第5話

 私がぐちゃぐちゃになった思考をなんとか整えつつ到着した場所は校舎の裏だった。

 ここは学校の塀と校舎の間にある狭いスペースで、薄暗く雑草もかなり生えているので誰も近寄らない。少なくとも、授業中にここに来た人間は歴代でも私だけだと思う。こんな不良みたいなサボり方をしたのは初めてだが、状況が状況なだけにそれも仕方ないと割り切るしかない。


「………ついてきてる?」


 一番奥の絶対に誰にもバレない場所に辿り着いた私は、意を決して虚空に向かって声を放つ。本当に透明人間がいるのかなんて、我ながらこんなことを信じるなんて馬鹿らしいが、私がやっていることが狂っていることかどうか分かればそれでいい。


 だが、現実は小説よりも奇なり、と言うように、私に待っていた答えはやはり予想を裏切ってくる。


『いますよ。ここに。』

「!?」


 私の隣から声が聞こえて、すぐさま声の方向と逆に後ずさる。

 もし本当にいたとしても私の後ろをついてきていると思ってたから、予想外の場所から現れられるとどうしても本能的に回避せざるを得ない。いやそもそも本当にいることが一番の大問題なんだけどさ。


「………あなたはなんなの?誰?人なの?なんで私にまとわりつくの?」


 信じたくなくてもそこに何かあることはどうしようもない事実なのだ。それなら、こっちが情報を握って少しでも心身を落ち着かせるべきだ。冷静になれ私。


『うわぁ。一度にそんなにたくさん質問しないでくださいよ。まあでも、私の方から話しかけてきたんですから、説明しないとですよね。』


 言葉遣いは敬語を使っていて丁寧とも言えるが、声の調子はどこか気が抜けたようなヘラヘラしている感じだ。表情が見えないからなんとも言えないが。


『えーっと。まずわたしが誰か、ですよね。そうですね……わたしの名前は、うーん、……クロネって言います。』

「………今考えたよね?」

『そうですよ。っていうか名前はないんです。でも、名前がないと困るかなぁって思って今つけました。』


 だからと言って、そんなテキトーな名前をつけられても。いや、そんなことより名前がないってことは、やはり彼女は人間ではないのか。というかどうして私はこんなに冷静なんだろう。


「名前がないっていうのは…?」

『ああ。それは二つ目の質問、人間なのかどうかって話ですね。』


 そもそも目で追っても認識できない存在な時点でどう考えても人間とは思えないが、人間じゃない存在がこんなとこんなに会話ができるとも思えないので、そこで大きな思慮の矛盾に陥る。

 足音が聞こえないということは彼女自身が浮いていたり重さがほとんどないとかなんだろうか。なんにせよ未知なる領域であることには違いないと思う。


『まあ答えは半分人間ってとこですかね。』


 そしてこいつは平然と私の真剣な疑問を躱してくる。半分ってなんだよ。せめてどっちかはっきりしてくれればまだ考えようがあるのに。


「いや答えになってない。」

『だから、そのままそうなんですよ。』

「………幽霊と妖怪の類ってこと?」

『あっ、たぶんそれが近いような気がするかもです。』


 たぶん、とか、かも、とかどれもこれも推定でしかない言い方だ。わざと自分の正体を隠しているのか?それとも本当に自分が何者なのか曖昧になっているのか?


「たぶん、ってどういうこと?そうなの?違うの?」

 

 先ほどより若干威圧さを増して問い詰める。

 とにかくここで彼女のペースに合わせてはいけない。


『わたしもよく分かってないんですよ。たぶん死んだってことくらいで、どういう存在なのかさっぱり。』


 姿は見えないけど、洋画みたいに肩をすくめているシーンがなんか想像できる。本当に分かっていないらしい。本人が分かんないなら私が知りようもない。


「じゃあ、私になんのようなの?」

『ふふふ。よくよく考えてください。他の誰にもわたしの声は聞こえてないんです。でもあなたには聞こえている。』

「はあ。」

『これはあなたが運命の人だからに違いありません!だからあなたに協力して欲しいことがあって……』

「待った待った。あなたの声が聞こえる理由は私にも分かんないけど、それのどこが運命なんだ。ていうか運命って何?」


 いきなり幽霊が運命の相手とか言われても。私の平和な人生に急にイレギュラーが入り込んできたって迷惑なだけだ。


『へ?運命は運命です。かなり長い間探してましたけど、私の声が聞こえるのはあなただけなんですから。』

「でも姿は見えないよ。」

『それはわたしも知りません。でも』


 そこでクロネの声は途切れた。

 なんだなんだと困惑していると、私の左の手のひらを何やら暖かい温もりが優しく包んだ。


「!?」


 慌てて手を引き抜くが、その温もりは確かに私の手に感触として残っている。


『ほら。声が聞こえるだけじゃなくて触ることもできる。そんな人、これまでいなかったんですよ。』


 どうやらクロネが隣で私の手を握ったらしい。


「……幽霊なのにあったかい。」


 今のは本当に人の体温を感じた。快晴の枯れた寒空の日だから余計にその暖かさを実感した。


『そうなんですか?わたしの正体ってなんなんでしょうね。』


 なぜか声を高鳴らせてクロネが楽しそうに笑う。自分が何者かも分かっていないのにのんきなやつだ。


「………分かったよ。あなたが確かに私にとって特別な存在なのは理解した。でももう絡んでこないで。普通に迷惑だから。」


 原理はまったくもって分からない。彼女の本当の姿とか、何者なのかとかは私なんかには想像もつかない。もしかしたら霊能力者とかにも私と同じようなことが起こっているのかもしれないけど、いずれにしても私は平凡な人生を歩みたいのだ。こいつと会話してたらさっきみたいに私だけが狂人に見られてしまうことだってあるだろう。

 運命か何か知らないがこいつと絡むのは厄介すぎる。


「じゃあね。」


 ぶっきらぼうに言い跳ねると、私は何も話すことはない、と主張するようにその場を去ろうとする。


『待って!』


 がくん!と進もうとした足が止まり体がのけぞる。クロネが右手首を強く掴んで私が前進するのを阻止したのだ。そこに理解が追いつかない必死さが垣間見えて、思わず私も歩き続けるのを止める。


「……なんでそんなに私にこだわるの?寂しいの?」

『それもあるけど……。でもそれ以上にわたしにはやらないといけないことがあるんです。それにはあなたが必要なんです。絶対。』



 



 


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