第15話:また一歩

 佐倉を家まで送ったあと、コウモリからもらったメモにある場所にやってくる。


「……喫茶店か。小洒落てんなぁ、コウモリなのに」


 と言いながら入ると、奥の席にコウモリの姿が見える。


「おー、やっときたか」

「ああ、待たせて悪い。今度ハンバーガー奢るよ」

「お前やっぱり俺のこと食べ盛りの高校生だと思ってない?」


 俺がコウモリの隣に座ると露骨に嫌そうな表情を向けられる。

 四人掛けなんだから仕方ないだろ……。


「それで、どの程度なら俺たちに見せてもいいんだ?」

「んー、あー、まぁ、警察からもらった資料はダメってところだな。普通に噂になってる部分ぐらいなら問題はない。というわけで、ほら、警察の調査資料」


 バサリ、とコウモリが俺に紙束を渡し、俺がそれに目を向けるとヒナ先輩は「ええ……」と声をあげる。


「い、いいんですか?」

「ダメに決まってるだろ。資料の横流しなんて」


 ヒナ先輩のもう一度「ええ……」という言葉を聞きながら、俺はコウモリに言う。


「行方不明が二週間前で、遺体の発見が一週間前、直接の死因は頭部への複数回の打撲、抵抗の様子あり……。これ、確かなのか? だいぶチグハグに思えるけど」

「スキルとかで細工されてなければな」

「あ、普通に続けるんですね……」


 おそらく素手による撲殺……とのことだが、抵抗のあともあるのが不思議だ。


 探索者なら武器ぐらい持ってるだろうし、即死ぐらいなら簡単に狙えるだろう。


 それが出来ないほどの衝動的な犯行……にしては、殺したあとにスキルで隠すだけではなく学校の中という目立つ場所に置いたりなどの計画性も見える。


「……たぶん、個人じゃないんじゃないか? 思惑が絡んでる感じがある」

「あー、まぁそう見えるけど、こういうの何も考えてないだけとか、単にアホだとかのパターンもあるんだよな。人間って合理的じゃないもんだし」

「……そんなもんか?」

「よくある話だ。まぁ、どうかは分からないけど。推理するときは脳内でストーリーを作るのは悪手だ。確証バイアスと言ってな要は自分の作ったストーリーに都合のいい物ばかりを見つけてしまって事実とは異なる思い込みをしてしまう」

