山本ヒナ
迷宮探索者は社会に必要な職業だ。
不思議な力の技術研究のためや、あるいはモンスターが溢れ出さないよう間引くためにいなくてはならない。
流血表現やあるいは死すら伴うダンジョン配信が許されているのは……言ってしまえばプロパガンダである。
政府がそれを奨励しているから許されているのだ。
けれども平和なこの国で、強くなれればヒーロー扱いされるとは言えど探索者になりたがる人はそう多くない。
だから、普通には生きられない子供をそこに行かせるための学校がこの学校だ。
建前としては子供達の自由意思の元だけど……父がいない、母がいない、あるいはそのどちらもいないのがほとんどのこの学校の生徒を見れば、どれほど「自由意思」が醜いものか分かるだろう。
……私、こと、山本ヒナは探索者である。
父はいるらしい。
会ったことはない。
母は男の人にフラれて死んだ。
……自殺だったけど、たぶん、本当に死ぬ気はなかったのだと思う。
構ってほしくて、心配させるためにしたリストカット、いつもしていたそれが思ったよりも血管を大きく傷つけて……なのだと、他人事のように思う。
母はいない。ずっといなかったのだ。
いたのは「女の親」であって、お母さんではなかった。
そんな……この学校ではありがちなつまらない不幸だ。
両親のことは嫌いではないけど、親が死んでも涙が出なかった薄情なこの目は嫌いだ。
泣き声のひとつも出さなかったこの口は嫌いだ。
……こんな世界なくなってしまえなどと思うのは、ただただ、私が私を嫌っているのを八つ当たりしているだけだ。
夜、目を閉じて想像するのだ。
彼の人、J・ポケットマンのように国を盗ってから死ぬのは、どんなに気分が良いのだろうかと。
私は……命を大切に出来ないのだと思う、親の命も、自分の命も、あるいは他人のそれも。
思っていた。そう思っていた。
理想の死に方は「国を盗って自殺すること」なんてことを考えていたのに。
「うあああー! ばか、ばかぁ!」
命なんて……と、内心斜に構えていたくせに、後輩の男の子が遺書を書いていたというだけで、わんわんとみっともなく泣き縋っていた。
自分はそんな情に厚い人間じゃなくて、いつもはふざけているけど心の中は冷めている……みたいに思っていたのに、泣き止もうと思っても涙も声も止まらない。
悲しいとか、嫌だとか、言葉にするのも馬鹿みたいな子供っぽい感情が無限に溢れ出て、わんわんと我慢出来ずに泣き続ける。
迷惑をかけていると分かっているのに泣いていると、トウリくんの手が私の身体を抱きしめる。
初めて感じる男の人の硬い身体つき。
彼は困ったみたいに、けれど……母にも向けられたこともないような愛おしそうな瞳で私を見つめるのだ。
「ヒナ先輩、俺の負けです。……もう、こんなことしないから、泣かないでください」
それは私の憧れた「世界よ、私の勝ちだ」という言葉とまるきり反対のもので……それが嬉しくて仕方なくて、泣き止むことが出来ない私は……きっと、J・ポケットマンにはなれないのだろう。
憧れは呆気なく崩れ去って、みっともない自分が浮き彫りになる。
涙と汗でベタベタになりながらくっついて、自分の身体が溶けるみたいに彼に抱きつく。
泣いて、泣いて、疲れてぐったりとして彼の体に身を寄せる。
心臓のとくとくとくとくという音が心地よくて、嬉しくて。
少しの間、泣いたフリを続けてしまった。
「……大丈夫ですか?」
「……うん」
「……帰りますか?」
ぎゅっと、抱きしめてみる。
ポンポンとトウリくんの手が私の背中を撫でる。
「……先輩を子供扱いするなんて」
「……すみません」
「……手を止めてなんて言ってないけど」
彼は仕方なさそうに続ける。
ベタベタ、ベタベタ。お互いの体温が混じるようなはしたない肌の触れ合い。
年頃の男女でしてはいけない距離であると分かっているのに、離れることが惜しくて言い訳ばかりを考える。
「涙のあと、気になるから、暗くなるまでは」
「……はい」
下手な言い訳だ。
それは私が帰らない理由で、トウリくんが帰らない理由にはならない。
そもそも、こんな風に乗っかってくっつく理由になんてなるはずがない。
……嫌がってないだろうか。
先輩だから拒否出来ないみたいな……と考えていると、ふとももの間に何か硬いものが触れる。
「あれ、スマホ……?」
私の言葉に、トウリくんが慌てた表情を浮かべ、その枕元に彼のスマホがあることに気がつく。
なんだろうか、この慌てようは……。と思って、手で確かめてみるとぐにっとした硬さがある。
ポケットに何か入れているのかなと思ってから数秒。
トウリくんと見つめ合いながら、気がつく。気がついてしまう。
「えっ、あ、あっ、え、えっと、こ、これ!?」
「……いや、その、す、すみません」
トウリくんのポケットに入っているものではなく……これは、その、それだろうことが、知識の少ない私にも分かった。
混乱と、たぶんそんなに嫌がられてはいないのだろうという安堵の相反する感情の中、トウリくんに尋ねる。
「ど、どうしよ。ど、どうしたら……」
「いや、その、まぁ、ほっとけば大丈夫なので」
「そ、そうなの?」
言われた言葉を信じてそのままトウリくんを抱きしめているが、ふとももの間から感じる感触は変化がない。
「……」
「……」
気まずい雰囲気、先程までは「大切な人」という認識だったけれど、今は異性であることをお互いに意識してしまっている。
「……と、トウリくん」
「なんですか?」
「……えっと、その、ご、ごめんね」
「いや、その、すみません」
お互いに謝りあって、それが少しおかしくて笑う。
「ま、まぁ、その、ヒナ先輩は魅力的だからね、トウリくんは仕方ないよ」
誤魔化すようにそう言うと、トウリくんは否定せずに頷く。
ボケたつもりなのに肯定されてしまった。
余計に恥ずかしくなって離れると、汗をかいた肌に風が触れて少し身体が冷える感触がある。
身体を起こしたトウリくんは少し気まずそうにしてから口を開く。
一瞬目を伏せて、暗くなってきた外を見てから、わざとゆっくりと話すように。
「……電話、しようと思ったんです。ヒナ先輩に」
「……?」
「ダンジョンの中で、繋がらないと分かっていたのに」
「……うん」
外の暗さに気がついているのに、まだ私は帰ろうとしない。
剥がれた言い訳から目を逸らす。
ヘタクソな格好悪い自分を理解して、やっぱりそれからも目を逸らす。
ミンちゃんと仲がいいし、もしかしたら二人は両想いかもしれないのに、分かっていながら目を逸らす。
……私は、この目を逸らしてばかりのこのことを、たぶん恋と呼ぶのだろうと、そう思った。
「話したかったんです。ヒナ先輩と」
苦くて、痛くて、間抜けで、カッコつけていた自分がボロボロで。
「うん、私も……話したかった」
なんて──大犯罪者に憧れていた私がまるでいなくなったみたいに。
世界に勝てなくていいだなんて、当然のことを思うのだ。
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