第22話:チュパカブラ

「トウリ、会計してくるから財布貸して」

「結構買ってるから服といっても重いだろ。一緒に行くぞ?」

「……スケベやろう」

「なんでだよ……」


 カモメにゲシゲシと脚を蹴られていると、ヒナ先輩にちょんちょんと服を引っ張られる。


「あの、ほら、下着とかもあるから」

「ああー、そういうの気にするんだな」

「僕をなんだと思ってるんだい」

「いや、まぁ……クソガキ、と」


 カモメの膝が俺の太腿を捉える。

 くっ……初対面で失礼なことをして暴れて泣いて、服が埃まみれでダメになって買いにきたんだからクソガキでいいだろ……!


「トウリくんは服買わなくていいの?」

「あー、まぁ、あんまり一日でお金を使いすぎると金銭感覚狂いそうなんで。探索者、学生でも金の出入りが激しいから変になりそうですよね」

「あー、人によっては散財しちゃったりするから気をつけた方がいいよ」

「ですね。俺も妹がいるから、そういうのには気をつけないと」

「トウリくんにはたぶん妹いないと思うよ。……元気ないけど、大丈夫?」


 一瞬、誤魔化そうとしてしまってから、心配そうなヒナ先輩の顔を見て思い直す。


「……カモメ、幸せになる方法あると思いますか? 会ったこともない男のところに二つ返事で泊まらせるとか。……見捨てられてますよ、あれ」


 ヒナ先輩は黙って、レジに向かうカモメの方を見る。


「……そうとも限らないかも。スマホも持ってるし、特別痩せてもないし」

「常識は捨ててないってだけでしょう。反抗期真っ只中の年齢で、実際俺にはそういう態度なのに。親には「悪いことしていても捕まってほしくない」って大泣きですよ。……親に愛されていない子供の典型でしょうよ」

「……うん」

「助ける。……と、決めたはいいけど、カモメの望み通りに事が運んでもカモメが笑える終わり方にはならないわけで」


 ……というか、親が所属してる宗教団体が潰れてメンタルがおかしくなれば、カモメは余計に大変なことになるだろう。


 かと言って親が捕まったらいいという話でもない。おおよそ話だけ聞いて不起訴になるだろうが、警察に色々と探られるだけでも社会的な問題は出てくるだろうしストレスもあるだろう。


