No.011

 メリーナは俺の胸に顔を埋めてブルブル震えている。

 気持ちはわかるが、このままだとメリーナの震えのせいでバランスを崩しかねない。なので、俺は彼女に伝えることにした。


「もう大丈夫だから見てみな」

「えっ? あれって……ミサイルの炎が空中で固まってる……?」


 メリーナがそのことに気づき、驚きの声を漏らす。震えのほうは止まってくれたようで何よりだ。


「ミサイルの周りの時間の流れを遅らせたんだよ」

「<時系ときけい>の魔法……? ライが使ったの? 媒介物ばいかいぶつは?」

「あいにく両手が塞がってる」

「呪文も唱えてなかったし、魔法書も魔法陣も見なかった……。それってもしかして……<無拍子魔法むびょうしまほう>なの?」

「知ってるのか?」


 俺が尋ねると、メリーナは少しだけ口を尖らせた。


「十三継王家つぐおうけの人間だもの。でも、無拍子魔法むびょうしまほうはさすがに……」

「ありえないか」

無拍子魔法むびょうしまほうとは、あらゆる<技法>、<道具>、<助力>に頼らず、魔法を一瞬で発動させる方法である……って教わったわ」

「そう聞くと、すごいことみたいだ」

「すごいどころじゃない。一万年に及ぶ魔法史の中で、無拍子魔法むびょうしまほうを完全に使いこなしたのは、大勇者グランダメリスのパートナー、<大賢者ホールコール>のみだって……」


 自分で解説しておきながら、メリーナの表情がだんだん強張っていく。


「俺のことが恐くなったか?」

「そんなことない! だって、あなたはわたしが恋する人だから……」


 俺の身体にしがみつくメリーナの腕に、さらに力が込められる。

 それは、自分の中の恐怖を必死に抑え込もうとしているように、俺には見えた。


 ……………………。


 少しの沈黙が流れ、先に口を開いたのは、メリーナだった。


「わたし、ライのことをもっと知りたい」


 意外な言葉だった。

 てっきり化物扱いでもして諦めてくれると思ったんだが。


「話をするにしても、無事に下に降りてからだ」

「あとどれくらいで着くの?」


 周りが暗すぎて距離感が測れない。それでも確実に降下はしているはずだ。


 ここまで離れればミサイルが爆発しても大丈夫か?

 ただ、あのミサイルの正確な威力は把握してないんだよな。もう少し距離を取ったほうが――。


 その時、突然パラシュートがガクンと下に引っ張られる。


「きゃああぁぁぁっ!」

「落ち着け! 横風に押されただけだ!」


 メリーナが必要以上にギュッと抱きついてくる。思った以上に力が強くて、俺の骨がミシミシ鳴ってる。

 ……ヤバい、集中力が切れる。


「あっ」


 と思った時には遅かった。


「えっ……? ミサイルの火が動いて――」


 メリーナが言いかけた時には、ミサイルはビルに突っ込んでいた。


 ――――――――。


 一瞬、あらゆる音がかき消され、無音の空間の中に閉じ込められる。


 ボンッ!


 低重の破裂音が耳の奥を突き抜ける。

 

 花火を何重にもしたような爆発の光が、闇夜を照らす。


 ドンッドンッドンッドンッドンッ――。


 音というよりは、衝撃波の連発を全身で受け止めるような感覚を味わった。

 そしてほぼ同時に、土埃をまとった突風に巻き込まれる。


 ゴッオオオオオオ――。


 爆風を受け、パラシュートが大きく揺さぶられる。


「ぐっ……」


 俺はクレルモン氏を離さないよう腕に力を込め、全身をよじってバランスを取る。


 メリーナも俺の身体に必死にしがみついていた。

 

 そんなギリギリの状態で俺たちは風に乗り、海の方へと運ばれていく。



 ◆◆◆



「うぅ……ハァハァ……」


 メリーナが懸命に、耐えるように呼吸をしている。

 宙吊り状態もそろそろ限界といったところだ。

 そんな彼女に、俺は声をかける。


「メリーナ、もう大丈夫だ」

「えっ……? 本当に? 爆発は?」

「ほら、あっち」


 爆風に飛ばされたおかげで、俺たちは随分とビルから離れた位置にいた。

 幸いなことに、爆発の威力は俺が懸念していたほどじゃなかったらしい。直撃したビルもまだ原型を留めている。


「それじゃ、あとはこのまま下に降りるだけなの……?」

「ああ。でも1つだけ問題が残ってる」

「なにかしら?」

「下が海ってことだ」

「えっ……きゃっ!」


 メリーナが気づいた時には着水していた。


 落下の勢いのまま、海に頭まで浸かる。

 夜だけあって、水がかなり冷たい。もうすぐ夏だっていうのに。


「――ぷはぁっ」


 俺はすぐに海面に浮上し、パラシュートを処理。クレルモン氏の縄を解き、彼も海面に浮上させる。


 この状態でまだ目を覚まさないのだから、クレルモン氏はなかなか豪快な人物なのかもしれない。


 しかしそうなると、メリーナにも協力してもらって、二人でクレルモン氏を岸まで運んでいくしかないな。


「って、メリーナ? どこ行った?」

「あっぷ……いや……うっぷ……たすけ……」


 メリーナはすぐ側で両手をバシャバシャさせてもがいていた。


 これってもしかして溺れてるのか?

