第19話
「お嬢様、お食事をお持ちしました。」
重厚な扉を前に、少し昨日の記憶が蘇る。
気恥しさを隠すように、平静を装いつつ声をかけた。
「どうぞ、入って。」
扉は開かぬまま、奥からお嬢様の声が聞こえた。
「失礼します。」
扉を開け入ると、お嬢様はソファーの上で分厚い本のページをゆっくりとめくっていた。
「……。」
いつもなら明るく駈けてくるお嬢様と比べてしまい、昨日の自身の姿に幻滅してしまったのでは無いかと不安になる。
「…こちらお食事でございます。集中していらっしゃるようなので私はこれで失礼します。」
トレイをテーブルに置いて、沈黙を続けるお嬢様を横目で見る。
なんでだ、目が合わない。
「……。」
心臓がツキリと痛み、奥歯を噛み締める。
結局、私が廊下に出て扉を締めるまで、お嬢様は私を1度も見なかった。
グルグルと、胸の中に異物のような気持ち悪いものがうごめいている。
思わず吐き気をもよおし、体が強ばった。
「……あれ、お嬢様のお食事渡したの?」
知らずのうちに前から歩いてきていたメリルが、私を見て不思議な表情を向けた。
そんなメリルの疑問は他所に、私は心の中で、メリルが居ることにすら気付かなかった自分に驚いた。
「あ…はい。先程お渡しして、お忙しいご様子だったのでトレイの回収は後からに。」
「そう。いーっつもお食事する最中はループスを傍に置くのにね。」
攻撃の意志のないその言葉に、私の心は深く傷付く。
昨日の私の姿が、どれほど醜く、どれほど滑稽だったかなんて私が1番知っている。
仲間の死体を見て、より一層死にたくないと生に執着して、最期まで命令を忘れなかった彼等に背を向け私は逃げた。
そんな彼らの亡霊を見て震える様は、誰がどう見ても滑稽で、情けなくて、そして狡猾だと思うだろう。
「ループスどうしたのよ。」
手を肩に触れ、優しくさするメリルに、つい助けを乞う様に肩に頭を預けた。
「……私は最低なんだ。」
肩をさする手が一瞬止まり、次は慰めるようにトントンと軽く叩いてくれる。
「お嬢様と喧嘩でもしたの?意外ね。」
「違う……私は、彼女には見合わない。」
美しい容姿と、美しい心、優しい声に可愛らしい笑顔。
私にはそれが何一つ備わっていない。
彼女と恋仲であると、それだけが私の中での唯一の自慢でもある。
でもそれは、私の中の一番の劣等感でもある。
誰にも言えない、言ってしまえば確実に崩される脆い関係。
私自身が見ても、他者がみても、私と彼女は釣り合いの取れない歪な形をとっている。
「……よく分からないけど、私はループスのことすごく素敵だと思うわよ。他の殿方より、ずっと素敵。」
聞いた事のない、メリルの柔らかな声に頭をあげる。
困った様なその静かな笑顔は、傷付いた心にじんわりと暖かく染みた。
「……申し訳ありません。少し、気が動転していたみたいです。」
何故かよろけた身体を、グッと足で支え込む。
「うふふ、いいのよ。ループスが私に甘えてくれるの嬉しいわ。あと、こういう時は感謝の言葉の方が嬉しかったりするものよ。」
「……ありがとうございます。正気に戻りました。」
気恥しい気持ちでメリルを見ると、いつものメリルの笑顔に戻っていて、何だか少しだけホッとした。
「あ、そうそう。公爵様がループスの事呼んでって。」
その言葉に落ち着いた心は別の焦りを含み始める。
「ちょっと、それは早く言ってください!」
「大丈夫大丈夫、空いた時にでも伝えてって言われてるから急ぎでは無いみたいよ。」
「それなら良かった...ありがとうございます、今から行ってきます。」
「はぁい。」
ぷらぷらと手を振るメリルを背中に、私は少し急ぎ目に公爵様の執務室へと向かった。
「あ、お嬢様とお話した事自慢するの忘れてたわ。」
ループスの姿が見えなくなった廊下で、メリルは肩を竦めて少し笑った。
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「良いよ、入って。」
扉を軽くノックをすると、公爵様から返事が返ってきた。
再度断りを入れてから部屋に入ると、私の姿を見た公爵様が、少し驚いたあと優しげに微笑んだ。
「遅れてしまって申し訳ございません。」
「いや、忙しいところすまないね。少し頼み事をしたいんだ。」
よく見ると、彼の目の下には深い隈が出来ており、机の上はいつもよりも書類が散乱しているように見えた。
忙しいのは公爵様の方じゃないのか。
「いえ、滅相もありません。公爵様のご命令ならなんなりと。」
そう言うと、公爵様は少し可笑しそうに笑って、ふうと一息ついて口を開いた。
「相変わらずの忠誠心だね。……君にこれを友人の元まで届けて欲しいんだ。」
柔らかな笑顔で懐かしむように話す公爵様。
「かしこまりました。お任せ下さい。しかし、そのご友人とは?」
「...うーん、彼はクレアモントの領土で暮らす男爵なんだけど、もうすぐ彼の誕生日でね、この誕生日プレゼントを彼に渡したい。」
公爵様はそう話しながら、机にある引き出しを開けて、包装された小さな箱と、綺麗に作られた便箋を机の上に置いた。
「……かしこまりました。」
「明日には出て欲しいんだけど、頼めるかな。」
遅れて公爵様が急いでそう付け足し、目的地までの地図を私に渡した。
少しお嬢様の顔が浮かんだが、私はすぐに了承の旨を伝えた。
「そういえばペリーとは話したかい?」
思わぬ所でその名前が出たので、顔を顰めてしまった。
「……ええ。」
「はははっ、ループスは彼女が苦手かい?気が合うと思っていたんだけど。」
私の反応が面白かったのか、やけに楽しそうに笑う公爵様に困ってしまう。
「業務には支障をきたしておりませんのでご安心下さい。」
「まあ構わないさ、ループスもペリーも、2人とも正義感が強くて優しい人間だから出来れば仲良くして欲しいと思うけどね。」
正義感が強くて優しい……?
