第2話
私たちの家は海の近くにある。
だから、海に行く、と言ってもそこまで遠出をするわけでもなく、帰宅路を少し延長させただけだ。
とはいえわざわざ海を見に行ったところで何か良いことがあるわけでもないので、寒さに凍えながら若干の嫌気とともに足を進めた。
いや別にいいんだけどね。
比奈綺がそうしたいって言うなら、私も彼女と一緒にいるためにそうしよう、と思ってるのに同じだし、いちいちケチをつけることもないんだろうけどさ。
「海に行くなんて久々だなぁ。灯台下暗しっていうか、案外わたしたちって海と関わらないからさ。灯台だけに。」
つまらないギャグをかます比奈綺のことは放っておいて、道を降り海岸に一番近い道路にまで辿り着いた。
さすがに砂浜まで行くと危険すぎるので、ここら辺で留めておこうと、陽が完全に落ち切った暗闇の海を眺めながら両腕を砂浜との堺にあるフェンスに掛けて体を預ける。
隣で見ていた比奈綺も私に倣ってか、同じような体勢をとって目線を遠くに向けていた。
しばらくそこで眺めていたけど、本当に何もない。波がぐわんぐわんと渦を作っているのは見えるが、魚が見えるわけでも鯨が跳ねるわけでもない。特段綺麗なわけでもない。
比奈綺あるあるなんだけど、こういうことをしたがる理由はなんだろう。この人には何が見えているんだろうか。私には全く分からない。
「ねえ。あかりん。」
さっきよりも幾分かトーンを下げて比奈綺が語りかけてきた。
その様子が一瞬真面目なものになったようで、体が硬直する。同時に辺りに強い北風が吹いて、比奈綺の短いショートヘアが重力に逆らうように横にたなびく。
「海の下には、何があると思う?」
飛んできた問いはなんの変哲もない知識問題だった。
どんな意図がある質問なんだろう。
本人の態度も相まって真面目に答えるべきか悩む。
「何って、そりゃあ岩層があるんじゃない?」
だから、結果的に出した答えがこんなマジレスでも許して欲しい。
私の回答を聞いた比奈綺は、一瞬ほんのりとした見慣れない微笑みを見せた後、
「ぶぶーっ。正解は、海の下にはロマンがある、でした!」
にしし、と特有の笑いを見せるいつもの比奈綺に戻った。
「海の95パーセント以上はまだ未知の領域らしいよ。この海も、潜れば大発見があるかもねぇ。」
さっきまでの様子が変わった彼女はどこへやら。知っている知識をなんでも言いたがる普段の比奈綺だ。
「まさか飛び込むとか言わないよね?」
「まさか!カナヅチのわたしじゃ大海には漕ぎ出せないかな。あ、わたし塾があるから行かなきゃ。今日は付き合ってくれてありがとねー。」
途中から早口になりながら、比奈綺は思い出したように塾へと駆けていった。
「………忙しいやつ。」
他人を誘っておいてこれかよ。
怒ってるわけじゃないけど、本当に何がしたかったのかいまいち分からない。時間に余裕がないならそもそもこんなところに来る必要もないはずなのに、無理してここに来たのは何か明確な目的があったわけではないのか。
まあいいや。私なんてどうせ暇なんだし、あの子の気まぐれは退屈しないし。
それに比奈綺はああ見えて真面目に塾に通っていて、授業も私と違って積極的に参加しているっぽいから、サボりまくっている私が彼女の頼みを聞かないのもなんか罪悪感的なものがある。
自分の怠慢を認識したのも束の間、家に帰ってゲームでもしよう、と黒い波が沸き起こる海から目線を外した時だった。
ぼちゃん
水の中に何かが飛び込む音がした。
ぽちゃん、じゃなくて、ぼちゃん。
何が言いたいかというと、かなり大きくて重いものが水の中に落ちた音ということだ。
ここには私たちしかいなかったから、誰かが何かを落としたわけではない。かと言って、魚が跳ねただけではあれほど大きな音は聞こえない。
その場に適さない音に違和感を感じて、本能的に先程まで眺めていた海に再び視線を戻した。
しかし、何もなかった。
正確には、何も見つからなかった。
これだけ大きな波が次々と押し寄せてきているのだ。仮に何かが水に落ちたとしても、到底それを見つけるなんてできない話だった。
「まあ、いいか。」
若干嫌な空気が私の周りをまとわりつくのを感じたが、あくまでただの違和感。何を見たというわけでもないので、私の気のせいということにしてその場を立ち去ることにした。
私が足を進めた頃に、傘に降り積もっていた雪がどさっと地面に滑り落ちた。
この時点での私が知る由もないことだが、既に波は私のすぐ後ろにまで接近して大きな口を開けていた。
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