第36話:大粒の涙
入学して三度目になる保健室のベッドの上で、会長と高木先輩からガミガミと叱られる。
「もう終わった話じゃないですか……。それにリーダーのコウモリにも話はつけてましたし」
「僕はね、一緒になら無茶をしようと話していたんだ。君ひとりにそれをさせることも、自分が安全な場所にいることも、何も認めていないし、これからも認めることはない」
「……そもそも、藤堂くんが黙ってそれをしたのは、私たちが絶対に許可しないことを分かっていたからですよね。なのに終わったことだからって許してほしいというのは都合が良すぎませんか?」
正論で……正論で責めないでほしい。
あの場では仕方がなかったのだ。
まぁ怒るのは分かるし……と、仕方なく怒られたままでいると、二人合わせて一時間以上もの間小言やら何やらを言われ続けた。
生徒会の仕事があるからと、二人が去ったので俺も保健室から帰ろうとしたところ、入れ替わるように小柄な男が中に入ってくる。
「よ、たっぷり絞られたみたいだな」
「……コウモリ。お前も一緒に怒られるべきだろ」
「流石に子供に叱られるのは勘弁してくれ。にしても、ドラゴンとオークのユニーク個体の魔石を確認したが、間違いないな。よく倒したな……いや、マジで、単独でドラゴン討伐とか初めて聞いたぞ」
感心というよりかは引いているような表情でコウモリは言い、俺は首を横に振って否定する。
「その二体が殺し合って、俺は漁夫の利を得ただけだ」
「銃弾使い切ってただろ。槍も折れていた」
「それっぽっちで倒せる相手でもないだろ」
「……まぁ、そりゃそうだ。まず攻撃手段が足りないな」
コウモリは納得したのかしてないのか、へらりと笑う。
「ドラゴンの魔石とユニーク個体の魔石なんだけど、普通に売るのよりかは研究機関に渡した方が喜ばれると思うんだけど、どうする?」
「値段の違いは?」
「普通に売る場合も研究機関に渡す場合もどっちも時価。レアすぎて相場がない」
「普通に売る方が金になりそうな気がするな……」
俺がそう言うとコウモリは微妙に嫌そうな顔をする。
「不都合とかあるのか?」
「いや、ほら、研究とか終わったら、大学とか公的機関とかの目立つ場所にバーンって飾られるぞ、バーンって。値段の差がちょっとならそっちの方がよくないか?」
なんだその謎の欲望は……。
「まぁ、売るにも時間がかかるから考えといてくれ。あ、普通の魔石の分はすぐだからあとで山分けしたのをそっちの会長に渡しとくな」
「ああ。……いや、飾られる方でいいや、少し安くなっても。……たぶんそっちの方が喜ぶ」
「喜ぶ? 誰が?」
「……さあな」
コウモリが去ろうとしたとき、保健室の扉が開いて小さな人影が見える。
「あ、ヒナ先輩。今から寮に帰るところだったんで、一緒に帰りますか?」
「トウリくん、怪我をしたって聞いたけど……平気なの?」
ヒナ先輩はコウモリにぺこりと頭を下げてから俺の方にやってくる。
心配そうに俺の体をじっと見たあと、ホッと胸を撫で下ろす。
「よかった……。トウリくん、また無理をしたのかと思って」
「……しませんよ、無理なんて」
安心した様子のヒナ先輩に本当のことを言えずに笑って言葉を返す。
先程まで死にかけていた……というか、高木先輩がいなければ間違いなく後遺症が残るような怪我をしていたことや、その怪我でさえ「その程度で済んだ」という幸運の賜物だったことなんて言えるはずもない。
笑って誤魔化そうとするとコウモリが小声で「……ああ、この子か」と口にしてから、懐から紙の束を取り出す。
「預かってた遺書返すな。あと病院行って検査受けろよ。スキルで治ったとはいえ死にかけていたんだから」
ばさり、と、俺が寝ていたベッドの上にそれが放られ『山本ヒナ様』と書かれたそれが、先輩の目に入ってしまう。
コウモリはそのまま保健室から出ていき、俺が止める間も無くヒナ先輩がその紙を開いてしまう。
「……トウリくん」
「いや、その……怪我は、したんですけど、無理は出来る限りしないようには……」
小さな手に持たれていた紙がクチャ……と音を鳴らす。
大きな瞳から溢れ落ちる大粒の涙。
ぼたりぼたり、大きな涙が落ちていく。
「そ、そんなに、泣くほど気持ち悪かったですか?」
