第17話:悪い両親

 ……悪い人ではないんだけどな。

 元担任の女性のことをそう思う。


「ほら、藤堂くんっていい子だから、探索者学校みたいなところは大変でしょ?」


 なんて言葉は、尊敬する先輩や憧れた会長を否定するもので、俺のことを思ってのものでも頷く気にはなれなかった。


 「マトモな家の子も少ないみたいだしさ」という言葉も口にして、それは事実なのだろうが……まぁ、心配してくれているのだとしても楽しい気分になれるものではなかった。


 少し前まで通っていた中学校。

 楽しくないわけではなかったが、なんとなくの異物感を感じていた。


 その理由が卒業した今になって分かった。


「……ああ、気を遣われていたんだな」


 担任の教師が俺の家庭の事情を知らないはずもなく、それなりに俺のことを考えてくれていた故の言葉だろう。


 「親がいない家庭の子だからちゃんと見てやらないと」という優しく善良で職務に忠実な教師だから、先程の言葉が出たのだろう。


 深いため息を吐くと、背後から足音が聞こえて振り返る。中学校の制服を着ているあどけない少女。


 あまり生徒数の多くないこの学校で、俺が見たことないということは新一年生だろうか。

 顔立ちの幼さと制服の真新しさからしてもそうだろう。


 忘れ物でもしたのか? 死体が発見されてからそれなりの期間休校になって、そのままゴールデンウィークに入ったのだから、最後に学校にきたのはかなり前のはずだが……。


 俺が考えていると、少女は端正な顔を俺に向ける。


「やーやー、こんにちは」


 少女は俺に笑いかける。


「……俺に何か用か?」


 そう尋ねてから、自分の言葉がおかしいことに気がつく。

 俺が今日ここに来るのなんて誰も知らないのだから、俺を訪ねて来るとしてもここにやってくることはないだろう。


 なのに、俺は何故か「この少女は俺に用があってやってきた」そう確信してしまっていた。


 少女は切れ長の瞳を俺に向けてニコリと笑いかける。


「君はこの捜査を諦めている。と、思ってね」


 何故知っているのだろうかと思いながらも軽く頷く。


「……まぁ、個人の衝動的な犯行かと考えていたが、思ったよりも組織的なものだったのかもとは思っているけど。それで、何の用だ?」


 正直に話したあと、少女を見る。

 特別なところは見えない普通の子だ。


「ヒント、教えようかなって」

「いらない。何かあるなら警察にいけ」

「……釣れないね」

「そりゃそうだろ。怪しいにもほどがあるし、普通に考えて何かあるなら警察に連絡するだろう。そうしないということは後ろ暗いことがあるか、しょうもない虚言か。どちらにせよ俺が聞いてどうにかすることが……」


 そう俺が話していると、少女は俺がそう答えることを予期していたように言葉を返す。


「両親がさ、陰謀論者でさ」

「……どうしたんだ急に」

「変な組織に加入してて、その組織の一員がやらかしたのを組織絡みで隠してる感じなんだよね」


 怪しい少女の怪しい発言。

 信じる理由もないし、聞くつもりもなかったが、思わずそれに耳を傾けてしまっていた。


「実行犯は両親じゃないけど、巻き込まれて捕まる可能性は十分にある。バカなカルト組織に入ってる陰謀論者の親だけど、それは嫌なんだ。それが警察ではなく、君に声をかけた理由」

「……俺のことを知ってるのが妙だろ」

「それはその陰謀論者の集まりの組織が君を調べてるからだよ。というか、崇拝かな。信仰対象に近いかも」

「…………は、はぁ?」


 俺が思わず素に返って反応すると、少女は「だよね」と頷く。

 ちょいちょいと手招きされて、仕方なく近くによると、少しいい匂いがする。洗剤の匂いだろうか。


「哲人政治……って知ってる?」

「あー、大昔の哲学者が提唱していた政治体系で、要はすごい人が独裁する方が民主的に決めるのよりも意思決定も早いしいいだろうというやつだろ?」

「そうそう。けど、 実際にはその哲人を正確に選ぶのは無理だし、選ぶ人の意見に左右される……まぁ、議会制とか間接民主制と変わらないわけだ」


 それがどうしたのかと思っていると、少女は呆れた表情で言う。


「スキルは精神が形作るもの……ということは、スキルを見ればどういう人物かはなんとなく分かるわけで。その中で空間に関するスキルを持つ人は強い意思を持っているとかなんとか……」

