第33話:完璧なアドバイス
「それはそれとして、もう暗いですけど、大丈夫ですか? あれならコウモリ呼びましょうか?」
「ん。子供扱いするでない。帰ることぐらい出来る」
黒路はそう言ってから、チラリと俺のスマホを見て口を閉じる。
何か他の人には聞かれたくないことがあるのか? と、会長に断って電話を切り、それからベッドから立ち上がる。
「外まで送りましょうか?」
「ん、それは頼もうかの。……なぁトウリや、何か悩んでいることでもあるんじゃろ?」
……秘密で話したかったことはそれか。
この婆さんも、お人好しだな。
「あると言えばありますけど、人に話すような内容でもないですよ。もう終わったことと、個人的なことなので」
「気にせんでいい。ババアは人の世話を焼くのが好きな生き物じゃろ」
……鳥居さんとかカモメのことは流石に重いかと考えて、もうひとつの悩みを口にする。
「……あー、その、俺、最近わりと女の子の友人が多くてですね」
「ふむふむ、恋バナじゃな? 儂は恋バナの達人じゃから、思う存分語ると良いぞ」
「恋の達人じゃなくて恋バナの達人なんですか?」
「そうじゃが?」
それはもうただのラブガーディアン三号だろ。
「まぁ、その、俺の勘違いでなければそれなりに親しくなっているというか……」
「いい仲なのじゃな?」
「まぁ、その、交際はしてないけど異性としてはすごく仲がいいみたいな相手が三人……いや、一応四人いまして」
「ほほう、なかなかやりおるのー?」
「……どうしたらいいのか分からなくなりまして」
「それで、デートもすると」
「まぁ、はい」
黒路は興が乗ったのか俺が立っているのに関わらず立ち上がる様子を見せずに口元を抑えて笑う。
「色男じゃのう。悪い男じゃ」
「ですよね……。それで、どうしたものかと」
「ふむ……普通に、好いとる娘にアタックすればいいのではないか?」
「……いや、それはその」
俺が口籠もると黒路は察したように笑う。
「なるほどのう、それぞれに惹かれておると。気の多い男じゃ」
「まぁ、はい。カモメ……そのデートの約束の女の子以外には」
「その子は違うのか?」
「まぁなんかそういう感じではないですね。お互い」
「ふむ……。ならもう、一番性的に興奮する娘を選ぶのがいいのではないか?」
「最低すぎる。いや、それだとどうしても距離感が近い子になるじゃないですか……!」
「それが……答えなんじゃないのかの?」
違うだろ……! 純粋な性欲だろ、それは……!
「いや。だって普通にベッドの中に薄着で入ってくる子がいるんですよ。そんなの……男として、めちゃくちゃ興奮させられてるのに生殺しで……。でも触ったりするわけにもいかず」
「……それはもう手を出してもいいんじゃないかの」
「いや、関係が壊れるのとか、傷つけてしまうのとかも怖いので……」
「……恋というのは、お互いがお互いのことを少しずつ傷つけ合い、傷つけられることを受容する……そんなものなのじゃないのじゃろうか?」
「お、おう……」
「急に引くな、トウリ」
いや、だって急にクサいことを言うので。
「それはともかくとして、急にガバッと行くのではなく、ちょっとずつ行って拒否されないかを確かめるとかあるじゃろ? ダメそうなら引くとかの」
「まぁ……。いや、それはともかく、他の子のこともあるので」
「でも、その同衾しとる子に発情しとるのじゃろ?」
と、黒路が言ったあと、彼女はふと、自分の座っている場所に気がつく。
「……あ、も、もしかして、儂のことじゃったか? その、トウリが懸想しとる娘というのは」
「違いますね」
黒路はベッドの上にぽてりと寝転がり、幼い体にしなをつくりながら、恥じらうように口元に手をやって赤らませた顔で俺を見る。
「……すまぬの、その、トウリも若いおのこじゃからの。儂のような愛らしい女児に青いパトスをぶつけたくなるのも分かるというもの……」
「何も分かってないですね」
「……優しくしてたもう」
ぱらり、と、黒路はわざとらしくはだけさせて細い肩を見せる。
「……あの、話の続きいいですか?」
「仕方ないのう」
黒路はさっと服を戻す。なんだ今の茶番は。
「まぁ、その子に惹かれるものはあるんですけど。他にもお世話になっていて、いつも助けてくれて、俺のために泣いてくれる子もいて……」
