No.016
見上げると首が痛くなるほど高く、立派な鉄柵。それが左右に延々と広がっている。
鉄柵の向こうには荘厳な庭が広がり、その遥か向こうの方に、サンダーブロンド家の巨大な宮殿が聳えている。
ここにメリーナが住んでいる。
「……けど、どのツラ下げて会えばいいんだ?」
2回も記憶を消した相手と、『初めまして』からやり直すのか?
馬鹿馬鹿しすぎて泣けてくるよ。
俺が守衛に取次を頼んでしばらくすると、執事らしき老人が現れた。
「キャッチー様でございますね。この度はメリーナ王女殿下の護衛隊に志願いただきありがとうございます。さっそくではございますが、メリーナ王女殿下がお会いしたいとのことです」
老人はそう言うと、俺を敷地の中に招き入れた。そして近くに停めてあった馬車に乗るよう促してくる。
彼の態度から察するに、ほとんど警戒されていない。GPAの工作により、俺の身分が有力な貴族家出身になっているためだろう。
俺は今回、メリーナの護衛隊員として彼女に近づくことにしていた。初めからGPAを名乗れば、警戒されると思ったからだ。
そして護衛隊に入った後は、早めに信頼関係を築き、彼女が
俺は馬車に揺られながら、急場で考えた作戦を振り返っていた。
◆◆◆
馬車を下ろされ、宮殿内部へ。そして応接室のような場所で待機させられる。
程なくして、一人の少女が部屋に入ってきた。
「ようこそ、サンダーブロンド家の王宮へ」
そう言って上品に微笑む彼女。すらりとした長身に、整った顔立ち。腰に届くほど長い金髪……。
別れてから一日も経っていないが、なんだか懐かしく感じる。
さて、問題はこれからどういうふうに接していくかだ。
彼女は俺のことを忘れているから、一から信頼を得なければならない。
「いったい、どういうつもりなのかしら?」
メリーナがいきなりムッとした顔で尋ねてくる。
初対面にしては、ちょっと馴れ馴れしいような気がするが。
「ねぇ、昨日はどうして挨拶せずに帰っちゃったの?」
「……は?」
「もしかしてわたしのこと、嫌いになっちゃった?」
「…………」
「でも……しょうがないわよね。わたし、嫌われるようなことをしたし……」
「…………」
何も言えないどころか、しばらく思考が飛んでいた。
いや、待て。冷静になれ。彼女がおかしなことを言っているような気がするが、よくよく考えれば何もおかしいことはないのかもしれない。
「聞こえてないの? なんでなにも言ってくれないのよ、ライってば!」
いま、名前を呼ばれた気がする。
だがしかし、まだそうだと確定したわけじゃない。名前はすでに執事らしき老人に名乗ったし、護衛隊志願の書類にも書いた。
いや……本当に書いたか? 『キャッチー』としか書いてなかった気もする。『ライ』って書いたか?
俺は記憶の欠片を必死で拾い集めていた。
すると、メリーナは俺の側まで歩み寄り、顔を覗き込んでくる。
「ライ! わたしの恋する人! 返事をして!」
息が触れ合うほどの距離に、メリーナの顔があった。
彼女は眉間に皺を寄せ、ほっぺたをふくらませ、俺のことを睨んでくる。その金色の瞳は、俺の心の奥底を見透かすようで――。
「か、勘違いではないでしょうか……」
情けないことに、俺が絞り出した声は、これ以上ないほど弱々しいものだった。
「なにが? なにが勘違いだっていうの?」
メリーナは語気を強め、さらに顔を近づけてくる。鼻先が触れ合いそうだ。彼女の体温を感じる。
いったい何がどうしてこうなった? なんで彼女は俺のことを知っているみたいな態度で接してくるんだ? 初対面のはずじゃないのか? 記憶が消えてないってことか?
あらゆる疑問が頭の中でグルグル周り、思考がカオスへと堕ちていく。
そして俺は――。
「昨日は悪かったな」
諦めた。
俺は
「ライ! 別にわたし、責めてるわけじゃないのよ。その……わたしも悪かったと思うし。でも、今日ちゃんと来てくれたから、もう大丈夫!」
メリーナはパッと明るい笑顔になり、俺の両手を取る。
恐い……なんだかよくわからないのに、会話が成立している事実が恐い。
それでも俺は突き止めなければいけない。なぜメリーナの記憶が消えていないのか。消えていないとして、どこからどこまでの記憶があるのか。
昨日か? それとも1年前のこともか?
「えっと……メリーナ? そう呼んでもいいんだよな?」
「なによ、いまさら。わたしたちの仲でしょ」
「仲って、どんな仲だっけ?」
「恋し合ってる関係……かな?」
そう言うと、メリーナは顔を赤くし、うつむいた。
だが、これについては俺も明確に否定できる。
「恋し合ってるわけじゃないだろ」
「えへへ、そうだよね。まだわたしの一方的な恋だもんね」
「その恋っていうのは……いつから始まったんだ?」
「恋に落ちた日のこと? それは1年前に……あれ? なんだっけ?」
メリーナはそこで首を傾げた。
つまり、1年前のことは記憶にないということか?
でも俺は昨日、彼女に1年前のことを話してやったよな?
