No.010

 残念ながら、気を抜くのはまだ早いのだ。

 しかし俺の隣にいる金髪の少女は、すっかりエピローグモードで話しかけてくる。


「それじゃ、わたしたちの恋の話をしましょうか」

「……しない」

「どうして!? もしかして……恥ずかしいの?」


 メリーナは自分で言っておいて顔を真っ赤にしている。

 いったい何を考えているんだか……。


「まだ終わってないからだよ」

「えっ、でも敵は倒したでしょ?」

「さっき言ってたろ。奴の仲間がこの地区を封鎖してる。このビルから出られても、簡単には帰れないんだよ」

「大丈夫よ! わたし、まだまだ元気だし!」


 メリーナが立ち上がり、剣を素振りし始めた。


「俺が元気じゃないんだけど……」


 思わずため息が出てしまう。と同時に、俺の耳の奥に張り付いているイヤーピースから声が聞こえてくる。


『ライちゃん、ピンチなのよ?』

「ああ、生きて帰れるかの瀬戸際かもな」


 つい冗談が口から出てしまった。ちょっとだけ投げやりになってたのもあるし、話し相手がプリだってことを一瞬だけ忘れていたのだ。


 まあ、言い訳をしたところで、過去には戻れないわけで――。


『プリ、今度はライちゃんを助けるわね! スイッチオンなのよ!』


 そこで俺はプリと話していることに気づいた。


「待て待て、いま何したんだ、プリ?」

『ピンチのときに押す赤いでっかいスイッチ押したわね!』

「えっ……ウソだろ? 言ったよね? それは押しちゃダメって」

『ライちゃんがピンチのときは押すわね! さっきは押せなかったけど、いまは押したのよ!』


 プリが高らかに宣言していた。

 そしてイヤーピースからは、プリの声とは別の機械的な音声が聞こえてくる。


『緊急抹消プログラム起動。カウントダウン開始。60秒前――』


 なんか始まっちゃってるんですけど……。


「プリ……」

『なにわね! あっ、ほめてくれるの〜?』

「スシはナシだ」

『どうしてわね! プリ、がんばったのよ! がんばったでしょう!』


 頭を抱える以外に何もできねぇ……。


『50秒前――』


 ダメだ。現実逃避しようにも耳の奥で非情な現実が刻まれていく。


「ライ、どうしたの? すごい青ざめてるわよ……」


 メリーナが心配そうに尋ねてくる。

 どうする? 話しておくか黙っておくか……。

 いや、隠しておく意味はないな。


「ミサイルが飛んでくるんだ、ここに」

「えぇっ!? なんで?」


 その疑問はもっともだ。なんでミサイルなんて仕込んでるんだよ?

 しかもその起動ボタンを、お子様の手に触れるところに配置しておくなんて……。


『ミサイルってなにわね!』


 耳の奥からプリの声が聞こえてくる。やらかした本人は、何が起きてるのか理解していない様子だ。


『40秒前――』


 感情のない機械音声が時を刻み続けていく。

 この声はメリーナに聞こえてないが、とりあえず説明はしておいてやろう。


「俺も初めて経験するんだが、GPAのエージェントが任務に失敗して、そこにある証拠を即座にすべて消すしかない場合、ミサイルを撃ち込むって仕組みを備えてあるらしいんだ……」