「その子にも惹かれておると」
「まぁ……。あと、俺に告白してくれた子もいて。一度は断ったんですけど」
「その子にも惹かれておると」
黒路は「気の多い男じゃのう」と、呆れたように、あるいは揶揄うように、その白い指で俺の頬をちょんちょんとつつく。
「それと、なんかワガママと暴言の激しい歳下の子がいまして」
「その子にも惹かれておると」
「いや、それは全くそうではないんですけど」
「そうではないのか……」
「まぁ、でも。……友人という縁は切れやすくて。……ソイツ、これから孤独になるんですよ。親とも会えなくなって、転居と転校を余儀なくされて。友達とか新しく作れるような性格でもなくて」
息を吐く。
「カモメは、人から嫌われる人間なんです。好かれるような性格じゃない。だから」
「……だから、交際関係にでもなって、味方のままでいてやろうと思う、か」
「はい。……たぶん、カモメも恩義は感じてるからフラれはしないかと」
童女のような小さな体と幼い顔立ち。
けれども年老いた老人のような揺れの少ない、こちらを見通すような瞳。
「……お主は、優しい子じゃのう」
「どうでしょうか。あまりいいことを言っていない自覚はありますよ」
「悩むと妙な考えをするものじゃよ。優しい方が」
やっぱり、俺のこの迷いは側から見て馬鹿なものなのだろう。
「主は馬鹿じゃが、いい馬鹿じゃよ。そのまま、伝えてやるといい。「君が心配だ、自分が味方だ」とな、そこに恋愛などいらんのではないか?」
「……そんなもんです?」
「そんなもんじゃよー?」
俺が首を傾げると、黒路は口元を隠してくすりくすりと笑う。
……彼女がそういうのなら、そうなのだろうと俺も思った。
「じゃあ、そろそろ行きますか?」
俺の言葉に、黒路は少し寂しそうに頷く。
「……話してはくれんか。鳥居とのことは」
「あー、知ってたんですね。というか、それで来ました?」
「ん、コウモリに「俺では話してくれないから」と、頼まれての」
「……本当に面倒見いいですよね。コウモリ」
あっさりそれを話してよかったのかと思いつつ。けれども黒路の方がコウモリよりも話しやすいのは確かだ。
「……自分で聞けばいいのに」
「あやつは、照れ屋なのよ。今風に言うとツンデレ」
「ツンデレ……」
軽く笑ってから、黒路を見る。
「鳥居さんのこと、どれぐらい聞いていますか?」
「粗方は。……元々、最悪の場合の制圧に備えておっての」
「スキルの毒性の調整って出来るんですか?」
「もちろん」
黒路のスキルはその練度もあり、対人戦闘ではほとんど無敵である、コウモリも仲が良いならまぁ真っ先に頼るだろう。
「……鳥居の暴走は、主の悩みに似ておるよ」
「俺に?」
「誰かのために何かをしてやりたい。けれども、良い方法はない」
黒路はスッと俺の横に立って、その目を俺に向けながら身を寄せる。
「何もせずにはいられない。そんな善性じゃよ。……少し、ぼんやりとしてみるのも手じゃぞ?」
「……まぁ、そうかもしれないですね」
「とりあえず、その娘にはそのまま思うことを伝えるとよい」
「はい。……相談してよかったです」
笑う黒路を病院の外まで送る。
……早速、ちょっと話すか。
そう考えてスキルの扉を開けると、既にヒナ先輩とミンさんは帰ったのか、それとも一時的に席を外しているのか人の気配が少ない。
扉を開けてまわっていると、まだ寝るには少し早い時間なのに、俺の使っているベッドの中で、ひとりの少女が丸くなっていた。
「……泣き疲れて寝たのか」
俺はそう言いながらベッドのふちに腰掛けて、さらさらとした柔らかい髪を撫でる。
「……起きてる」
「早く言えよ……。頭撫でちゃったじゃん」
「ふふん、僕の作戦に引っかかったようだね。…………入院はいいの?」
「まぁ、ちょっと病院を抜け出すぐらいならいいだろ。すぐに戻るしな」
「ふふ、不良だ」
笑っているものの涙目のカモメの頭をもう一度撫でる。
それから先程の黒路と話したことを口にする。
「あのさ、カモメ。……俺、ずっとカモメの味方でいたくてな。ただの友達ならこれから呆気なく縁が切れてしまいそうだから」
「と、トウリ。そ、それは、その……それはそういう……」
