第10話
「いい?親がいる時は話しかけてこないでね。まあ、滅多に顔を合わせることもないから、そんなに気を張る必要もないけど。」
結局クロネのお願いを断れず、私は隣に幽霊を伴って自宅へと帰っている。
自分が情けなくないわけではないが、さすがに一人で外に放置するのはそれはそれで人間としてどうかとも思わなくもないので連れてきてあげてるだけだ。私が優しくてよかったな。ふん。
『わあ。海が綺麗ですね。』
この前比奈綺と歩いた道のちょうど同じくらいのところでクロネが右斜め後ろから語りかける。
やはり前と同じように、暗闇の向こうの遠くに暗く渦巻く波が見えた。
「あんた、このあたりの出身なんでしょ?そうじゃなくても幽霊として彷徨っている以上、海なんて見慣れてるでしょうに。」
『見慣れているからといってそれが綺麗じゃないことにはなりませんよ。海はいつ見ても世界の支配層ですからね。』
「あっそ。」
よく分からないことを言われたらスルーするのが私にとっての定石だ。私の周りにはよくわからんやつが多すぎる。クロネに関してはよくわからんどころか何もかも分からんけど。
特にその後話が膨らんだわけでもなかったので、私たちは海に近寄ることもなく帰宅した。
既に日は完全に落ちており、周りの家には明かりが灯っている。母が仕事で出ている我が家だけは真っ暗だったが。
「ただいま。」
鍵を開けて玄関の電気をつけると、ようやく家に帰ってきたことを実感する。
だって、今日だけで一体どれくらい衝撃的なことがあった?
朝は人とぶつかったと思ったらそこに誰もいないという怪奇現象に遭遇し、誰もいない場所から声をかけられて不気味になって逃げた。午前中の授業の間にはクロネと名乗る幽霊と再度邂逅し、クロネの事情とついでに私に命の危機が迫っていることを伝えられた。授業後に公園で話し合って少しでも情報が得られたことはまだマシなことかもしれないけど、一日で起こった出来事としては人生の最大瞬間風速だろうな、これ。
『ただいまー』
そして平気な我が物顔で自宅まで侵略したこいつをどうにかして対処しなければならない。
『あれ?家族はまだ帰ってないんですか?』
「私の家族は母だけ。その母も仕事で忙しいから遅くまでは帰らないよ。」
『じゃあ二人っきりですね。』
いや一人だ。
基本的に存在しないものを人間だと認識することは世間が許さないだろう。というかこいつは本当に存在しているのだろうか。私の幻覚だという説もまだ残っていそうだ。
「ねえ。クロネって私以外には何にも触らないんだよね?」
『はい。触れませんね。』
「じゃあ壁もすり抜けるってこと?」
『すり抜けられますけど。』
「…………じゃあ床は?今は私の家の床の上にいるわけでしょ?じゃあ床の板には触れられるんじゃないの?」
『あ、いえ。何も意識してないと、地面もすり抜けて地球の裏側まで落ちちゃうんですよわたし。だから常に地面から数ミリくらい浮いた状態を意識してるんです。』
某猫型ロボットみたいなやつだな。
クロネは基本的に世界の全てに触れられないのか。
「いや………私に触れられるってことは、私が触れているものにも触れられるんじゃない?」
『?どういう意味ですか?』
私はそこらへんに放り投げられていたボールペンを床から拾ってクロネの方へ差し出す。
「例えば、このボールペンは今は私が手に触れているものでしょ?クロネは私に触れられるわけだし、それならこのボールペンも今は私の体の一部として感知されるんじゃないの?」
正直私程度の頭脳でクロネの不思議要素を解明することなんて最初から考えてはいないが、今後生活を共にするなら最低限の空間接触猶予は把握しておくべきだろう。
『ん〜?どうなんでしょうね。まあせっかくですし触ってみますか。』
そして私の手先にボールペンに重さが加わったことが伝わる。
感触的に、確かにペン先に何かが触れられている。クロネの手がボールペンに触れたと考えていいだろう。
『おお、ボールペンに触れました。今まで触れられたことなかったのに。』
やはりそうか。
基本的にクロネは何にも触れられないが、私と私が触れているものには触れられるわけだ。
…………ますますクロネに関する謎が深まっただけのような気もするが、まあ知っておいて損はないだろう。
「はあ、結局役に立ちそうな知識ではないか。まあいいや、とりあえずご飯食べよっと。」
悩ましい問題はボールペンと同じくそこらへんに放っておいて、私は一人での食事に臨むため、キッチンへと向かう。
母が仕事で忙しいこともあって、食事は私が用意するのが日常的だ。いちいち作るのは面倒だから、基本的に作り置きしておいて冷蔵庫で保存している。今日もまだ何か作り置きがあったはずだ。ご飯も炊いてあるし。
冷蔵庫からタッパーに入った野菜炒めを取り出して電子レンジに投げ込むと、後ろから何やら視線を感じた。
「そういえば、クロネはご飯って必要なの?」
私にしか触れられない時点で答えは決まりきっていそうだったが、向けられる視線が気になったので一応聞くだけ聞いておく。
『いや、必要ないですよ。出る方がないんですから入れる必要もないです。』
まあそうだよね。
「…………じゃあなんでさっきからこっち見てるの?」
『いや、朱莉さんの手越しにボールぺンに触れるならご飯も食べられるかなって。』
「…………食べたいの?」
『可能なら。』
「………………」
私は無言で冷蔵庫からもう一人分の野菜炒めのタッパーを取り出して、まだ動いている電子レンジの中に追加でぶち込んだ。
自覚ないけど、私ってめんどくさいくらいに世話焼きなのかもしれない。こんな状況で知りたくなかった知識だ。
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