第20話
「はいよ、持って行きな。」
料理長からお嬢様の夕食を手渡され、私はいつもよりも足取りをもたつかせながらお嬢様の部屋へと向かった。
「……お嬢様、ご食事をお持ちしました。」
無機質な重たい扉の前、微妙な気まずさを感じながら扉の奥の人物に声をかける。
「どうぞ。」
やはり返事は普段よりも冷たく感じられる。
心の中で大きくため息をついたあと、私はお嬢様の部屋に入った。
中に入ると、お嬢様はソファーに座り、日の落ちかけた空を窓越しに眺めていた。
目は合わないし口も開かない。
机に食事のプレートを置いた後、つい口からため息が出てしまった。
「はぁ……では、ごゆっくりどうぞ。私はこれで失礼致します。」
お嬢様がピクリと肩を揺らした気がしたが気のせいだろうか。
私は振り向く事も無く扉まで歩き、ドアノブに手をかけた時、伝えなければならないことを思い出した。
「お嬢様、お伝えするのが遅くなりましたが、明朝からその次の日までお嬢様の世話係はメリルになります。」
私のその言葉に、お嬢様は一向に合わそうとしなかった目を顔ごと振り向かせた。
「な、なんで?」
酷く焦ったような表情をして、ソファーから身を乗り出すお嬢様。
そんな様子はよそに、私は今日初めてお嬢様と目が合い、まともな会話が出来た喜びを噛み締めていた。
「……そのご質問に答える前に、私の質問にお答え頂けますか。」
ゆっくりとソファーへと向かい、お嬢様の足元に膝を着く。
狼狽えた様子のお嬢様は、先程まで合っていた目を右往左往に泳がせている。
「……嫌よ、は、早く答えて。」
今日一日中ずっと、ずっと気が変になりそうだった。
何も無い私には、お嬢様しかいないのに。
お嬢様は私を嫌いになってしまったのかと考えると、血の気が引く。
「嫌です。どうして私を避けるのですか。」
私はただの一使用人、そして彼女と同じ女、今でこそ愛し合えれど、公爵令嬢の彼女と私には遠くない未来に終わりが訪れる。
引き離され終わるならまだいい、彼女が私を忘れてしまったら?熱が冷めてしまったら?
私の汚い中身を知って、軽蔑に近い心を持ってしまったら?
「だから私の質問を先に……!」
お嬢様が怒鳴るように発したその声は、ピタリと止まり動揺を帯びさせる。
「……申し訳ありません、もう……いいです。」
弱々しく震える自分の声に嫌気がさして、喉元を手で絞める。
今更お嬢様から距離をとっても、きっと離れる悲しみは大きいものだと思う。
ただ、一度でもお嬢様から蔑むような目で見られる事を考えてしまうと、これ以上深く関わって傷つきたくないと思ってしまう。
「……〜っもう!!」
頭上から聞こえる大きな声に、曇りきった脳内がクリアになる。
「………?」
「……お昼前に、メリルと話したの。」
突然話し出された内容に、はてなマークを浮かべながらじっと聞く。
「メリルと話した時に……貴女の話になって…。その……メリルが……」
徐々に怒りが垣間見える表情と声色に、私は全身の筋肉が硬くなる。
「……貴女の事がかっこいいだの、甘えベタで可愛いだの、……腹筋を触っただの言うから!」
「はい?」
先程までの苦悩は何処へやら、私の頭の中は想像していた怒りの理由とはかけ離れた理由にグルグルとしていた。
そんな私の脳内になど気も向けず、お嬢様は私を強く睨み怒気を含ませた声で話し始める。
「第一……ループスもループスよ。有り得ないわ。私という……こ、恋人がいるにも関わらず……お腹を触らせるだなんて……。」
幻滅されたのではないと理解した私は、ホッとするものの、新たな問題が浮上してきた事によってまたもや焦りを抱き始める。
ダメだ、分からない。こういう時にどうすれば良いのかなんてフェルマーに教わっていない…。
というか、メリルは一体お嬢様に何を言っているんだ?話す内容はもっと別のものは無かったのか?無いにしろその内容のチョイスは公爵令嬢に言うものでは無い。
「ちょっと、ループス。聞いてるのかしら。」
「は、はい。」