カモメは顔を赤らめて、上気した様子で俺の手を握る。
「つ、続き……言って」
「ああ、最初は告白でもして、嘘でもなんでも恋人にでもなって縁を繋ごうかと思ったけど。……そうじゃないよな」
俺は深く自分で頷きながらカモメに言う。
「俺は、そんな嘘の関係を築かずとも、カモメの味方だ。ずっと、ずっとそうだ」
俺はカモメに対してバッと向き合ってそう言うと、カモメは表情を無くして俺を見ていた。
「……カモメ?」
「……トウリ」
「な、なんだ? えっ、何か怒ってる?」
カモメはわなわなと震えて、バッと俺の肩を掴んでベッドに引きずり倒す。
「あ……あほーっ!! トウリのアホ! アホアホ!」
「えっ、ええ!? な、何が!?」
「期待してたのにすごいとんでもない角度からハシゴを外されたからだよ!」
「い、いや、えっ、何を期待してたんだ?」
「告白! ……僕だって、僕だって女の子なんだから……! ずっと助けてくれるとか、味方になるとか、そんなことを言ってくれたトウリに思うところぐらい……あるよっ!」
「いや、えっ、あの……俺のこと、好きなのか?」
俺がそう聞くと、カモメは顔を真っ赤に染め上げながらベッドの上で俺を押し倒す。
見上げる形となったカモメは、息を荒くして俺を見る。
「あ、あんなに優しくしてくれて、守ってくれて……。好きにならない方がおかしいよっ! あほ! 責任とれ、責任とって僕の寂しさと悲しさを埋めやがれ、あほトウリ!」
「い、いや、責任って……」
押し倒されながらもそう口籠もる俺に、カモメは幼い顔を近づける。
目を閉じて「んっ」と唇を尖らせている。
一瞬、お互いに不慣れすぎてカモメが何をしようとしているのか気が付かずにいてしまい、キスしようとしていると気がついたときには、既に俺の唇にカモメの柔らかい唇が押し当てられていた。
もがく俺に引き剥がされたカモメは止めていた息を「ぷはっ」と吐き出して、潤んだ瞳で俺を見る。
「……奪われました、僕の、初めて。……責任とってください」
「いや、奪われたのは完全に俺の方……」
というか、……こんな歳下の、最近まで小学生だった女の子にキスされて……。
俺が混乱しながらも反論しようとすると、カモメは俺の唇を自分の唇を押し当てることで黙らせる。
「……僕の二回目も奪われました」
「あ、あのな、カモメ。いや、本当にそれ、ダメだぞ、ダメ」
俺がしどろもどろになっているとカモメは真っ赤に染めたままの顔で俺を笑う。
「へー、トウリってこんな小さい子にキスされただけでこんなに顔を真っ赤にするんだね」
「く、クソガキ……」
「……」
カモメは何を思ったのか、もう一度押し倒したままの俺に唇を押し当てる。
柔らかく、少し湿っている感触。生々しさのある少女の柔らかさと心地よさ。
慌てて引き離そうと肩を掴むと、カモメは「んっ」と身を捩って俺の手から逃げて、それからキスをしている唇から、小さな舌が伸びてきて俺の口の中に入りこむ。
流石にこれは──と引き離そうとしたとき、上から涙が降ってきて、思わずその手を止めてしまう。
また涙が落ちてきて、俺の頬を伝ってベッドのシーツに染み込んでいく。
一方的に絡ませようとする小さな舌にされるがままになってしまう。
泣かせた罪悪感とか、これからのカモメへの同情心とか、現実を逃避したいカモメへの共感とか。……単にカモメとのキスが気持ちいいからは、ないと思いたい。
そんな負の感情をないまぜにした心中。
息切れをして唇を離したカモメの肩を掴んで引き離す。
俺も息を荒くしながら泣きそうな……いや、泣いているカモメを見る。
……黒路のアドバイス、全然上手くいかなかったんだけど。
「……カモメ、その、マジで……ダメだぞ」
「…………ごめんなさい」
「……分かったなら、いいよ」
まぁ、うん。……カモメはそういう子だし、そういうダメな子だから心配なんだけども。
俺はどちらの唾液ともつかない唇の端に溜まったそれを拭いながらそう思う。
……俺もファーストキスだったんだけど、と、怒る気にはなれず、ため息を吐きながらカモメの頭をぽすぽすと撫でた。
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