第27話:デート

 私、佐倉アルカは藤堂トウリさんという人物を、怖い先輩だと思っていた。


 というのも、初めて彼を見かけたのは一年生のころの中頃のことで、ただでさえ上級生は怖いのに、彼はとても怒っていたからだ。


 殴っていたわけではない。怒鳴っていたわけではない。

 けれど、よく校舎の裏やコンビニの前でタムロしていた他の先輩達が、怒りを見せた彼にとても怯えていたからだ。


 いつもは先生たちに何を言われてもどこ吹く風というような彼等は私にとってとても怖い人で、怖い人が怖がっている人なのだから、藤堂トウリという先輩はもっと恐ろしいのだと思った。


 それから、彼を見かけたときは少し離れるようにした。

 歩きながらチラチラと横目で見ていると、無愛想な仏頂面なことが多くてやっぱり怖い先輩だと思っていた。


 その印象が変わったのは、それからずいぶん先の冬のことだ。


 その日は雪が少しだけ降っていた。

 いつもの登校路で、不意に鞄の中のスマホが鳴った。母がスリップ事故を起こして救急車で運ばれたそうだ。


 怪我自体は大したことがなかったらしいけど、そんな経験がなかった私はすごく狼狽して、どうしたらいいのか分からなくなっていた。


 そんなときに気がつくといつもは怖がっていた藤堂先輩がいて、狼狽えてマトモに話せなくなっている私の話を苛立ちのひとつも見せずに聞いてくれた。


 それから私を励ましながら、私から聞いた情報を元にして、私の手を引いて病院にまで連れていってくれたのだ。


 後で知ったけど、その日は先輩の大切な受験の日だったのに、けろっとしながら「あれ、どうやってここにきたの?」と私に尋ねる母を見て、彼は心底ホッとしたように「良かった」と呟いたのだ。


 ……けど、だから、そのときに好きになったのではない。知りたいと思うようになったのだ。


 それから目で追うようになって、遠くから色んなところを見て、他の人に聞いたりして、彼のことを知って。


 私はあの人のことを好きになったのだ。


 ……そんなあの人と、今日はデートである。

 無理を言って映画に付き合ってもらう形だけど、それでもデートである。


 喜び……よりも、緊張の方が勝る。


 可愛い服を選んだつもりだけど、やっぱり不安になって別のコーディネートを試して見てと何度も繰り返して、気合いを入れすぎて引かれないか心配になりながらも外に出る。


 約束の時間にはまだまだ早い。

 なのにもしも遅れたらと考えて早足で歩いて……30分も前に約束の場所についてしまう。


 早すぎた……どうしよう。緊張しすぎて何も考えられない。と、考えているうちに、まだ約束の時間には20分も余裕があるのに……藤堂トウリ先輩がやってきた。


「悪い。待たせたか?」

「い、いえ、え、えっと、えっと……きょ、今日はよろしくお願いします。ふ、不束ものですが!」


 変なことを言った──と、自分で気がついて慌てて訂正しようとすると、彼はクスリと笑って頷く。


「ああ、こちらこそ。……行こうか。映画にはちょっと早いし、近くの喫茶店でも入るか?」

「は、はいっ!」


 こうして、先輩とのデートが始まったのだった。



 ◇◆◇◆◇◆◇



 高校に入ってからは先輩達と過ごすことが多かったため、後輩の佐倉と話すのは少し新鮮に感じる。


 俺への好意は変わっていないようで、可愛らしいノースリーブのワンピースに上着を羽織っていて多分すごくオシャレをしてきているし、申し訳なくなるぐらいガチガチに緊張しているのが見て取れる。


