No.009

「ハァハァ……やっと風が消えたわ……」


 メリーナもさすがにキツかったのか、床にへたり込んでしまった。


 吹っ飛んできたデスクや棚が、ちょうど俺たちを隠すように積み重なっている。

 ここでしばらくメリーナを休ませたいところだが、そう都合よくはいかなそうだ。


『観念することだ。さっきは手加減したが、次はそうはいかない』


 操られたクレルモン氏の声が部屋内に響く。

 その言葉に、メリーナは驚きを隠せない様子だった。


「あれで手加減したの? しかも、さっきのは<風系かぜけい>の魔法でしょ? <シャルトルーズウィング家>に師事してないのに、なんで使えるのよ……」

『魔法は十三継王家つぐおうけが下々に与えるもの……その考え方にも反吐が出る』


 メリーナのつぶやきにいちいち反論してくるなんて、神経質な奴だ。耳はいいみたいだが、性格は褒められたものじゃない。


『ライちゃん! プリよ!』


 また急に耳の奥から甲高い声が聞こえてくる。しかも相変わらずのフルボリュームだ。


「何かあるまで黙ってろって言ったよな?」


 俺はついつい無線の向こうに応えてしまう。

 そう、俺が悪いのだ……。


「またわたしに黙れって言ったわね」


 メリーナがほっぺをふくらませている。何回目だ、コレ……。


 いっそ、俺が無線を使っていることをバラしてしまうか。それで、プリとメリーナ、二人で勝手に会話してもらえると助かるんだが。


『プリ、黙ってないわね!』

「はいはい、モニターに変化があったんだな?」


 俺はもう開き直ってそのまま話すことにした。


『いままで見てたとこのずっと下のほうに、赤い点がいっぱい出てきたのよ!』


 プリが見ているであろう本部のモニターの配置を考えると、恐らく周辺の拡大地図だ。ということは、このビルの周りに敵が集まり始めたってことか?


「随分とお仲間がいるんだな!」


 身を隠したまま、俺は声を張り上げた。

 するとすぐに、奴の声が返ってくる。


『気づいたか、GPAジーピーエー。同志がこの区域を封鎖している。たとえビルから出られても、貴様らが逃げることは不可能だ』


 次から次へと面倒なことばかりしやがって。

 封鎖はともかく、これ以上のドンパチは避けたいところだ。


 これだけ魔法を使ってるとなると、そろそろ<魔法取締局マトリ>が出張ってきそうだからな。


『もしかしてライちゃん、ピンチなの?』


 プリにしては珍しく、声のトーンを抑えて尋ねてくる。おかげで、俺は何も考えずにそのまま答えてしまった。


「ああ、大ピンチだよ」

『ぴにゅ!? 大変わね! なんとかしなくちゃ!』

「お前が何かしても事態が悪化するだけだ。大人しくモニターの変化だけ見ててくれ。いいか、絶対に変なことは――」


 俺は、無線の向こうで騒いでるプリを落ち着けようとした。が、それを敵の大声が遮ってくる。


『いつまで隠れてるつもりだ? 時間が経てば経つほど、貴様らの脱出の可能性は低くなるぞ!』


 盾にしているデスク越しに、俺はちらりと奴の様子を窺おうとした。

 次の瞬間――。


 ヒュンッ――ドンッ!


 氷の槍がデスクを貫いていた。ギリギリ、俺とメリーナの間を貫いてくれたが、今のは危なかった。


 メリーナも目を丸くしている。ただ、突然の攻撃に驚いたというわけではないらしい。


「どれだけの属性の魔法を使えるの? 人を操るなんて高度な魔法を使ってるのに、さらに同時に属性の違う魔法を使うなんて、信じられないわ……」


 純粋というか素直というか、メリーナはいちいち奴の魔法に驚いていた。

 手品を見せるには最高の相手だな。


「今は奴については考えないようにしよう。とにかくクレルモン氏の操り人形状態を解除して、さっさとここから脱出するんだ」


 俺はメリーナに現実的な作戦を提案してみた。しかし彼女は、まだ気になることがあるようだ。


傀儡くぐつをどうやって解除するの? あの魔法の属性すらわからないんでしょ?」

「操ってる奴はこのビルにはいない。つまり、どんなに近くても73階分は離れてるわけだ。それだけ距離があれば、どの属性の魔法だろうと大した拘束力はない。気を失わせるくらいのショックを与えてやれば、操り状態は解けるはずだ」

「えっ、そんなことできるの? さすが、わたしが恋してる――」

「やるのはキミだ」


 メリーナの目がキラキラし始めたので、俺は彼女の言葉を遮った。


「わたしが!? どうやって?」

「それそれ」


 と、俺は彼女が大事そうに抱えてる剣を指さす。


「もしかして雷撃でショックを与えるの?」

「察しがいいな」

「でもわたし、加減できないわよ。下手したら、操られてる彼の命だって失いかねないわ」

「そんなもんを俺に振るってたのかよ……」

「もちろん、ライには手加減してたわ。だってわたしが恋する相手だもの」


 そう言ってメリーナがにっこり笑う。

 本当か? なんか恐いぞ、この子……。


「じゃあ、奴にも手加減して攻撃してくれ」

「うーん、一応やってみるけど、もしかしたら失敗しちゃうかも……。あっ、でもいざとなったら、ライが彼を蘇生させてくれるわよね」


 笑顔で言い放つメリーナの言葉に、俺は心底震えた。

 1年前、確かに俺は死にかけていたメリーナを蘇生させたが……。

 あの時のことを、この子は本当に覚えていないんだよな?