「血液型占いガチ勢みたいなもんか」


 俺がそう言うと少女は「ぷっ」と噴き出す。


「まぁ、そんな感じかな。それで……頼みたいんだ、君に」


 知らない組織だが、そこでの立場が強い俺ならある程度言うことを聞かせて……この子の親を庇いながら犯人を捕まえられるということも出来るという算段だろうか。


 言いたいことは分からないでもない。


「……遺体の状態。俺のスキルなら再現出来るからという理由で俺に話を聞きにきたやつがいてな」

「ご迷惑をおかけしました」

「いや、それはいいんだ。けど、まぁ、そういうことだろ。わざわざその組織が庇うような奴で、俺に近しいことが出来るスキルの持ち主」


 ……つまり、俺と同じ空間系のスキルを持っている奴がいて、そいつの仕業というわけだ。


「人を殺すような人物で今も自首するつもりはなく、殺人を隠し通すのではなく意図的に露見させる人物。……ろくでもないやつだ。俺がいっても抵抗されて戦闘になる可能性が高そうだ。……同情はするが、まぁやっぱり警察に話すべきだな。今どき、私闘で解決するものでもないし。そもそも、親も関与してるなら捕まるのも仕方ないだろ。俺が君のために動く義理はない」


 少女は俺のことをじっと見て呟くように言う。


「……悪い人でも、庇ってくれるかもしれないと思ったんだ」

「なんでだよ」

「……無理心中に巻き込もうとした両親。その墓参りを毎年行ってるって聞いたから。悪い人でも優しくしてくれるかなって」


 頭の中で、何かが弾けるかのような感覚があった。

 自分が怒鳴り散らそうとするほどの怒りを覚えたことに気がつき、それを自覚したからこそに押し黙ってその怒りをやり過ごす。


「……悪人じゃない。俺の親は。いい親だった」

「えっ、でも、君を殺そうとしたんだよね? 別に人に預けて自分達だけで自殺するとか出来たわけなのに」


 心の中の崩れて壊れかけているところに無遠慮に触られる不快感。


 おそらく、この少女は頭が良いのだろう。


 親の馬鹿さが簡単に分かり、そのやらかしを誤魔化すには公的機関ではなく私人を頼るべきで、その中で一番適切なのが感情に左右されやすい若者の俺であると見抜き、頼りにきた。


 目的に対して正しい行動をしている。

 影響力ならコウモリとかの方が大きいだろうが大人がそんな話を聞かされても「なら庇ってやろう」とはならないだろうし、馬鹿なガキである俺を選ぶのは正しい。


 だが……。


「不愉快だ」

「えっ、な、なんで?」

「当たり前だろ「コイツは悪人でも庇うやつだから利用してやろう」なんてことを真正面から言われて楽しい奴がいるかよ。しかも俺の個人情報が出回ってるようだしな」


 どこから漏れたのか。

 何にせよ、人に知られて楽しいような話では到底ない。


「警察に行って内情を話すべきだ。余罪が多くなければちょっと匿ったぐらいなら大丈夫だろ」

「……僕にはあんまり優しくしてくれないんだ」


 失望の目が向けられる。


「悪い両親にも、優しくするくせに」


 俺が思っていたのとは違う反応に少し戸惑うと、少女の顔がドロリと、溶ける。


「……は?」


 スキル? あの年齢で?

 スキルはダンジョンでしか手に入らないものであり、ダンジョンへの侵入は制限されている。


 俺のような特殊な事故でもない限りは本来得られないはずで……。


 ……探索者の協会でも確認されていない、俺以外の空間系スキルの使い手と同じルートだ。


 少女の語る両親が所属しているカルト団体が、公的に発見されていないダンジョンで人にスキルを得させている。


 ドロドロと、黒いヘドロのような醜悪な姿に姿を変えていく少女を見て、気づく。気づいてしまう。


 この子、スキルで人間性が分かると考えている両親の元にいて、このスキルを得たのか?


 この醜悪な変身を見て、この子の両親は何を思ったのだろうか。

 醜悪なヘドロに、娘の精神をどう映したのか。


 黒いヘドロによる突進。

 大して速くもなく避けることは容易……けれども、避けるという行為に気が進まない。


 俺はそのまま受け止めるように吹き飛ばされて、窓ガラスを突き破って四階から落下する。


 その途中、手で虚空を掴み、スキルを発動させる。

 スキルの扉を床のように生み出して、そこに立つ。


 ……「悪い両親にも、優しくするくせに」という言葉が頭の中で反芻される。


 ああ、間違えた。……優しくしてやった方がよかった。


 化け物のような姿になった少女を見て、そう思った。

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