「えっと……まったく話が見えないわ……」


 メリーナが困惑している。その反応は正しい。


「とにかく、あと30秒ほどでミサイルがこのビルを吹っ飛ばす……」

「大変じゃない! どうするのよ?」


 そうだ。気落ちしてる場合じゃない。どうするのか考えろ、俺。


「――って、考えるまでもない。脱出するぞ!」

「脱出するって……階段から?」

「73階分を降りる時間はない。デカイ荷物もあるしな」


 俺は、足元に倒れている人物をちらりと見る。


「そっか、クレルモン氏がいるんだっけ。彼は気絶してるし、ライが担いでいかないといけないわね……」

「当たり前のように俺に押し付けるなよ」

「ライならできるって信じてるわ。わたしが恋する人だもの」

「その言葉、都合よく使ってないか?」


『20秒前――』


 って、馬鹿な言い合いしてる場合じゃない。どっちみち方法は1つしかないんだ。


 俺は、クレルモン氏が椅子に縛られていた時に使われていた縄を拾った。

 そして彼の身体と、俺自身を強く縛り付ける。


「それじゃ、かえって動きづらいんじゃない?」


 メリーナが不思議そうに尋ねてくるが、一から十まで説明してる時間はない。


「動きづらいかよりも、俺と離れないことが大事なんだよ」


 俺はクレルモン氏の腰に腕を回し、もう片方の手でメリーナの手を引く。


「えっ!? な、なななに? なんで手を繋ぐの?」


 メリーナは顔を真っ赤にし、慌てふためいていた。

 ただ、ここで変に勘違いされると危険なので、これだけは言っておこう。


「いいか、これは脱出のためだ。俺はクレルモン氏に注意を払ってるから、メリーナは自分の責任で俺にしがみついててくれよ?」

「あっ……いま、わたしの名前呼んだ? それに、しがみつくって……抱き合うのよね? その……ライも積極的になってきたってこと……?」


 おいおい、こんな時に勘弁してくれよ。

 仮に確認するにしても、そこじゃない――って、もうツッコんでる暇も残ってない!


『10秒前……9……8……』


「行くぞ!」


 左腕に意識のない男を抱え、右手でメリーナの手を引き、俺は走り出す。


「ええっ!? 待って待って待って! そっちは――」


 そう、ガラスが全部吹き飛び、開けっぱなしになってる窓だ。


『5……4……3――』


 そこまで聞いたところで、俺は……もとい俺たちは、73階の窓から夜空へ向けて飛び出した。


「いやあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ――」


 メリーナの絶叫が夜空に響く。


『1……ゼロ!』


 カウントダウンの終わりを聞いたと同時に、グンッ、と身体が下に引っ張られる。


「落ちるうううううぅぅぅぅぅ――いやあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ――」


 メリーナはこれ以上ないほどの力で俺にしがみついてくる。

 言いつけを守ってくれてありがたい。


 けど……ちょっと強すぎだ。首が締まって……このままじゃ、こっちまで意識を失いそう……。


「くっ……この……」


 俺は必死に、腰のあたりにある紐を引いた。


 ――パシュンッ!


 小気味良い摩擦音とともに、ふわりと身体が持ち上がる感覚を味わう。


「ハァ……念のため仕込んでおいてよかった……」

「えっ……なに? どうなったの? あっ……パラシュート……?」


 俺のスーツの下から、上に紐が伸び、頭上で大きく広がっているソレにメリーナが気づいた。

 ただ、あまりの急展開に思考が追いつかないのか、彼女の口は半開きになっている。


 と、彼女の腕の力が抜けかけた。


「おい! ちゃんと掴まってろ」


 俺はメリーナの身体を強く抱き、注意する。

 するとメリーナも再び力強く抱きついてくる。ただ、その表情は怯えきっていた。


「うぅ……こ、これ……落ちないわよね……」

「特注品だし、三人くらいなら余裕でもつ……と思う」

「そ、そうなの? わ、わわわたしの恋する人が言うなら……でも万が一ってことも……いえ、だいじょうぶだいじょうぶだいじょうぶ……」


 メリーナはぶつぶつと自分に言い聞かせるようにつぶやいていた。身体も小刻みに震えている。

 まあ下は真っ暗闇だし、恐いというのもわからないでもない。


 しかし想定よりも前に進まないな。ビルから全然離れないぞ。下にゆっくり落ちてるだけだ。


「ね、ねぇ……ミサイルはどうしたのかしら? まだ飛んでこないの?」

「ちょうど来たところだ」


 見上げた夜空に火を噴く物体が映る。流れ星にも似たソレは、どんどんこっちに近づいてきて……いや待て、これは……。


「わ、わたしたちも巻き込まれちゃうんじゃ――」

「このままだとその可能性が高いな」

「いやああああああぁぁぁぁぁぁぁ! ぶつかるうううううぅぅぅぅぅ! 落ちるわああああぁぁぁぁぁ!」


 意外と感情表現が豊かな子なんだな、メリーナって。


 ゴオオオオオオッ――。


 ミサイルから噴き出す不気味な炎の音が近づいてくる。


 そしてビルへ直撃する。

 その寸前――。


時間圧縮の犠牲者リップヴァンウインクル


 俺は魔法を使った。

 すると、ミサイルから噴き出す炎は、空中でピタリと静止した。


「ふぅ……どうにか間に合ったな……」


 本当にギリギリだった。ビルの屋上付近、あとほんの少しで衝突しそうなところに、ミサイルが固まっている。


「うぅ……もう死んだわ……わたし、恋を知ったばかりなのに……」


 しかしメリーナは気づいていないのだった。

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