冬に望む。君と薄氷を。
佐古橋トーラ
第1話
「ふわぁ。眠い。」
教室の中は暖房の熱が籠っており、ただでさえ寝不足な私を安眠の世界へと導いてくる。外で降っている雪のことなんて、目に入れなければないも同じだ。
「こーら。寝ちゃダメだぞ。わたしたちもうすぐ三年生になるんだよ。先生も言ってたじゃん、二年三学期は三年一学期だって。」
完全に頭を下げて眠ろうとしている私の頭をつんつん指で押しながら、正面の席から後ろを向いた友達、
「二年三学期が三年一学期なら、来年の春は三年何学期になるんですかね。三年生になる準備ができてる比奈綺さん?」
「え、そりゃあもちろん…………あれ?なんだろう?」
「はぁ。先生が言ってたのは三年ゼロ学期でしょ。そもそもそれだって、私たちにプレッシャーを与えてるだけで、何の意味もない言葉だよ。いかにも我が校は勉強に力を入れてますよっていうアピールでしかない。」
比奈綺はいちいち物事にやる気はあるんだけど、私から見ればただのお調子乗りのポンコツな女の子だ。まあ、そういうところも彼女のいいところでもあるんだけど、私にまでそれをいうのは釈迦に説教ってもんだ。いや自分が釈迦になったと思うほど傲慢ではないけどさ。
私の名前は
私たちは、来年に受験を迎えた私立空峰高校の二年生だ。
さっきの会話からもわかる通り、今はちょうど二年生の三学期が始まった一月序盤。いよいよ受験勉強シーズン到来ってところだが、私はどうもやる気が出ない。
だって勉強とかすごくめんどくさいし、将来的に見ればやるべきだってことくらい分かっているけど、それでもやっぱりやりたくないものはやりたくない。
そう。私という人間は自分でもびっくりするくらいの怠け者なのだ。興味がないことは絶対にやりたくないし、何かに興味を持つこともあまりない。無気力というわけでもないけど、基本的には多くのことを惰性で行っている。
まあ、そういう人間なんだから仕方がない。昔からそうだったし。
「あかりんは怜京大学の経済学部が第一志望だよねー。あそこまあまあな難易度だけど大丈夫そ?」
「ん。だいじょーぶだいじょーぶ。どうにかなるよ。きっと。」
比奈綺が面倒くさい話を継続しようとしたので、適当に相槌だけ打って再び頭を机に突っ伏す。私が眠いのはこの部屋が無駄に暖房がよく効いてるのが悪い。うん。
大学受験は私たちの最大の目標であることには違いないのは確かなんだが、正直大学に落ちても滑り止めに行けばいいし、滑り止まらなかったとしても高卒で働けばいいだけだったりで、正直そんなに危機感を感じていない。実際、現状でも第一志望の大学はなんとかなりそうだから別にわざわざ勉強に勤しまなくてもいいやって思ってしまう。本当に怠け者だ。
ちなみに経済学部っていうのも、なんとなくそれっぽいから、という理由で選んだものであり、別に学びたい学問があるとかいう殊勝な志は持っていない。
「ていうか、あかりん。帰らないの?さっきから何を待ってるの?」
比奈綺の正面からの呼びかけに顔をあげて、私はようやく今の状況の異変に気がついた。
「あれ?みんなは?」
いつのまにか、教室には私と比奈綺しかいない。
移動教室でもあったかな?