「……了解。でも、何かしら当たりをつけないとなぁ。調査するにも手がかりがない」


 コウモリはコーヒーを口にしてから資料にある中学校の名前に指差す。


「なら、そこに行ってみたらいい。調査は現場が基本だし、お前の目的もそこに通う生徒の保護だろ? 卒業生だし入る許可も簡単に降りるだろ」

「……まぁ、そりゃそうか。コウモリもくるよな」

「あー、いや、俺は他の探索者に当たってみる。スキルやらなんやらに関しては探索者に聞くのが一番だ。時々未発見ダンジョンを報告してないアホとかいるしな」

「了解。……何か調べてきてほしいことはあるか?」

「あー、スキルの痕跡みたいなのがあれば。お前も空間系なんだからなんか分かるかもだし」

「適当だな。ああ、先生にも会ったら「コウモリもよろしくって言ってた」と伝えとくな」

「知らんおっさんによろしく言われたら先生も困惑だろ。じゃあ、学校までは送ってってやるから。帰りは自分たちで帰れ。母校なら道は分かるだろ」


 送る……。車に乗る必要があるということだろう。

 正直断りたいが……けれども、克服しなければならないだろう。


 いつまでもウジウジしてはいられないと頷く。

 会計を済ませて「近くの駐車場に車を停めているから待っとけ」というコウモリの言葉に頷いて喫茶店の前で待つ。


 ……脚が震えてくる。


「トウリくん……」


 平気? と言いたそうなヒナ先輩の瞳。

 トラウマと呼べるものなのか、ただの車が乗ろうとした瞬間に非常に恐ろしく感じる。


 ヒナ先輩の目を正面から見れずに視線を落とすと、ヒナ先輩の細い脚が見える。


 ……ヒナ先輩も、大怪我をして恐ろしかったはずなのにそれを乗り越えているのだ。


 息を吐いて、吸って、また吐く。


「……先輩、初めて会ったとき、脚を見せてくれたじゃないですか?」

「えっ、う、うん。今思うと、ちょっと恥ずかしいことしちゃったかも」

「また見せてくれることって出来ませんか?」


 俺の言葉を聞いたヒナ先輩は体を硬直させて、顔を赤くしていく。


「えっ、あ、そ、それは、その……み、見たいの? な、なんで?」

「……今、見たら元気になる気がするんです」

「見たら元気になるの!? い、今は元気にならない方が……その、えっと、帰ってからじゃ、ダメ?」

「……ダメですか?」

「……わ、分かったよ。……その……えっと、あとで、写真とか、送ろっか?」

「写真? えっと……」


 と、話している間に気がつく。

 乗車への恐怖で気が付いていなかったが……これ、とてつもないセクハラをヒナ先輩にかましたのではないだろうか。


 どうしようと冷や汗を流しているとちょこちょことヒナ先輩に引っ張られて路地裏に入り、顔を赤くした先輩が自分のスカートを握る。


 ゆっくりとたくしあげられたスカートから伸びる白い脚が見える。

 見えている範囲は問題ない程度……。ふとももの半ば程度で、元々スカートが短めの女子ならいつでも見えているぐらいだ。


 けれども、ヒナ先輩が自分からたくしあげて見せてくれているという事実のせいで妙な気分が高まる。

 それを落ち着かせながら、ヒナ先輩に言う。


「……こ、これでいい?」

「……先輩はダンジョンで怪我してから、ダンジョンが怖くならなかったですか?」

「……へ? あ、あ……そ、そういう……わ、私てっきり、変な気持ちになっちゃったのかと……か、勘違いして……」


 ヒナ先輩はそう言いながら恥ずかしそうにぱっとスカートを戻す。

 俺はヒナ先輩にだけ恥をかかせてはいけないと考えて慌てて話す。


「い、いや、なってました、変な気分に。なんで間違いじゃないです! ありがとうございます!」

「そ、そうなの? なら、えっと、よかった……? んっ、そ、それで……怪我したときは、うん、怖かったよ。脚は震えるし、息も出来なくなって」

「克服、どうやってしました?」


 ヒナ先輩はまだ赤さの残った顔を俺に向ける。


「……慣れた、かな。苦手なのに。たぶん、ずっと怖いのは怖いままだと思うけど、怖いのに慣れた」

「そういうものですか」

「人によるかもだけどね。トウリくんは、怖いの? 車」

「……はい。昔、ちょっとあって」


 ヒナ先輩は俺の方を見て、手を握る。


「……頑張らなくてもいいよ?」

「……いえ、今、ヒナ先輩に元気をもらったので、頑張れそうです」


 コウモリの車が近くに停まり、俺はそれに近づく。


 一歩、また一歩。足の感覚がないけれど、前に進めている。

 扉を開けて、倒れるみたいに中に入って、息を吸う。


 まぶたの裏に浮かぶ、あの日、あの時。


 車に乗るのが怖かったのは……父と母が大好きだったからだ。


 あの日のようにまた失うのが怖かった。

 俺の中で喪失の象徴となっている車が怖かった。


 ……ああ、たぶん、きっと、中学生の頃なら車に乗るのが怖くなかったのだろう。

 あるいは、ヒナ先輩やミンさんと一緒でなければ平気だったのかもしれない。


 車に乗るのが怖い。乗った今でも怖い。

 けれども、その恐怖の根本を理解した今になっては……その恐怖を受け入れられる。


 ヒナ先輩とミンさんのことが、両親のように大切だから……怖かったのだ。


「トウリくん、平気?」

「……平気じゃないです。でも、よかった」


 ヒナ先輩は車の後部座席を詰めながら入ってくる。

 ミンさんも後部座席に入ってきたせいで、不思議そうに傾げる綺麗な顔が近い。


 ……表面の浅いところではなく、心の底からふたりが大切なのだと理解出来た。この喪失の恐怖が大きければ大きいほどに、それが確かなものなのだと。


 だから……少し、この恐怖が心地よい。


「なんで助手席に座らずに三人とも後ろに行くんだよ……。子供か……?」

「……ああ、子供なんだよ。俺は」


 コウモリが「なんだそりゃ」と言いながら車を発進させる。


 車の揺れに合わせてヒナ先輩と肩や脚が触れ合う。


 ……そういや、昔は好きだったな、車に乗るの。

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