 ……正直、助けられる見込みがない。

 ゴールデンウィークのような長期休暇の間ならまだしも、平日に預かったりは出来ないしな。


「……どうしたものでしょうか」

「……分からないけど、カモメちゃんには伝わってると思うよ。トウリくんが悩んでくれてるの」

「そうでしょうか……。めちゃくちゃ蹴られましたけど」


 ヒナ先輩はクスリと笑う。


「……助けに来てくれた人がいるのは、助けられなくても、救いにはなると思うんだ。……それだけで嬉しくて、ひとりじゃないと思えて」

「……。ヒナ先輩って大人ですね」

「先輩だからね」

「俺は後輩で子供なんで、もうちょっと考えてみます」

「うん。私も出来ることはするよ。おーい、カモメちゃーん、次は夕飯買いにいくよー。お菓子も買っていいよ」


 たぶん、ヒナ先輩の言ってることが正しいのだと思う。


 結局のところ、親に愛されていないというのが辛いという話に帰結するのであれば、人の心なんて操れないのだし、操ってはいけないのだからどうしようもない。


 ならばせめて隣にいてやれたら、という結論は正しいし優しい。

 ……それがわかってるくせにもがきたがるのはきっと……どうしようもないことで思い悩んでいる俺自身をカモメに被せて見ているからだ。


 妙案を探しながら、みんなと合流する。

 カモメの方をぼんやりと見ていると、カモメはそれが嫌そうな表情をする。


「……トウリ、そのスケベそうな顔をやめられないかな?」

「生まれつきだ。……前にも言われたんだけど、そんなにスケベそうな顔してるのか? してないよな、佐倉」

「一番否定してくれそうな人を選んで聞いたね、この男」

「えっ……。し、してないですよ。全然」

「どもってるね」


 佐倉、なんでこっちを見てくれないんだ。


「トウリ、あとでお金、返すよ」

「親、出してくれるのか?」

「嫌な顔はするだろうけど、常識がないわけじゃないからね」

「……それなら悪いことしたかもなぁ、金を使わせて」

「服、元々足りなくなってたからありがたいよ」


 ……なんだかなぁ、と、思ってしまう。


 カモメの隣を歩いていると、カモメはポツリと口を開く。


「……スキルが精神の影響を受けているというのは、俗説だけど、スキルを持ってる人はみんなそう言うんだよね」

「……まぁ、多少はな。俺の場合はそう感じさせられるところが多いのは事実だけど」

「きっと僕はアレなんだろうね」


 黒いヘドロの化け物の姿を思い出す。

 醜悪という言葉がどうしても浮かぶ変身体。


「……そんなことはないだろ。会ったばかりだけど、そんなやつとは」


 俺の言葉をカモメが遮る。


「僕が……そうだと思うんだ。妬みや嫉みが多く、不平不満とわがままと。人よりも醜い性根をしていると、僕自身が思うんだ」


 俺が言葉を探しているあいだにもカモメは続ける。


「隠していた悪い点のテストを見つけられたみたいな、そんな話なんだよ。きっとさ」

「……違うな」

「へ?」

「違う。カモメの言ってることは間違ってる」

「えっ、いや、でも……」

「違う。とりあえず、違うから」

「り、理屈とか」

「ない。けど、そりゃ違うだろ。悪いやつじゃない。俺がそう思うから、そうなんだよ」

「お、横暴だ……」


 結局、理屈も何も思い浮かばない。

 けれども否定はしなければと出した言葉は、案外カモメには嬉しかったのか、くすりと微笑む。


「トウリはバカだね」

「バカだけど、変な思想を持ってるよりかはマシだろ。スキルで人格が分かるとかバカバカしい」

「……ごめん」


 なんで急に謝られたのかと思うと、カモメは言葉を続ける。


「……客観的にいい親じゃなくても、あんまりそう言われると不快なものだね」

「……俺も悪かったよ」

「まぁ……うん。でも、そうだね。心なんて目で見えないものを考えても仕方ないかもね」


 カモメはせつなげな笑い方をしてから、誤魔化すように笑う。


「僕は……目で見たことがないものを信じないタイプだからね。幽霊は存在しないし、UFOもない」

「そうだな。幽霊みたいなもんだ。心とスキルがどうたらなんて」

「あとアメリカも実在しない。見たことないし」

「それはベクトルが違わない? あるよ、アメリカは見たことなくても、そこにあるんだよ」

「ツチノコとチュパカブラは実在する」

「見たことあんの!?」


 丁寧に服を買ったときのレシートを折って仕舞うカモメを見て、一度目を逸らしてからもう一度目を向けて尋ねる。


「……俺のスキル、誰から漏れたか分かるか? 探索者の誰かかと思うんだけど」

「僕の両親は下っ端だから分からないかな。探索者の会員も結構いるみたいだし。どうしたんだい、急に」

「……鳥居って人はいるか?」

「んー? 聞いたことはないけど、知り合い?」


 恩人。という言葉を飲み込んでから軽く頷く。

 ……連絡先はもらっているし、確かめてみるか。気は進まないが、土壇場で会うのよりかはマシだろう。



 ◇◆◇◆◇◆◇


 夜になって、湯で温まった身体を冷ますようにスキルの扉を潜る。


 スマホの電話帳に一応は登録したものの、一度として掛けていない電話番号。


 「いつでも掛けていいからな」と言われはしたものの、それが社交辞令であることは幼い俺にも分かっていたし、当然掛けるつもりはなかった。


 けれどもスマホに登録していたのは、お守りのようなものだ。

 助けてくれた探索者から幼い頃に握らされた電話番号のメモ帳は、掛けてはならないものでありながらも、けれどもあるだけで心強かったのを覚えている。


 息を吸って街中の夜空を見る。

 ずるり、壁に背をもたれさせて、ずるずると落ちていく。


 掛けたかったけど掛けられなかった電話番号は、今は掛けたくないのに掛けなければいけないものになっていた。


 数回の簡単な操作で、呆気なく呼び出し音がかかる。

 探索者だし、圏外にいる可能性は高い。


 というか、あちらは俺の電話番号を知らないわけなんだから迷惑電話と思って無視されるかも。


 そんな期待は電話が繋がったときの「っ」という音に呆気なく掻き消された。


『もしもし、鳥居です』


 低い男の声。一瞬たじろいでしまいながら、コール中に考えていた言葉を口にする。


「……藤堂です。八年ほど昔、迷宮で助けてもらった子供です」

『八年……ああ、あのときの! そうか、すっかり大人の声だからびっくりしたよ!』

「すみません。急に電話なんてして」

『いやいや、いつでも掛けていいって行ったのは私だろう。というか、今いくつだ? 中学生か?』


 歓迎してくれている言葉に少し安心する。


「いえ、今年から高校生です」

『そうか! それはおめで……』


 と、祝いの言葉を述べようとした電話先の彼は、何かに気がついたかのように言葉を止める。


『……今になって電話を掛けてくれたのは、もしかして探索者学校に入ったのかい?』

「ああ、はい」

『そうか、それは……』


 彼は言葉を詰まらせて、それから取り繕うように言う。


『中学校、卒業おめでとう』


 今の話の流れからは少しだけ妙な言葉に一瞬だけ驚いて、それから電話の先に頭を下げる。


「ありがとうございます。鳥居さんのおかげです。……それで、少しだけ聞きたいことがあるんですけど。選心学党……って、知っていますか?」

『……あ、ああ、聞いたことはあるよ。探索者相手に熱心な勧誘をしている新興宗教だね。ああ、もしかして勧誘されたのかい? あまりオススメはしないかな』

「……そうですか。いや、最近関わる機会がありまして、実際どんなところなのかと。ダンジョン関係の慈善事業とかもしているようなので、慈善活動をしている鳥居さんも知っているかと思ったんです。それならあまり無礼には出来ないかと思って」


 俺がそう言うと、少し食い気味に彼は言う。


『そうか……。いい噂は聞かない連中だ。関わらない方がいい』

「……はい。じゃあ、そうします。すみません、急に電話なんて」

『いや、ありがとう。声を聞けて嬉しいよ』


 それから少しだけ話して電話を終える。


 ずるりずるり、壁から落ち切って、地面に尻をつけて、近くなった地面にため息を吐き出す。


「……クロだな」


 クロだ。クロである。

 聞いたことがある程度と言っていたのに、明らかに詳しい様子だった。


 それにただの怪しい団体への拒絶というよりも、俺個人を引き合わせたくないという意図が見えた。


 ……嘘が下手な人だ。相変わらず、いい人そうだった。


 彼から俺の情報が伝わったのは確かだろうな。

 けど、カモメでさえ知っていた俺の入学のことを知らなかったところを見るに、少なくとも幹部格ではなさそうだ。


 カモメが俺のことを知っているのはカモメの親経由だろうことを考えると、カモメには比較的歳の近い異性として籠絡の役割のようなものを期待されていたのかもしれない。


 ……まぁ、それはどうでもいいか。


 夜の風を浴びてぼーっと遠くを見る。

 ……何故、入学おめでとうとは言ってくれなかったのだろうか。

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