俺の言葉に反応して、抵抗できないほどの強い力でヒナ先輩に押さえつけられて、ベッドの上に起こしていた身体が押し倒される。
小さい身体の割に力が強いのはスキルの影響なのか、それとも……。
俺の頬に先輩の涙が垂れる。
ぽたり、ぽたり。目は泣いているのに、口元は怒ったような歯が見えた。
ヒナ先輩の顔がとても近い。
泣き崩れているのと、怒っているのと、どちらとも取れないような表情。
保健室の白くて眩しい電灯が、覆い被さったヒナ先輩に遮られて視界が暗く染められる。
「気持ち……悪いなんて……っ!」
言葉を探すように、口を開けては閉じて、けれども何も見つからないのか、俺に跨ったまま彼女は言う。
「ばか、ばか、ばかっ……! ばかやろう!!」
人の悪口なんて言い慣れてないのだろう。
語彙があまりに貧弱で、まるっきり幼い子供のようだ。
「ごめん。……ごめん、ヒナ先輩」
荒い息で、また何も言うことが出来ないみたいに嗚咽を漏らすばかり。
小さな手が俺を掴んだまま震える。
ヒナ先輩から落ちた涙は、まるで俺が泣いたみたいに俺の頬を伝って落ちる。
「……ただの、先輩と後輩だと、思って。こんな遺書、遺すのもおかしいと思ったんです」
「ただの先輩と後輩じゃない。私は、私とトウリくんは……」
下から見上げるヒナ先輩の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃで、目元も耳も鼻も赤くなってい、唇は泣いたことによる過換気のせいか震えていた。
いつもの整った愛らしい顔は崩れているのに、どうしてだろうか。
下から手を伸ばして、ヒナ先輩の頬を撫でる。愛しいと、そう思うのだ。
ぐちゃり、俺の遺書が握りつぶされる。
「トウリくんがこんなに想ってくれて、私がこんなに想っているなら、ただの先輩と後輩じゃなくて……!」
ヒナ先輩はそう言ってから、言葉を探すように唇を震わせる。
「す、すごく……先輩と後輩なんだよ! そ、その、すごく、ものすごく……!」
あまりに感情的になって、言葉が上手く話せないのだろう。
「……ヒナ先輩は、本当に優しい人だ」
下から腕を伸ばして、ヒナ先輩の細い腰を抱きしめる。
軽い体はぽてりと俺の上に落ちて、その柔らかさと暖かさを俺に伝える。
「と、トウリくん……!?」
「……すこし、寒くて、暖めてくれませんか」
抱き合って触れ合った肌が暑さで汗で湿ってしまう。
嘘だと分かりきったことだろう。ヒナ先輩はされるがまま、俺に抱きしめられながら耳元で囁くように言う。
「……うそつき」
「……はい」
ヒナ先輩は俺の腕から逃れようとしない。
心臓の音が聞こえて、心臓の音を聞かれて。
お互いの吐息がかかる。
「……無理はしました。たぶん、俺、すごくプライドが高いんです」
「……うん」
「けど、プライドのために死のうとは思わなかったんです。……生存確率が高いのを、ちゃんと選んでました」
「……うん」
「俺は、J・ポケットマンにはならなかったんです。なれなかったんです。プライドのために死ぬことは出来ず、モンスター同士の争いを利用するみたいな、ダサい戦い方で生き残りました」
ヒナ先輩の涙やら汗やらが、俺の服の中に染み込んでいくのが分かる。
宝石のような大粒の涙が、また俺の上に落ちた。
「ああ、なんて言うべきか」
J・ポケットマンの遺した言葉は『世界よ、私の勝ちだ』だったか。……格好いいと思った。
なら、ヒナ先輩ともう一度話したくて生き延びてしまった俺の言うべきセリフは。
「ヒナ先輩、俺の負けです。……もう、こんなことしないから、泣かないでください」
格好悪い、そんな情けない男の言葉だろう。
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ここまでお読みいただきありがとうございました。
楽しんでいただけたのであれば幸いです。
これで第一章は終わり、少し番外編を挟んでから第二章に入ります。
もし面白いと思っていただけたのであれば、感想やレビュー、⭐︎やフォローなどがいただければとても嬉しく思います。
今後とも何卒よろしくお願いいたします。
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