「佐倉はさ、学校どんな感じだ?」

「えっと、い、いつも通りです」

「そっか。それならよかった」

「先輩は……どんな感じですか?」

「生徒会入ったよ」

「生徒会入ったんですか!?」

「生徒会長に随分買われてな。癖が強いし悪人寄りだけど、俺は嫌いじゃないかな」


 喫茶店の中、背伸びをしたオシャレをしてきているのが見て取れる佐倉と自分の格好を比べて少し申し訳なくなる。


 オシャレというのはよく分からないけれど、普段着そのままというのは少し温度感の違いを感じる。


 会話はさして盛り上がらない。

 共通の話題はなく、お互いの近況を聞くというぎこちない親子みたいな会話だ。


 …………。

 緊張で震えている手を見て「好きだ」と、そう言ってやれればその手をほぐしてやれるのだろうかと考える。


 ……正直なところ、別に……佐倉アルカと男女の仲になることに抵抗はない。


 特別異性として惹かれるとか、愛しいとか、そんなことは思っていないけど……。


 たぶん目の前のこの子は、俺がフッたら傷つくんだろうなと思うと、もう付き合ってしまった方が丸く収まるのだろうと思うのだ。


 川瀬先輩の部屋で夜通し話すみたいなことはダメになるだろうけど、まぁそれぐらいならいい。


 佐倉の目が俺の方を見る。

 ……綺麗な目で、緊張しながらも俺に甘えるような表情は、嫌うことは出来そうにない。


 俺からの異性としての好意はないけど、まぁ……うん、泣かせるのよりかはいい。


「先輩?」

「ん、ああ、そうだ。進路はどうするんだ?」

「普通に家の近くの高校にしようと思ってます。まぁまだ来年なので変えるかもしれませんけど」

「そうか。……そろそろ映画館に行くか」

「は、はい」


 財布を出そうとした佐倉の手を止める。


「いや、大丈夫。映画のチケットももらったわけだから、今日は俺が出すよ」

「え、で、でも、先輩ってその……」


 言いにくそうな佐倉を見て首を横に振る。


「ダンジョン探索でそれなりに収入があるから平気だ」

「そ、そうですか。すみません。私のためにきてくれたのに、お金までなんて……」


 申し訳なさそうなところを見て、今の対応は失敗だったかもしれないと思いながら支払いを済ませて映画館に向かう。


 映画の内容はコテコテの恋愛もの。

 つまらなくはないのだが、どうにも恋愛映画自体にあまり興味が持てず、キャラクターの感情にもそれほど共感出来ない。


 チラリと横を見ると、佐倉もたまたま俺の方を見ていたのか暗い中でパチリと目が合う。


 映画館の中、お互いに何も言わないままに前を向き直す。


 映画を見終えて、他の観客が出たあとに外に出る。


「え、映画、面白かった……ですね」

「ん、ああ、そうだな」


 俺が佐倉の言葉に同意すると、佐倉は目が泳ぎ出して、もじもじと気まずそうに謝る。


「す、すみません。その……実は、あまり楽しめなくて、先輩の方ばかり見てました」

「随分、恥ずかしいことを言うな……」

「で、でも、その……映画のあの人より、先輩の方がずっと素敵なので」


 じっと、俺を見つめながら佐倉は言う。


「誤解してると思うぞ、俺のこと」

「し、してません。その、先輩のこと、学校でずっと見てましたし。なんなら学校の外でも見てましたもん!」

「……学校の外って、接点なくないか?」

「いえ、その、ストーカーではないですけど、たまたま登下校を見ていたので」

「ああ……なるほど」

「毎日見ていたので、分かってるつもりです!」

「毎日……たまたま?」

「はっ、い、いや、それは、その……たまたまです。たまたま、見えてしまった感じです」


 そうか、たまたま毎日か。まぁ近所の中学校だしそういうこともあるよな。

 俺が頷くと、佐倉は「それに……」と続ける。


「たまたま、三年生の先輩方から、藤堂先輩の話を聞いていますし、たまたま休日、一日外にいるときの様子も見てましたから」

「……た、たまたま?」

「たまたまです」


 だよな。うん。

 俺をストーカーしてまで観察するやつはいないよな。うん。


 少し歩いて、佐倉を見る。


「……ひとつさ、佐倉に謝らないといけないことがあってな」

「えっ、あ、き、聞きたくないです」

「あ、いや、フるとかじゃなくて……。ダンジョンでさ、知らないやつを助けるために少し無理をして、心配してくれた佐倉には悪かったなって」


 なんとなく顔を見ることが出来ずにいると、佐倉は俺の頭に手を伸ばして、よしよし、と撫でる。


「……佐倉?」

「……先輩が先輩のことを大切に出来ないのは知ってました。だって好きなんですもん。分かっていたので、謝らなくてもいいですよ」


 口の中で「でも」と情けない言葉が浮かびそうになり、その言葉は佐倉の本当に愛おしそうに俺を見る瞳に止められる。


「いいです。先輩が先輩を大事に出来ないその分……私が先輩のことを大事に思うのです」


 自信満々な佐倉の言葉。

 思わず「なんだそれ」と笑う。


 それからちょっとした軽食をとり、ふたりで買い物をして佐倉が欲しがったマグカップを買う。


 そろそろ日も落ちる頃合いで、今日のところはこんなところだろう。


 ……帰る前に、告白の返事をするか。


 断る理由はなかった。

 これから俺のことを好きになってくれる人なんてそうそう現れないだろうし、佐倉を傷つけるのもしたくない、先程の映画のように大恋愛をしたいとも思っていない。


 夕日を背にした佐倉アルカを見て「俺も好きだ」という嘘の言葉を吐こうとして、その口が止まる。


 涼しい春の夕暮れの風に、佐倉の細い髪が揺らされる。

 真っ赤な日の光に照らされて「えへへ」と笑う彼女の顔が赤く染まる。


 華奢な身体、まだ幼い顔立ち、けれども異性を感じさせる表情。


 帰り際に悪戯をするみたいにぎゅっと抱きしめられて、女の子の柔らかな身体が押し付けられる。


「……大好き、です」


 事前に用意していた嘘を口にすることが出来ず、走って逃げていく少女を黙って見送るしか出来なかったのは。


 佐倉アルカの笑みに見惚れていたから、なんて、馬鹿な理由で。

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