 そういえば、彼女は1年前も海に沈んでたけど、あれって泳げなかったからなのか。

 なるほどな……。


「って、納得してる場合じゃない!」


 俺は慌てて彼女の方に手を伸ばす。

 だが――。


「おわっ!」

「きゃっ……あっぷ……離さないで!」


 信じられないほどの力で引っ張られ、しがみつかれた。


「おい、待て! 暴れるな! 俺まで溺れ――うっぷ」


 思い切り海水を飲んでしまった。

 このままじゃ三人そろって溺れ死ぬぞ。


 俺はいったんメリーナから距離を取り、体勢を立て直すことにした。


「あっぷ……置いてかないで……うぇぇん、助けて……うっぷ」


 溺れた人間がパニックになった時は、距離を取って落ち着かせるのがセオリーだ。

 しかし、彼女はがむしゃらに俺を追いかけてくる。


「待って……うっぷ……逃がさない……あっぷ……」


 なんかメリーナが泳げているように見える……。

 とはいえ、どっちみちクレルモン氏は気絶したままだし、この状態で岸までは戻れないか。


「あれ? そういえば彼は……」


 しまった!

 メリーナの相手をしていて、クレルモン氏の補助をするのを忘れていた。


 慌てて周囲を見回すが、暗すぎて見つからない。

 まさか、もう海中に沈んでしまったのか?


 俺は海に潜ろうとした。まさにその時だった。

 すいーっと、目の前を何かが横切った。

 一瞬、木の板かなんかだと思ったが、よく見てみれば、人だ。クレルモン氏だ!


 彼は仰向けになった状態で、海面に浮いていた。意識は失ったままだ。なのに浮いている。原理は不明だが、彼の身体がとんでもない浮力を発揮してくれたらしい。


「これにつかまれ!」


 メリーナの手を取り、クレルモン氏の身体を掴ませる。

 ありがたいことにクレルモン氏の浮力は、俺とメリーナが掴まっても維持できていた。


「あっぷ……ハァハァ……」


 メリーナもようやく落ち着いてきたみたいだ。

 これで俺も余裕が持てる。


「離さないでって言ったでしょ!」


 急にメリーナが抱き着いてきた。

 彼女の身体から熱が伝わってくる。海水で冷えていたから余計に暖かく感じて、思わず抱き返してしまった。


「まさか泳げないとは思わなかったんだ」

「別にいい……仕方ないもの。でも恐いから……もう少しこのままでいて……」


 メリーナの身体が小刻みに震えている。


「ねぇ……」


 メリーナの金色の瞳が見つめてくる。

 彼女の顔も髪も、すっかり濡れそぼっている。羊のように膨れ上がっていた金色の髪も元のボリュームに戻り、しっとりと艶やかにまとまっている。


「ライの温もりが伝わってくる。なんだかすごく安心できるわ……」

「海水よりは体温のほうが高いからな」

「さっき海に落ちて溺れた時……すごく恐かったんだからね……」

「あれは全面的に俺が悪かったよ」

「じゃあ約束して。もうわたしのことを離さないって」


 どっちの意味でだ?


 俺は危うくそう聞き返すところだった。だが寸前で、これ自体が罠だと気づいた。


「海から上がるまではな」

「ぶー。『どっちの意味』って聞いてくると思ったのに」


 メリーナが子供っぽくほっぺたをふくらませる。

 そんな純粋な目で、とんでもなく恐ろしいことを考えやがって。


「ちなみに、聞き返してたらどうなったんだ?」

「そうしたらわたしに選択権があるから、『この先ずっと』の方を選んだわ」


 それは約束というより呪いだよ……。


「俺のことが恐くなったんじゃなかったのか?」

「あの話をした時は少しだけね。でも、わたしの気持ちは変わっていなかったから」

「気持ち?」

「あなたが好き」


 ほぼゼロ距離のまっすぐな告白に、さすがの俺も思考が止まってしまった。


 メリーナがじっと見つめてくる。吸い込まれそうなほど深く、綺麗な瞳をしている。

 もしここに、二人の他に誰もいなかったら、俺はほんの少しだけ心を揺さぶられていたかもしれない。


 その意味では、クレルモン氏に感謝している。


 俺は一つ深呼吸し、気持ちを整えてから彼女に言った。


「今日だけは、家に帰るまで一緒にいるよ」

「ふふっ、約束よ」


 屈託のない笑顔を見せると、彼女はまたぎゅっと俺にしがみついてくる。


 その時……確かに俺は、一瞬だけ心が揺らいだのを自覚した。

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