いつの間にか正座をしていた私は背筋をギッと伸ばし、どの様にこの状況から脱却するかを考えていた。
「……ループス、今ここで、……脱いで。」
頭をメイスで殴られた時のような、そのくらいの衝撃を受けた。
「……お嬢様?」
「…食事が食べれないから、早くして。」
対処方法が分からない今、出来ることといえば彼女のご機嫌取り…否、命令を素直に聞くことしかない。
大人しくエプロンを外し始めると、お嬢様はゴクリと喉を鳴らした。
しゅるしゅると布擦れの音が大きく響く中、恥ずかしさは無いものの若干の抵抗を持ちながら私はワンピースタイプのブラウスのボタンにてをかける。
私の体など見ても楽しくないだろうに、メリルへの対抗心か何かか。
傷だらけで見るに耐えない汚い体だ。お嬢様には、あまり見せたくないな。
「……上体だけで宜しいでしょうか。」
ボタンを外し終わる頃、手を動かしながらお嬢様に問うと、お嬢様はビクリと体を跳ねさせ頷いた。
上から重ねて履いたスカートはそのままに、ブラウスから腕を抜き、上半身だけ下着姿になった。
「……こっ、こっちに、来なさい。」
若干裏返ったように聞こえた第一声を誤魔化し、お嬢様は私に隣へ座るように命じた。
「はい。」
「……。」
じっくりと私の体を見つめるお嬢様に、居心地が悪くなる。
「……自分でも理解しておりますが、お世辞にも綺麗な体とは言えません。お目汚しにはなりませんでしょうか。」
体中、錆びたナイフで切られたザラザラとした傷跡や、2つ程腹部を槍で貫かれた時のクレーター、背中には戦争中剣で斬られた大きな傷、その他無数の軽傷とは言えぬ古傷が浅黒く残っている。
こう見ると我ながら良くもまあ五臓六腑欠けも無く、五体満足に生きられているものだと関心さえする。
「ううん、綺麗よ。……ループス、触りたい、だめ?」
惚けた顔で私を見つめて、そんなお願いをされてしまえば、私はもう頭を縦に振るしかできない。
「……鍛えているの?」
肋からへそにかけてなぞる様に触れるお嬢様の指に、体がビクリと跳ねる。
「はい……、っ…、毎朝軽いトレーニングを…。」
ふーん、とご機嫌そうに微笑みながら、お嬢様は私の腹筋の溝を指の腹で撫でる。
「……このお腹の傷、どうしたの?」
「…昔に色々と。」
答えられるはずもないし、すぐに嘘を付けるほど器用では無い結果、誤魔化すような言い方になってしまった。
お嬢様は私の返事に一瞬手を止めたあと、また腹筋の溝をなぞり始めた。
「……メリルにはどこを触らせたの?」
「触らせたのではなく罰ゲームとして、触られたのです。」
言葉の節々に棘を見せるお嬢様に私の心は焦り出す。
「……ん、しょ。」
おもむろに体勢を変えて、私の膝に頭を乗せてソファーへ寝転がり始めるお嬢様。
「……リビア様?この体勢は、私の格好もありますし如何なものかと。」
私の抵抗の言葉を無視して、お嬢様は寝転がりながら私の背中に手をまわした。
「ちゅ」
「っん。」
突然腹部に口付けられ、思わぬ感触に声が出てしまった。
「ふふ、ループス可愛い。」
「……っもうおやめ下さい…。服着させていただきますからね。」
膝の上に頭を乗せ、私を見上げて嬉しそうに微笑むお嬢様に心臓が高鳴る。
服を着直そうと腕を通すと、お嬢様は私のブラウスのボタンを寝転びながら付けてくれる。
「ふんふ〜ん、ふふ〜ん。」
鼻歌を歌いながらボタンを付けるお嬢様を見て、思わず笑ってしまう。
「ふふっ……リビア様、もう許して下さいますか。」
「……まだちょっと、ムカつくけれど……まあ反省してるみたいだから許してあげるわ。」
そうは言いつつニヤニヤとしながら私の太腿を撫でるお嬢様に、胸がぎゅっとしてしまう。
「……私はてっきり、昨日の惨めな姿を見て幻滅されたのかと思っていました。」
お嬢様の頭をゆっくりと撫でながらそう呟くと、お嬢様は不満を顕にした表情で私を見つめた。
「……意味が分からないわ。…昨日のループス、とっても可愛かった。」
可愛い?
