第18話

お嬢様の部屋のソファーに、力なく座り込む私を、お嬢様は心配そうに見つめる。


全身汗でビシャビシャだ。それこそ雨にふられた程だ。


「……ループス、一体どうしたの?」


お嬢様の声が耳に入る。


本当に、お嬢様は存在するのだろうか。

私の限界をきたした精神が作り出した幻覚で、本当はお嬢様は愚か、今この屋敷すら、戦場なのかもしれない。


「……今、この場所は現実ですか。」


「何を言っているの…?現実よ?」


「…お嬢様は、私の幻覚?」


私の考えを現実にするかの如く、雷の眩い光がお嬢様の輪郭を鮮明にする。



お嬢様は、その言葉に少し哀れむような顔をしてから、私の手を取り自身の頬に擦り付ける。



「温かさが伝わらないかしら、これでも幻覚に思う?」



まだ頭がボーッとして、全身の感覚が弱い。


「……分かりません。」


私の返事に、お嬢様はそっと目を伏せた。


少しの沈黙の後、お嬢様が口を開く。


「…前にループスが言ってた、傷だらけの身体って……今意味が分かったわ…。」


お嬢様は私の生身の腕をスっと撫でると、一際大きく、少しクレーター状に凹んだ傷で手を止めた。


そうだった、今私、寝衣のままだからほぼ下着状態なんだ。


「申し訳ありません、こんな格好で…。」


頭を下げようとした時、雷鳴がつんざくように大きく音を鳴らした。


「……わ。」


お嬢様の咄嗟に出た小さな声が、聞こえる。


「……。」


私は咄嗟にお嬢様に抱き着いていた様で、すぐさま体を退かそうとも、恐怖で竦んで動かない。


脳内に過ぎる彼らの亡骸が、頭の中により一層の煙たい毒を撒く。


「……はぁ……はぁ…。」


もはや殴打音とも言える心臓の音に、視界がグラグラとゆがみ始める。


「ループス、大丈夫よ。…大丈夫、大丈夫。」


お嬢様は、情けなく抱き着いた私を胸の中に抱きこみ、背中をゆっくりと撫でてくれる。


次第に、冷えきって感覚を失った指先に温もりが蘇り、体内を侵食するように拍打つ鼓動も落ち着きを取り戻す。


「……。」


「…ふふ、もう大丈夫かしら。」


お嬢様の声に頭を上げると、慈しむような目で、お嬢様は私を見下ろしていた。


「……あ、申し訳ありません。」


美しい絵画でも眺める様に、ボーッとしていたが、私の汗に濡れた背中がお嬢様の手を汚してしまっていることに気付き、勢いよく体を離す。



「ずっとあのままで良かったのに……。」


拗ねたような顔でそう言ったお嬢様に、未だ先程の疑念が消えない。


この人が、今が、もし私が見ている幻覚であったとしたら。


その幻の夢から覚めた私は、きっと堪えがたい絶望を被るだろう。



「……お嬢様。」


本当に、私が見ている夢なのではないかと思う様な、美しい彼女の頬に手を触れる。


キラリと、赤い瞳が宝石のように光を反射させる。


「……ループス…。」


もし、これが、私の夢ならば、一生、死ぬまで覚めないでいてくれ。



目の前の私の希望に、そっと口付ける。


その希望は、嬉しそうにはにかんで、私の首に腕を回しキスをする。



「愛しています……リビア様。」


ゴロゴロと鳴る雷の音の中、私達はソファーの上で丸まりながら意識を手放した。










─────────────────────



「……しまった。」


隣ですやすやと眠るお嬢様を見て、私は盛大にため息をついた。


本当に、フラッシュバックしてしまうとどうにも気がおかしくなってしまう。

この癖をどうにか出来ないものだろうか。


すーすーと穏やかな寝息をたてて、まるで警戒心なく眠るその寝顔に、昨日から少し残っていた心のざわめきがすっと収まってゆく。


「……ふ、可愛いな。」


お嬢様の顔に垂れる人束のやわ髪を耳にかけ、頬を指で撫でる。


少し身じろぎをした後、ふにゃふにゃと気の抜ける笑いを浮かべ、また穏やかに寝息を立て始めた。




「……まずいな、そろそろ行きますね、お嬢様。」


時計の針は、想定していた時間より大幅に進んでいる。


起こさぬようにコソコソとお嬢様の部屋から出て、誰にも会わないように自室へと戻った。







「……朝のトレーニングは省かないとな。」


ブラウスのボタンを留めながら、ため息がちに呟く。


こんなに眠ったのはいつぶりだろうか。


長時間の膨大なストレッサーに耐えきれなかった私は、昨日の夜、気絶するように眠りについた。


それが理由だと思っていたが……


「…お嬢様の隣は安心してしまうからな…。」


ふむ、どちらが理由なのだろうか。




身支度も終わり、自室の扉を開けると、ペリーと目が合った。

ちょうど出勤のタイミングだったのだろう。


バッドタイミングだ……。



「…昨日の夜、なんかあった?」


目を合わせたまま過ぎる少しの沈黙の後に、ペリーは、真意の分からない表情でそう言った。



「…特に何も。」


「……そ。んじゃ、今日もよろしくね〜。」


納得していないような顔をしたあと、陽気な作り笑いでひらひらと手を振った。


「はい。」


…………お嬢様の部屋に泊まったのがバレたのだろうか。


少し首を傾げたあと、私は仕事へと赴いた。







─────────────────────


「ループス、ちょっと来てくれますか?」



日が落ち始める頃、窓を拭いていた時にメイド長に声をかけられた。


断る理由もない、私は素直にメイド長の後に着いて行った。



メイド長の執務室に着いた後、苦虫を噛み潰したような顔をして、メイド長が口を開いた。



「ペリーの動向を探っていただけませんか。」



「……どうしてでしょうか。」



私がそう質問すると、眉を垂らして1つ息をついた後、口を開く。



「…内部犯では無いかと、疑っています。」



その言葉に、私は少し驚いた。


私の見立てだと、ペリーもメイド長も、お互いを懇意に思っているのだと思っていた。


しかし、メイド長がこちら側についてくれるとなれば私も動きやすい。



「…私を疑わないのは何故ですか?……事実、私では無いですが、疑うのが筋では?」


ペリーが怪しいのはともかく、私も時期的に十分と言えるほどに怪しいと思うが。



「……あの夜、貴女のあんな姿を見てしまえば、疑念も消えますよ。」


苦笑でそう言われ、侵入者が入ってきたあの夜の醜態を思い出し、顔が熱くなる。


「……あの際は……本当に申し訳ありませんでした。」


「あはは、良いんですよ。おかげで疑う人間が少なくなりましたから。……それで、お願いされて頂けますか。」



私にとっては願ったりの申し出。

ペリーを監視する理由ができる。



「かしこまりました。私も、犯人には少し気を悪くしておりましたので。」



「ありがとうございます。……どうか誰にも言わず、内密に。お願いしますね。」


そう言い、メイド長は人差し指を口元にあて、すっと目を細める。


「はい。」



そうして、任を受けた後、私は本来の仕事へと戻った。




















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悪魔の令嬢と死に損ないの世話係 瀬武 @sem_atir

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