「どうしたの? なにか他に言いたいことでもあるのかしら?」


 メリーナの笑顔が恐い。が、そんなことを気にしていられる状況じゃない。

 俺はすべての感情を押し殺し、細かな作戦内容を彼女に耳打ちする。


 メリーナは目を輝かせ、何度もうなずいていた。

 俺の言うことをちゃんと理解してくれたらしい。


 というわけで、さっそく作戦開始だ。


 ――パンッ! パンッ!


 わずかでも隙を作るため、俺は威嚇射撃を行う。

 そしてメリーナに指示する。


「今だ! 行け!」

「任せて!」


 俺の号令を合図にメリーナが金髪をなびかせ突っ込んでいく。

 思っていたよりも速い。それに迷いがない。


 一瞬のうちに距離を詰め、メリーナがクレルモン氏に向けて剣を振る。


 ――シュンッ!


 が、よけられた。相手もなかなかの反応だ。


「まだよ! 恋の力はこんなものじゃない! この気持ちは、誰にも止められないわ!」


 メリーナは動きを止めず、何度も剣を振る。

 なんか恐いことを叫んでる気がするが、俺は聞かなかったことにしておいた。


 パンッ! パンッ!


 俺も援護射撃をする。しかし、それが奴の動きに影響を及ぼすことはなかった。

 

 どうせ他人の身体だから、どうなろうと気にしないってことか?

 それとも、俺に当てる意思がないと見抜いているのか?


「逃がさないわよおおぉぉ――」


 メリーナが剣を振りながら絶叫している。

 なぜか自分に言われてる気がして、俺のほうが身震いした。


『無駄だ。貴様らがこの身体を傷つけないのはわかっている』


 奴はまだまだ余裕の口ぶりだった。

 でも、わざわざ話してくれて助かったよ。


「観念しなさい!」


 その時、一瞬だけ俺とメリーナの視線が交錯した。

 

 そして彼女の剣さばきに変化が生じる。


 シュンッ! バチバチィッ!


 雷を帯びた剣が敵の身体を深く薙ぐ。

 

 当たった――。

 

 と思ったが、これも奴は大きく後ろに飛んでかわしていた。


『とうとう人質のことは諦めたか? 今のは避けなければ、この者の胴が真っ二つになっていたぞ』


 奴の言う通りだ。避けなければ、クレルモン氏の身体に大きなダメージを与えていただろう。

 だが、奴は避けた。それは確かだ。反射的な動きだったのか、あるいは斬られたくない事情でもあるのか、それはわからない。


 一つ確かなのは、奴は避けるということだ。

 それはつまり、俺の予想通りということでもある。


「これが最後よ――」


 メリーナが今までで一番の加速で、敵に迫る。

 剣を振りぬくスピードも速い。


『当たらぬと言っただろうが――』


 奴は後ろへ飛んでかわそうとする。

 そのパターンは、さっき見たんだよ。


粘着する地面グラウンドガム


 俺は魔法を使った。

 地面がガムのようにグニュリとへこみ、奴の足だけをからめとる。


『なっ――』


 これでもう避けることはできない。


「捉えたわ!」

『人質の身体がどうなってもいいのか!!』


 奴が叫ぶと同時に、メリーナは剣を振り下ろ――さなかった。


 メリーナの剣はギリギリ、クレルモン氏の頭上で寸止めされていた。

 そして狙い通り、剣に纏わりついている雷撃だけがわずかに触れる。


『ぎゃっ――』


 短い悲鳴と共に、クレルモン氏の身体がビクンと震える。

 そして、その場に崩れ落ちた。


「大丈夫? しっかりして!」


 メリーナはすぐにクレルモン氏の状態を確認しようとする。

 だが――。


『ぐぐっ……貴様……』


 クレルモン氏から聞こえてきた声は、さっきのままだ。魔法は解けかけているが、まだ多少の意識は残せているといったところか。


 俺もクレルモン氏の側まで行き、操っているほうの奴に話しかける。


「お前の本体はどこにいるんだ?」

『言うと思うのか? 見せかけの栄光など……底なしの沼に……沈めてやる……』

「つまらない捨て台詞だな」

『貴様は……絶望を味わう……必ず……』

「名前を聞いておこうか」

『ディープジニー……』


 それだけを言い残し、奴は完全に沈黙した。

 クレルモン氏の身体に纏わりついていた紫色の靄が消えていく。


「もう大丈夫そうだ。意識はないけど、呼吸は安定している。おかしな魔力も感じない」


 俺がそう伝えると、メリーナは胸を撫で下ろした。


「はぁ……よかったぁ……」


 メリーナは床にへたり込んでしまう。緊張から解放されて力が抜けたといったところか。


 俺も少しだけ気を緩めることができた。

 ただ、これで任務が終わったわけじゃないんだよな。


 この後のことを考えると……いや、考えるのはやめよう。

 考えたところで疲れが増すだけだから……。

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