汗みどろで幻覚を見ている精神異常者の様な自身の姿を想像し、思わず首を傾げる。
「……リビア様は…独特の感性をお持ちなのですか……?」
「失礼ね!……貴女はもっと、己の見目が良い事を理解すべきよ…。私ばっかり甘えてたから、ループスに甘えられるの……嬉しかったの。」
後半は消え入るような声で話していたのであまり聞こえなかったが、お嬢様なりに精一杯私の事を宥めようとしているのだと思い、その優しさにジンとした。
「リビア様はお優しいですね…。」
「はあ、もういいわよ。なんにも分かってない。」
何故か私の返事を聞いて呆れたように反対側へと向いて寝転がるお嬢様。
お可愛らしい。
「リビア様の髪は絹のように滑らかですね。」
指の間をするすると解けるように通る胡桃色の髪を見ながら呟く。
「……よくそんな恥ずかしい台詞を堂々と言えるわね。」
耳が真っ赤になっているのが可愛くてクスクスと笑うと、お嬢様は拗ねたようにフンと息を吐いた。
「……ああ、そうだ、公爵様から仕事を承りまして、クレアモントまで届け物をしないといけないんです。これが先程の質問の答えになります。」
「そう…………早く帰ってきて。」
お嬢様は、私の方へと体を転がして腹部に顔を埋めると、甘えた声でそう言った。
日に日に、お嬢様が私に触れる事が多くなってきている気がする。
私自身もお嬢様に触れていると落ち着くから良いのだが、少しだけ腰あたりがムズムズするのが良くない気がする。
「はい。……私もリビア様のそばに居られないと不安ですから。」
内部犯がいるのは決定しているし、ペリー以外にも共犯者がいるかもしれない。
そばに居られないとお嬢様を護れないからな。
「な、……そ、そう。ふふっ、そうなのねループス。」
何故かご機嫌なお嬢様は、スリスリと頭を擦り付けてくる。
よく分からないけれど、小さな猫のようでとても可愛い。
「……リビア様、そろそろお食事になさって下さい。食事がもう冷めてしまっています。」
「んー、ぷはっ、ふふ。ん、食べる!」
にこにことソファーに座り直し、カトラリーを器用に使って肉を1口サイズに切り始める。
「では、私はこれで。」
ソファーに掛けたエプロンを着直し、部屋を出ようとすると、お嬢様が食器をガチャリと鳴らしてソファーから立ち上がった。
「どうして!?」
悲しんだ様な、困った様な顔をして、お嬢様は私を見る。
「今日はお一人で食べる日なのかと……。」
「違うわ、そばにいて。……ねえループス、もしかして怒ってる?」
私が一体お嬢様の何に怒るのだろうか。
よく分からないお嬢様の不安げな顔に訝しむと、お嬢様はエプロンの裾をギュッと握った。
「怒っておりません。わかりました、いつものようにお食事が終わるまでそばに居ます。」
「……お昼の時無視したの、怒ってない?」
うるうるとした瞳で見上げられると、どうすればいいのか分からないくらいに、何かが込み上げてくる。
何だかうさぎを喰らう狼のような気分だ。
「悲しくなりましたが、怒っておりません。」
「ゔ……ごめんなさい。」
「大丈夫ですから、お食事を続けて下さい。」
「……うん、むぐ。」
もぐもぐと食べるお嬢様を見ながらいつものルーティンが戻ってきたことに胸が温かくなる。
お嬢様の身体は年齢と比べて小柄、というか痩せすぎている気がする。
もっと沢山食べてくれないと、今のままじゃ片手で軽々持ち上げられてしまう。
せめて両手で持ち上げないといけないくらいには成長して頂きたいと思っている。
そんなことを考えていると、お嬢様はカトラリーを置いて、私に向き直った。
「……ほんとに、早く帰ってきて。」
念を押すお嬢様があまりに可愛くて、笑いながらはい、と返事した。
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