどこか不思議と心地よい。
食べ物の匂い、人の気配。少し感じる他者の熱。
リビングに入ると、ミンさんがソファにちょこんと座りながらすぴすぴと子供っぽい表情で眠っているのが見えた。
安心しきったその表情を見て、ブランケットを持ってきて冷えないように体に掛ける。
するとそれで目を覚ましてしまったのかミンさんの目が薄らと開いて、ふにゃりと柔らかい笑みを浮かべてから再び目を閉じる。
その寝顔を見て、吐息を聞いて、トクリトクリと俺の心臓の音が鳴り始める。
……たぶん、ヒナ先輩の言っていた「ミンさんの客観的な印象」は正しいのだと思う。
ダメなところもたくさんある、心配になる人なのだとも思う。
学校の先輩に甘えまくっているのも、周りの人と仲良く出来ていないのも、寂しくて学校を辞めようとしているのも、ヒナ先輩について行こうとしているのも……まあまあ、ダメ人間だ。
机の上に広げられた勉強道具を見るに、たぶんそれも得意ではないのだろう。
悪いところを挙げればキリがない人である。……けれども、この人の寝顔に見惚れてしまい。
空気を伝わってくるその体温に愛しさを覚える。
ああ、好きだな。この人のこと。
知っていた自分の気持ちをもう一度自覚して、ゆっくりと手を伸ばして彼女の手を握る。
俺の手を少し握り返した彼女は、薄目を開けてから恥じらうように顔を赤らめる。
「……ん、私も好きだよ。藤堂くんのこと」
その言葉に俺は思わず硬直し、誤魔化すように目を泳がせる。
急に気持ちを暴かれたことによる呼吸も出来ないような緊張の中、努めてゆっくり言葉を返す。
「えっと……口に出てました?」
「ううん。……わかっただけ。でも、当たって嬉しいな」
くいくいと手を引かれて、ミンさんの隣に座る。ブランケットを半分掛けられて、暖かさが伝わってくる。
「……あの、ミンさん。ありがとうございます」
「どうしたの?」
「……ずっと悩んでたことが解決して、たぶんそれはミンさんのおかげなので」
「そっか。君の力になれたのなら、嬉しいな」
ふにゃりとした柔らかくあどけない笑顔。
……あまり、今は言うべきではない言葉が頭の中に浮かび、消そうともそれは消えてくれない。
浮かされたような情動のなか、ミンさんの目を見ながら口を開く。
「好きです。ミンさんのこと」
先程暴かれた言葉を、今度は自分から口にする。
数秒、ミンさんの表情が固まって、モゾモゾとブランケットの中に潜っていく。
「……うん。……私も」
ブランケットから目から上をぴょこりと出して、彼女は俺にそう返してくれた。
◇◆◇◆◇◆◇
第二章、最後までお読み誠にいただきありがとうございました。
番外編を少し書いたあと、一時完結扱いとさせていただきます。
三章以降を書くかは……不明です!
しばらく新作を書こうと思っていますが、どんなジャンルにするかも決まってません。何がいいのでしょうね。
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