私にも当てはまらないが、ペリーにも当てはまらない。
ペリーがお嬢様を殺そうとしていると知れば公爵様はどのようなお顔をされるのだろうか。
「……では、明日の朝に発ちます。この距離ですと帰りは次の日の出前になりそうです。」
クレアモント領土に入るとなるとこの屋敷から丸1日かかる。
「ああ、もしよかったら観光でもしておいで。宿代も渡しておくから2日くらい遊んできなさい。」
公爵様の言葉に少し耳を疑った。
最近お嬢様が狙われているのにも関わらず?
「……しかしお嬢様の身の安全は、」
「問題ないよ。リビアの家庭教師が体調を崩して休んでいるから、ペリーを代わりの教師として置くことになったんだ。」
ああ、ストレスで頭がくらりと揺れる……。
「……ああ、なるほど…。」
「そこで護衛もついでと、ペリーは元王家のお抱えの騎士だからね、彼女に頼もうかと思っている。」
その女が一番危険なんだ……。
「しかし……このプレゼントは……その、他の者に渡してもらうことは……。」
そうだ、誕生日プレゼントを渡すくらい使者にさせればいいじゃないか。
「それは出来ない。……はあ、本当はロイに頼もうと思っていたんだけど、ロイは僕の護衛だからそれは出来ないと断られて……。」
ただの誕生日プレゼントをわざわざロイに?
「……これ…は、そんなに重要なものなのですか?」
「ああ、とても。だから君に頼みたい。」
「……メイド長でなくて、私なのですか?」
まだ赴任して3ヶ月にも至らない。
そんな私よりも、長く働いているメイド長の方が信頼に置ける。
「何かあった時、ランマットじゃそれらを守れないだろう。」
公爵様のこの発言は、この箱を何者かが盗もうとするかもしれない……という事だ。
……いやいや、しかしお嬢様の護衛がペリーなのは如何なものか。
「あっ……そうです、メリルさんはいかがでしょう。ペリーさんは教師としてお疲れでしょうし、護衛も担う事になります。世話係はメリルさんを推薦致します!」
そうだ、いいぞ、メリルならお嬢様の近くでベラベ……楽しく会話をしてくれるだろうし、お嬢様には好意的であると伝えてある。
「そ、そうか、ループスがそこまで言うなら身の回りの事はメリルに頼もうかな。」
その返事に、心の中で大きくガッツポーズをする。
こうなれば、最速で1日ほどで帰って来ればお嬢様とペリーを2人きりにする時間は限りなく少なくなる。
……教育時間は少しばかり危ないが、刺客を寄越してくる位だから犯人が自分だとバレたくないはず。
やるならみなが寝静まった頃、その1日の夜さえ乗り越えれば私が帰って来れる。
「よし!!」
「ど、どうしたんだ、一体……。」
困惑する公爵様に挨拶をして、足早にメリルの元へと向かった。
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「メリルさん、見つけた。」
働き者のメリルを自分から見つけ出すのがここまで難しいとは。
洗濯室にいると言うので迎えば、次は庭へと向かったと聞き、庭へ向かうと次は屋敷の中へと戻ったと聞く。
やっと見つけたメリルは、侍女室でシーツのほつれを縫い直していた。
「あら、珍しいわねループス。なになに、どうしたのよ!」
何故かとても嬉しそうなメリルを見て、体の力が抜けてしまう。
「……メリルさん、私は明日の早朝から次の日まで諸事情でクレアモント領へと向かうのですが、その間お嬢様の世話係をお願い出来ませんか。」
「ええ??私が?って、待って、諸事情ってなによ。」
慌てふためくメリルの手を握り、いちばん伝えたかったことを伝える。
「……それでですね、これから言う事が私からのお願いなのですが、夜間不定期に5回程お嬢様のお部屋の周りを見回ってくれませんか。」
「ちょ、ちょっと待ってループス、私着いていけない。」
「……そうしたらきっと無闇に狙わないはず……メリルさんがいつ来るか分からないだろうし……」
「ねえちょっと聞いてる?ループス?」
よし、最善策はこれしか浮かばない。メイド長に頼んでも良かったが代理の世話係という面でもメリルに理由つけする方が楽だからな。
「そういう事で、お願いできますか。メリルさん。」
しゃがみこんで目線を合わせると、何か酸っぱいものを食べたような顔をしてから、メリルはキーッと威嚇した。
「ずるいわよループス!ずるい!もう!分かったわよ!……ああもう、寝不足になりそう。私のお肌がぁ……。」
「ありがとうございます。お土産、買ってきますね。」
何がいいだろう、メリルはオシャレだから身に付けられるものが良いだろうか。
「……あっ、ループス、そろそろお嬢様の晩のお食事持って行かないと。」
ハッとした顔で首から提げた懐中時計を指さすメリル。
針のさす場所を見ると、メリルの言う通りそろそろお食事の時間だった。
先程のお嬢様の反応を思い出し、胸がつきりと痛む。
「では、行ってきます……。」
「ふふ、早く仲直りするのよ。」
幼子を見る母のような目で、メリルがそう言った。
なんだか気恥しい……。
「はい…。」
メリルと別れたあと、重い足を運び食堂へと向かった。
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