「いや、もうみんな帰ったよ。時計見なよ。」
「………ん。」
寝ぼけ眼で教室の右上についてる掛け時計を眺めると、時刻は午後五時になろうかというところだった。とっくに六限も終わって下校時刻を過ぎている。
「ああ。もう授業終わってたのね。それなら教えてくれてもよかったのに。かえろ。ひな。」
「いや言わなくても気づくでしょ……。さすがに教室から誰もいなくなっているわけだし。」
比奈綺も流石に呆れたようで、別の種類の生き物でも見るように目を細める。
私はというと「ごめんごめん」と適当に謝っておいて、カバンを用意して帰り支度をした。
いけないいけない。
さすがに寝過ぎたかな。
帰りのホームルームが終わっていたことすら忘れるなんて、我ながら自分の認知力が心配だ。
教室の暖房を切って電気を消すと、廊下は一気に暗くなった。冬のど真ん中なんだし、早い時刻から陽が落ちるのは当然なんだけど、寒さと相まって誰もいない廊下はなんだか不気味だ。
「幽霊でも出そうな雰囲気だね。」
私が咄嗟に思いついたことをなんとはなしに口に出してみると、隣を歩いていた比奈綺がぐいっと体を私に寄せてきた。
そういえばこの子は怖がりだったっけ。
幽霊とか信じてるとかなんか可愛いな。
私たちの教室は三階なので、窓がなく暗さの増した階段を降りなければならない。それ自体は別にどうだっていいのだが、隣で比奈綺が抱きつき続けていたので階段から転びそうになった。さすがに引っ剥がした。
というふうに、ちょっとしたハプニングもありつつ、私たちは無事に玄関から外まで出られた。
「ふぅー。死ぬかと思ったぁ。」
「死ぬかと思ったのはどちらかと言えば私の方なんですけど。」
比奈綺の安堵にすかさずツッコミを入れる。
まあ元はと言えば私が寝過ごしたのが悪いんだけど。
外を眺めると空からは大粒の雪が降っており、傘をさしてもすぐに雪の重さを感じるほどだった。地域が地域だから雪が多いのは仕方がない。
私と比奈綺は街灯の灯る細道を二人で並びながら帰った。
比奈綺は私の唯一といっていい友達だ。
高校一年からの仲で、いつの間にか仲良くなって、いつの間にかいつも一緒にいる。私はともかく、比奈綺はいわゆる陽キャというやつなので私と絡む理由がさっぱりだが、彼女と一緒にいても不快ではないし、むしろ気が楽でいられるので個人的にはかなり気に入ってる。
あと、比奈綺は身長が低くて性格も小動物っぽくて可愛いのも個人的にはお気に入りポイント。私が167センチなのに対して比奈綺は149センチだ。どちらかと言えば私が標準より大きいせいなのかもしれない。
ま、比奈綺も私も特別変わった人ではない、ただのそこらへんの女子高生そのものだということだ。私は今の自分に割と満足しているほうだし、これ以上悪くなるともよくなるとも望んでいない。
随分と寝過ごしてしまったせいか、校舎の外にも人の姿は見えなかった。この雪じゃグラウンドで部活はできないだろうし、体育館は使用されていたとしても私たちの目線には映らない。
私たちが住む街は、全体的に山の斜面に沿って斜めの立地に建物が建てられており東南北は山に囲まれていて、西には海がある。方向は違うけど、鎌倉みたいな感じ。そして学校はかなり山の斜面に面している。
つまり、家に帰るために街へ向かうと、自然と海の方向に向かって降ることになるのだ。
そういうわけで、遠くを見つめると地の斜面の向こう側に広大な海が広がっているのがこの時間帯でもわかった。
冬の海は荒れる。
ここから見えるだけでも、ドレーク海峡もかくやと思うほどの波の唸り具合だ。
「ねえ。ちょっと海を観に行かない?」
私と同じ景色を眺めていたであろう比奈綺が、不意に一歩足を踏み出して私に向き直った。
「はあ?なんでこんな時間に海なんか。」
海なんか家に帰るたびに目に入るものだし、今更ありがたがるようなものでもない。夏ならともかく、夜にこんな荒れた海を見に行くなんてそもそもが危ない。
「まあまあ、いいじゃん。ちょっとだけだからさ。」
「………ちょっとだけだよ。」
比奈綺は時々こういうよく分からないことをしたがる。別に意味もないことだけど、暇人な私は別に断るようなことでもないので、つい話になってしまうことが多々ある。
傘の下の表情は見えなかったけど、比奈綺は決まってこういうとき楽しそうに笑う。その笑顔は私には少々眩しすぎたが、見ているだけで気分が高まるような、潑剌としたものだった。
そんな冒険少年みたいな彼女の隣を歩く私、その日常だけで事足りていた。
今日までは。いや、正確にはもう少し後までは。
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