第13話:昔のこと、君のこと

 昔の夢を見ている。

 あまり裕福な家ではなかったけれど、俺は父も母も好きで、それなりに楽しく生きていた。


 ある日、記憶にある限り初めて家族での外食をした。


 普通のチェーン店、特別な店ではなかったけれど、父と母が嬉しそうに俺がオムライスを食べているところを見ていたのを覚えている。


 ……それから、車に乗って知らないところに連れて行かれた。


 全く知らない道で、特に観光するような場所でもない山奥だったけれど、家族で外出することがほとんどなかった俺にとってはピクニックのようで楽しかった。


「怖くないよ」「怖くないよ」


 母は繰り返し俺にそう言った。

 夜遅く、車の中で母に寝かしつけられて、うとうととした中で目を開ける。


 手を繋いでキスをしている父母は仲睦まじく……よく分からないけど、楽しい旅行なのだと思った。


 窓の隙間にテープが貼られて、キャンプファイヤーなのか車の中で火を焚いて。


 ──ああ、幸せだ。


 次の瞬間、ぐらり、走っていないはずの車が動き出す。いや違った、動き出したのでなく落ちたのだ。


 何もないはずの道から車ごと落ちていく。

 何が起きたのか分からないまま……父と母が俺に覆い被さって、ふたりの身体がクッションの役割を果たしたようでかなりの落下のはずだったのに……俺は生き延びた。




 今にして思えば……一家心中だったのだろう。

 そして俺はダンジョンの発生に巻き込まれたことで命が助かった。


 ……あのとき、車ごと三人で落ちたとき。

 なんで両親は俺を庇ったのだろうか。


 みんなで死ぬつもりなのであれば、庇う意味なんてないはずなのに。

 分からない。俺にはそれが分からないのだ。



 ◇◆◇◆◇◆◇



 気分が悪い。

 魔力の欠乏によるものか、それとも思い出したくない昔の夢を見たからか。


 目を開けるのも気だるいなと思っていると、なんだか良い匂いが香ってくる。


 子供っぽいしゃぼんの匂い。

 落ち着くけれど、少しドキドキもする妙な感じに目を開けると、可愛らしい女の子が俺を覗き込んでいた。


「……あ、起きた? 気分は大丈夫?」

「……ヒナ先輩? あー、保健室に運んでくれたんですか、迷惑かけました。ヒナ先輩も忙しいのに」


 俺は起き上がろうとする。

 ヒナ先輩は首を横に振り、俺の頭をよしよしと優しく撫でる。


「無理しないの。ごめんね、私のせいで生徒会長に絡まれて」

「いや……俺が勝手に間に入っただけですよ」

「……でも、守ろうとしてくれて、ありがとね」


 ヒナ先輩は俺に笑いかける。

 ……余計なことをしただけな気がするけど。


「……そういや、御影堂先輩、結構吹っ飛んでたけど大丈夫でしたか?」

「んー、まぁ勝負は引き分けかな。元気に喜んでたよ」

「喜べる余裕があるなら完敗でしょう」


 はぁー、やる前から分かりきっていたけど、負けたなぁ。


「そんなことより魔力切れは大丈夫?」

「……まだ吐きそう……というか、まだめちゃくちゃスキルに魔力を吸われてる感じがするので、異空間の中ぐちゃぐちゃっぽいです。これは直り切るまでしばらく魔力不足ですね」

「そっかそっか。……ごめんね」

「先輩、ここにいなくても平気ですよ? やることあるから学校に来たんじゃないんですか」

「サボるにはいい口実だよ」


 起き上がるのもしんどいほど気だるい中、先輩が仕方なさそうに俺を見ているのが分かった。


「意外とさ、好戦的で負けず嫌いなんだね」


 ぼーっとする頭で返事をする。


「あー、まぁ、ヒナ先輩が可愛い格好してたんで」


 先輩は不思議そうに細首をかしげる。


「つまらない戦いで服にシワが出来るのは、しのびなくて」

「代わりにトウリくんの制服がしわくちゃだよ。……もー、あんまり怒れないじゃんか」


 ヒナ先輩は俺の頭にもうひとつの手を追加して「わしゃわしゃー!」とぐちゃぐちゃに撫で回す。


「本当はプンスカだからね、プンスカヒナ先輩だからね、もうっ」

「すみません。ワガママやって」

「本当にね。……おかげで、めちゃくちゃ生徒会長に目をつけられたよ。もはやラブだよ、君にさ」

「……御影堂先輩がですか?」

「そうそう。もう目がハートだったよね」


 そう言ってから、少し遠くを見る。


「今、Aクラスの3番で、結構上の方の順位なんだけど、私の方が仲間に恵まれていたのは生徒会長の言う通りだよ。一対一だと、多分敵わない。だから──」


 だから、という言葉の先を言わせないように俺は言葉を差し込む。


「ヒナ先輩と一緒にいたい」

「へ? ええ!? こ、告白!? 告白なの!? あ、会ってから三日とかだよ!?」


 あの顔を真っ赤にしてパタパタ動く先輩に向かって首を横に振る。


「一緒にいたいと人に思わせるところで、勝ってるんじゃないかと思います」

「あ、そ、そういう……。こ、告白かと思った……」

「違いますよ。……まぁ、俺は別に御影堂先輩も嫌いじゃないですけどね」

「ええ……」

「それなりに矜持とかフェアさとか誇りとか、そういうのを感じました。……後で「負けました」と言いにいかないとなぁ、気絶しちゃったから」


 言いたくないと思いながらため息を吐くと、先輩は俺の頭から手を離す。


「まぁ、仲良く出来る人が多いのはいいことだよね。……うなされてたけど、体調は大丈夫?」

「ああ……ちょっと、昔の夢を見て」

「昔の?」


 保健室の消毒液とヒナ先輩の匂い。

 カーテンが締められた窓から入ってくる横日を目にしながら、いつもの俺なら言わない泣き言を口にする。


「……父母が、俺を庇って死んだときのことを」


 ヒナ先輩の固まった表情、それから自分のことのように悲しそうにへにょりとした表情を見て自分の失敗に気がつく。


「……すみません。こんなことを先輩に話して」

「いや、ううん。……ありがと、教えてくれて」


 今度は慰めるように俺の頭を撫でて、何も言わずに一緒にいてくれる。


 チクタク、チクタク。


 ……サボる口実。だったか。

 もう夕方で、たぶん勧誘会はもうとっくに終わっていることだろう。


 チクタク、チクタク。


 嘘が下手な人だな、と、思っているのにそれを口にせず寝転がっている俺はきっと嘘が上手い卑怯者なのだろう。


 チクタク、チクタク。


 外の音は静かで、時計の秒針が進む音と伸びる太陽の赤さばかりが時間の進みを教えてくれる。


 気まずさと、心地の良さが同居する不思議な気分だ。


 ヒナ先輩の薄い桃色の綺麗な唇がかすかに動く。


「トウリくんは、不思議な人だね。賢明で命知らずで、一人が好きなのに人に親切で」


 俺の頭を撫でていた手が降りてきて、頬にピタリと触れる。


「……そんなもんじゃないですか、人間、矛盾があるもので」


 俺を巻き込んで心中しようとした父母が、咄嗟に俺を庇って死んだように。

 人間はバグだらけで、一貫性がないものなのだと思う。


 ヒナ先輩は俺の頬を撫でて、少し、俺の顔に顔を近づける。


 宝石のように綺麗な瞳は俺を呑み込むように見つめて、じっと。


「君のことが知りたいな」


 そんな言葉を、俺の心臓に落とした。

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