No.014

 タイトマンとは廊下で別れ、俺は医務室の扉を開けた。


 部屋の中央に、一人の少女が立っている。長身でスタイルのいい、長い金色の髪の少女だ。


 彼女は俺と目が合うと、途端に満面の笑みを浮かべる。そして弾むような足取りで近づいてきた。


「ライ! やっと来てくれたのね」

「待たせて悪かった。身体のほうは大丈夫なのか?」

「検査の結果は、魔力も含めて異常なしだったわ。シャワーも浴びて、着替えも貸してもらったのよ」


 そう言いながら、メリーナは見せつけるようにその場で一回転する。

 確かに服装は変わったような気がする。ただ、今夜はずっとから、前の服装はあんまり覚えてない。

 ……前よりも今の方がカジュアルになったのか?


 そんなことを考えていたら、メリーナがズバリ言い当ててくる。


「もしかして、わたしがどんな服を着てたか覚えてないの?」

「そんなことを気にしてる場合じゃなかったからな」

「じゃあ、今夜は初デートにカウントしないでおいてあげるわ。だって初デートなのに、服装も覚えてもらえてないなんて、寂しいでしょ?」


 彼女の話が俺にはさっぱり理解できない。恐ろしい話だということだけは、なんとなくわかるのだが……。


 とりあえず、今の話はわきに置いておこう。


「それより、キミと話したいことがある」

「わたしがライのどんなところを好きかってこと?」


 メリーナは頬を赤らめ、上目づかいで尋ねてくる。

 その潤んだ金色の瞳を見ていると……ダメだ。調子が狂う。というか、いちいち付き合っていたら、永遠に話が進まない。


「話は、俺の仕事についてだ」

「ライの仕事って……GPAってやつよね? 正直、驚いたわ。実際に所属している人間に会うのは初めてだもの」


 そう、メリーナには知られてしまった。GPAのことも、俺がそのエージェントであることも。


 つまり、俺にはもう他に選択肢が残されていないのだ。


「コレを知ってるか?」


 俺は青い液体の入った小瓶を見せながら尋ねた。

 すると、メリーナは首を横に振って答える。


「ううん、見たことないわ」


 彼女にコレを見せるのは二回目だ。

 しかし覚えていないということは、前回の記憶はちゃんと消えているということになる。

 記憶消去剤の効果は間違いなく発揮されているのだ。


 俺はそのことを確認し、彼女に小瓶を勧める。


「コレを今からメリーナに飲んでもらいたい」

「イヤよ」

「別に変なものじゃない。ちょっとした栄養剤みたいなものだ」

「イヤ」


 何度勧めても、メリーナに拒否されてしまう。記憶はないはずなのに、なぜか前回よりも拒絶の意思が強い。


「理由を聞いてもいいか?」

「ライが嘘をついてるから」


 メリーナがじっと俺の目を見つめてくる。まるで心の奥底まで覗き込むように。


「……なるほどな。俺の負けだ」


 俺はさっさと白旗を上げることにした。

 すると、なぜかメリーナは驚いたような表情を浮かべる。


「ライってすごいわね」

「嘘が速攻でバレことか?」

「バレたと判断して、それ以上は粘らなかったでしょ? 普通の人は、もっととぼけたり、嘘に嘘を重ねたりするものよ。それで余計に事態が悪化していくの」


 メリーナは笑顔でそんなことを言う。

 浮気がバレた時の話でもしてるのか?