「俺たちが初めて会った時のことを覚えてるか?」
「うん。わたしがクレルモンさんを助けに行って、あの部屋に入ったらライがいて……ふふっ、わたしったら、あなたが誘拐犯だって勘違いしちゃったのよね」
メリーナが語ったことは、俺の記憶と一致している。作られた記憶ではない。
そうなるとメリーナには、昨日の記憶は残っているが、やはり1年前の記憶はないことになる。
これが鍵だな。
「それじゃ昨日、俺たちが最後に交わした会話はなんだ?」
「最後? うーん……実はそれが、ちょっとあいまいなの。海に落ちて、あの白い髪の女の子が船で助けに来てくれて。それで、ちょっとだけライと口論して……わたし、溺れちゃったのよね?」
「そうだな……」
「ライが助けてくれたのはわかったんだけど、気づいたらどこかの医務室みたいなところで治療を受けてて……。それからライが来たような来てないような……」
なるほど、わかってきたぞ。
メリーナは、昨日の医務室での出来事だけが記憶にないのだ。
俺が1年前のことを彼女に話したのは、医務室だったので、それなら辻褄が合う。
「俺は医務室に行ったよ。でもメリーナは、何を話したのかは覚えてないんだよな?」
「やっぱり来てくれたのね。でも、ごめんなさい。なんだか、すごく眠かったのは覚えてるんだけど、会話の内容までは……」
メリーナは申し訳なさそうに言う。だけど、そんな態度を取られると俺の方も申し訳なく感じる。彼女が眠かったのは、記憶消去剤のせいなのだ。
「なにか飲んだことは記憶にないか?」
「わたし、飲み物をもらったの? それは覚えてないわ」
そうなると、記憶を消去するための条件付けをミスった可能性が高いな。
正統な魔法である【
簡単に言うと、魔法は効果が強く、使い手のイメージを忠実に効果に反映することができる。
一方で、魔導薬のほうは、本来の魔法の効果が薄まる分、使用者のイメージを条件として、厳密に相手に伝えないといけない。
昨日、俺がメリーナの記憶を消す際に設定した条件は、『24時間前までに出会った青いスーツを着た人物に関するすべての記憶』を消すというものだった。
この条件で重要なのは、『青いスーツを着た人物』という点だ。
メリーナが青いスーツを着ていると認識した人物は、会話はもちろん、存在そのものが記憶から消えることになる。
しかし消えたのは、医務室の時だけ。つまりメリーナは、医務室では俺を『青いスーツを着た人物』と認識していたが、それ以前は認識していなかったことになる。
……ちょっと待てよ。
「メリーナ、俺の昨日の服装は覚えてるか?」
「服装って……いま着てるのと似たようなスーツだったわよね?」
「色は?」
「それは……」
メリーナが言いよどんだ。
なるほど、そういうことか。
「俺が何色のスーツを着ているか、わかってなかったんだな」
「しかたないでしょ! あの部屋、けっこう暗かったんだし。紺色か、黒なのかなぁ……とは思ったけど。あっ、じゃあ昨日もその色のスーツだったってこと?」
要するにメリーナは、高層ビルで出会ってから、船に乗るあたりまで、俺の服の色を正確に把握していなかったのだ。
だからその間については、記憶消去剤の効果が及ばなかった。
これで原因はわかった。記憶消去剤が不良品だったわけではないし、メリーナにあの魔法の耐性があるわけでもない。
つまり条件を変えれば、今度こそ完全に昨日の記憶を消すことができる。
彼女の恋心も含めて……。
そう思った瞬間、メリーナの泣いている顔が、俺の脳裏に蘇った。
『イヤ……絶対にイヤ……イヤだよ……』
そう言いながら、大粒の涙を流すメリーナの顔は、どうやら俺のトラウマになっていたらしい。
「どうしたの……ライ?」
「いや、なんでもない」
俺はポケットの中で握りしめていた小瓶から手を離した。
今からもう一度、メリーナの記憶を消すことは、俺にはできそうにない。
『任務の達成はすべてに優先するって言ってくださいよ』
今度はアイマナの怒った顔が脳裏をよぎった。
でも、どちらのほうが二度と見たくないかといえば――。
「それじゃ、これからもよろしくな」
俺はそう言って右手を差し出す。握手をしようと思ったのだ。
「えっと……なにが?」
しかしメリーナは手を出さず、困惑した表情を浮かべるだけだった。
そこで俺は思い出した。
そう……本題はここからなのだ。
ここから俺がメリーナの元を訪れた理由を説明しないといけない。そして、今後のことに関してもいろいろと説明し、必要があれば説得しないといけないのだ。
俺は何事もなかったかのように腕を引っ込めると、近くのソファーに腰を下ろした。
「メリーナ……キミと話がしたい」
俺がそう告げると、メリーナは弾けんばかりの笑顔を浮かべる。そして、なぜか俺の横に座った。
テーブルを挟んだ正面にも、座る席はあるというのに。
「わたしもライと話したいことがたくさんあるの!」
「ちなみに、それはどんな話だ?」
「もちろん、恋のお話!」
だろうな……と心の中でつぶやき、俺は密かに覚悟を決めた。
この先の戦いは長くなる、と。
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