第23話:ため息と自覚
夕食があまり入らなかった俺を見かねてなのか。
ミンさんが「ちょっと待ってて」と、キッチンに行って卵焼きを焼いてくれた。
本当に優しい人だな、と、思いながら出汁の香りがするそれを箸で摘む。
柔らかくて美味そうだ。
そう思いながら食べるとミンさんが小首を傾げて俺を見る。
「美味しい?」
「はい、めちゃくちゃ。出汁が効いていて、柔らかくて」
「よかった」
佐倉は当然外泊の許可は降りず、カモメは疲れて寝てしまった。
ヒナ先輩は寝巻き姿は見せたくないのか部屋に入ってしまったので、今は俺とミンさんだけだ。
……騒がしいのも好きだけど、静かなのも嫌いじゃない。
静かでいたい。けれどもひとりは寂しいと思うときに、そこにいてくれるミンさんの存在は本当に……安心する。
「……ミンさん、料理も上手ですし、家事とか色々得意ですよね。家庭的というか」
「寮生活してるから」
「俺は全然上手くならなさそうです。食事はミンさんに作ってもらうか食堂かですし。掃除も……いつのまにか綺麗になってるけど、たぶんミンさんですよね」
「汚してるのも私だから」
支えられているな、と、思う。
たぶん、気がついていないだけでもっと助けられているところは多いのだろう。
ミンさんのそういうところは、たぶん本当は寮生活ではなく、家庭の事情のせいなのだろうな。
素直に良いと思えないのは、家庭的な能力の裏にあるミンさんの家庭の機能不全が見て取れるからだ。
……ヒナ先輩、俺がダンジョンで上手くやってると少し嫌そうな表情をするけれど、それと同じことなのだろう。
負った傷が役に立つことはあるけれど、それでも、親しい人にはそんな役立つ傷なんて負ってほしくないものだ。
それを今、嬉しそうに俺を見つめる少女に思う。
「……今度、料理教えてください。婆さんが台所に他の人が入るのを嫌がるから料理はからっきしなんです」
「えー」
「あ、嫌がるんですね」
「私がやるから、いいよ」
……これは遠回しなプロポーズなのだろうか。
ミンさんのことだから違うんだろうな、と、ため息を吐いて……ため息を吐いた自分に気がつく。
「どうしたの?」
「……いや、なんでもないです。……俺の事情、面白いものでもないですけど、聞いてくれますか?」
ミンさんは少し驚いた表情をしてから、キッチンの方に行ってコップとジュースを手に取って戻ってきて、俺の隣にぽすりと座る。
返事はないけれど、その様子を見れば真剣に聞いてくれるということはよく分かった。
「ウチの両親。駆け落ちしてたみたいなんですよ」
「駆け落ち……って、好きな人同士で逃げる、みたいな」
「はい。俺もあんまりよく理解してないんですけど、母親の方の家系が色々厄介みたいで。それから逃げたりするためにいろんなところを転々として、けど、まぁそんなのでマトモな仕事には就けないとか、公的な補助も厳しいとかで」
ミンさんは炭酸ジュースをコップに注いだのにそれを口にせずに俺の話を聞く。
「特に近年はダンジョン探索者を増やしたいという国の思惑のせいで生活保護みたいなのも受けにくいですからね。……で、馬鹿な小さいガキもいて」
自分の話をすると自分から言ったのに、妙な間が空いてしまう。
「……どうしようもなくなって、心中です」
「……置いていかれたの?」
置いていかれた……という言葉は、本当に寂しがりな彼女らしいものだと思う。
「いや、一家心中でした。ただ、車の中で煙を焚いてるときに。偶然、ダンジョンが発生したんです」
「……ダンジョン災害」
「致死率、ほぼ100%らしいです。まぁ、唐突に落下した上に生き延びても迷宮の深くですからね。……その事故に巻き込まれて、心中が失敗。両親は死んで俺だけ生き延びました」
面白い話ではない。聞きたいようなものでもないだろう。
「生き延びられたのは、両親が俺を庇ったからです。車ごと落下する中で庇われて、それで死なずに済んだんです。……わけが分かりませんよね、一緒に死のうとしたくせに、事故が起きたら思わず庇うだなんて」
机の上に置かれた炭酸ジュースから気が抜けていくのを見つめる。
食べさしの卵焼きが、机の上で冷めていく。
「車に乗るのが怖かったのは、そんなわけです。……両親が死んだときのことを被せて見ているのか、ミンさんたちがいなくなるかもと……そう、どうしても」
「……うん、そっか」
否定も肯定もなく、ミンさんはそこにいてくれる。
「そのとき救助にきた探索者の人。……鳥居って人がいるんですけど、どうやらカモメの両親と同じ組織に入ってるみたいで。……気持ちに整理を付けないと、向き合うことが出来なさそうで。それで、こんなみっともない泣き言を口にしてるんです」