 いや、そんなことはどうでもいい。


「どうすれば、この小瓶の中身を飲んでくれるんだ?」

「その液体の正体を、正直に教えてくれたら考えるわ」

「無理だ。教えたらきっとキミは飲まないからな」

「そんなこと言われたら、結局わたしは飲まないんじゃない?」


 はい、認めます。俺はミスりました。

 自分で言うのもなんだが、俺らしくもない。メリーナが相手だと、本当に調子が狂いっぱなしなのだ……。


 などと、頭の中で一人反省会を執り行っていると、メリーナが俺の顔を覗き込んでくる。そして妙に優しげな微笑みを浮かべ、言うのだった。


「なにも聞かずに、ソレを飲んであげようか?」

「……条件は?」

「ライってば、本当に察しがいいのね。じゃあ、わたしの質問に1つだけ正直に答えてもらおうかな」

「どんな質問だ?」

「それは事前には教えられない。まずは、必ず正直に答えるって約束して」


 一見、メリーナが優位に立っているような感じだが、これは俺にとってもかなり良い条件だ。

 問題は質問内容なのだが、実は何を聞かれたところで俺には勝算があった。


「わかった、約束する。1つだけ、キミの質問になんでも答えるよ」


 俺がそう言うと、メリーナは嬉しそうに飛び上がって喜んでいた。


 それからすぐに、真剣な顔になって聞いてくる。


「それじゃ教えて。どうしてわたしはあなたに恋してるの?」


 そんなことは知らない。自分の気持ちだろ? そんなもの、他人の俺にわかるはずがない――。


 と、突っぱねることができたらどんなに楽だろうか。


 しかしメリーナが聞いているのは、そういうことではない。

 さすがにここでとぼけるのは、マナー違反だろう。


「俺がキミと初めて出会ったのは、1年前のことになる――」


 俺は1年前の豪華客船メロディスター号での出来事をメリーナに語って聞かせた。

 もちろん、俺にはその時のメリーナがどんなことを考えていたのか、感じていたのかはわからない。

 でも、彼女が聞きたかったことはこれで間違いないはずだ。


 ……………………。


 俺が話し終えてから、しばらくのあいだメリーナは黙り込んでいた。

 その複雑な表情から読み取れる感情は、困惑、哀しみ、寂しさ……それとわずかな怒り、といったところか。


 実際、俺が彼女にやったことは、酷いことだ。

 逆の立場なら、俺は烈火の如く怒るだろう。

 だから、彼女に嫌ってもらえたほうが俺も楽になれたのだ。

 けれど――。


「わたしの気持ちは変わらない」


 ようやく口を開いたメリーナの一言が、俺の罪悪感を募らせる。

 でも、今さら感傷に浸るわけにはいかない。


「それじゃ今度はキミがコレを飲んでくれ」


 俺はメリーナに青い液体の入った小瓶を渡した。


「ライって、結構せっかちなのね。約束だから飲むけど……」


 そう、俺は内心では焦っていた。

 タイミングはここしかないのだ。彼女が、に気づく前に、これを飲ませないといけない。


「…………」


 俺は何も言わず、じっとメリーナを見つめる。それが多少のプレッシャーにでもなったのか、彼女はあっさりと小瓶の中身を飲み干してくれた。


 次の瞬間、メリーナはに気づいた。


「待って! そういえば肝心のことを聞いてなかったわ。なんでわたしは、1年前のことを覚えてないの?」

「…………」


 俺は何も言わなかった。

 メリーナは俺の顔と、小瓶とを交互に見やり、ハッとなる。


「まさか……コレのせい……?」

「本当にすまない。キミは、『今から24時間前までに出会った青いスーツを着た人物に関するすべての記憶』を忘れる」

「それって……」


 次第に、メリーナの表情が哀しみに染まっていく。

 前と同じだ。彼女のこんな顔を、二度とは見たくなかったんだけどな……。


「これが俺のルールなんだ」

「嫌だ……絶対に忘れない……初めての恋なのに……」


 その言葉も前に聞いた。それだけ本気なんだって感じるよ。

 だからこそ、その感情はいつか俺以外の、もっと良い人に向けてほしい。


「少しの間だったけど、俺はキミといられて楽しかったよ。ありがとうな」

「イヤ……絶対にイヤ……イヤだよ……」


 メリーナの目から大量の涙がこぼれ落ちる。

 そして少しずつ、彼女の瞼が重そうに降りてくる。


「これでもう二度と会うことはないけど」

「ライ……お願い……なんでもする……だから……」


 メリーナが倒れ込むように、俺に抱きついてくる。

 眠気のせいで、もう自分で立っていられないのだ。


 見た目よりも華奢なその身体を抱き留め、俺はそっと彼女の髪を撫でた。


「元気でな」


 俺がそうつぶやくと同時に、メリーナの全身から力が抜けた。



 ◆◆◆



 メリーナを医務室のベッドに寝かせ、俺は廊下へ出た。

 すると、そこには全身真っ白な少女が待っていた。


「マナ、センパイほど最低な人間は知らないです」

「そいつは人生経験が足りないな」

「まあでも、マナはそんなセンパイを、してますけど」

「つまらない冗談を聞く気分じゃない」


 俺はアイマナを適当にあしらい、歩き出した。

 すると、アイマナもすぐに追いかけてきて、隣に並んで歩き出す。


「なんの用だ?」

「あからさまに不機嫌な態度をとらないでください。そういうのをパワハラっていうんですよ、センパイ」

「ぜひ訴えてくれ。俺もこの組織カイシャをクビになりたかったところだ」

「その時はマナも一緒についていきますね」

「なんでだよ?」

「だってセンパイを独りにしたら、いつかこの世界を滅ぼしちゃいそうなんですもん」

「それなら、世界はもう百万回くらい滅んでるな」


 思わず俺は苦笑する。

 するとアイマナも、どこかホッとしたような笑顔を浮かべる。


「じゃあ今夜はマナと朝まで飲み明かしましょう」

「<魔導ロボットマグリカント>も酒を飲むのか?」

「あー、ひどい! 本当に最低ですね、センパイって」

「悪かったよ。それじゃ眠くなるまで、少しだけ付き合ってくれ」

「はい! いつまでもお供しますよ」


 こうして俺の長い夜は、ようやく終わりを告げるのだった。

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