「そんなことはないよ。……みっともなくない」
珍しく、ミンさんが否定する言葉を口にする。
「車に乗るのが怖いとかもかっこ悪くて」
「かっこ悪くないよ。それでいいと思う」
「……俺が嫌なんですよ。ミンさんの前で、弱いところを見せるの」
思わず口にした言葉。ミンさんは俺をじっと見て、それから表情を緩ませる。
「そんなので嫌いになったりしないよ?」
「……かっこいいって思われたいんですよ」
「見栄っ張りだなぁ」
見栄っ張りだろうか。可愛い女の子の前でかっこつけるのぐらい普通だと思う。
ミンさんを見る。
表情は小さいけれど、見ていて心地よい綺麗な顔立ち。
思わず視線を追ってしまったり、小さな声の言葉を捉えようとその唇の動きを見つめてしまう。
「……向き合えなくて、いいよ」
「いや、ダメじゃないですか?」
「……死なないから、せーふ」
いや「せーふ」って……。そういうものだろうか。
「車に乗らなくても、恩人と向き合わなくても。よわいままでも、かっこわるくても」
「……逃げて、弱かったから、両親はそうなったんです」
「違うよ」
俺の言葉を、ミンさんはハッキリと否定する。
「ご両親は何も悪くなくて、運が悪かった。理不尽な目にあっただけ」
「……」
「……そうじゃないと、辛いから」
ミンさんの手が俺が置いていた箸を取って、卵焼きを摘む。
「正しいとか、正しくないとか。分からないなら……藤堂くんが、辛くない方を思おうよ。両親を責める必要はないし、車には乗らなくても生きていけるし、恩人とも仲良くしたまま問題を解決出来る。……私は、そうだと思う」
少し冷めた卵焼きが口元に運ばれて、パクりとそれを食べる。
時間を置いたからか、先程よりも甘く感じる。
「……人って矛盾してるものなんですね」
「……?」
「すみません。なんだか、俺、大丈夫そうなんです。逃げていいって言われて……急に、逃げなくても平気そうになって」
ミンさんは少し驚いて、それから少し嬉しそうに微笑む。
「……そっか、なら、よかった」
「ぐだぐだですね、申し訳ない」
「ううん、嬉しいよ。……あーん」
「それは……その、甘やかされているみたいで恥ずかしいんですけど」
流されるままに口を開くと、ミンさんは俺の口に卵焼きを入れる。
「頑張ってもいいけど……頑張らなくてもいいからね」
「はい。……そういや、ミンさんって普段何の音楽聴いてるんですか?」
「ん、色々……聴いてみる?」
ミンさんの好きなものを聴いたり、ちょっとした雑談で笑ったり、夜の時間はゆっくりと過ぎていく。
あまり騒いでいるわけでもないけど、眠るのが惜しくて夜更かししてしまうぐらい楽しい、不思議な時間だった。
朝、目を覚ますと、どうやら二人揃ってソファで寝落ちしていたらしく、俺たちの姿を見たカモメが呆れたように俺に言う。
「トウリ、君っていつか女に刺されそうな男だよね」
「なんでだよ……」
「いや……うん。ダンジョンにポーションって便利なものが落ちてることがあるらしいから、高くても確保しておいた方がいいと思うよ」
真剣な表情でカモメは言う。
……えっ、マジで刺されると思ってるの?
「ところで、今日、例の団体に潜入するということでいいかな」
「ああ、ゴールデンウィークの間には決着をつけたいから急がないとな。……カモメの紹介で潜入するとしても、時期が時期だからな。警戒されにくい言い訳は必要か」
「そうだね。みんな多少気が立ってるし、いくら空間系スキル持ちとは言えど、露骨に探りに来たと思われるのもマズいかな」
俺は身体を起こしながら、眠たそうに目を擦るミンさんの肩を支える。
「一応の確認だけど、カモメは元から俺を誘うように言われていたんだよな」
「……うん」
「その設定に乗っかるのが一番自然か。団体の理念がどうとかは白々しいしな。……歳下の女の子に誘われて、下心ありでホイホイついてきたチャラいナンパ男……ってところが妥当か」
「そうだね。って……」
「ん、どうした?」
バカっぽい演技とか出来るだろうかと考えていると、カモメは「おお」と俺を見て言う。
「女好きなチャラ男の演技、完璧だね。めちゃくちゃ上手いよ」
「まだなにも演技してないんだよなぁ」
そんなやりとりのあと、カモメはボソリと小さく、けれども俺に聞こえるように言う。
「……こんな生意気なの、見捨ててもいいと……僕はそう思うよ」
「ああ、そうかい。……見捨ててもいいことぐらい分かってるよ。けど、見捨てる気はないってだけで」
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