第16話

終日バタバタと静かに走り回っていた私達使用人の気も知らず、公爵家の会議は順調に進んでいた。


「ループス〜これついでに用具室にもどしてきてくれない?私急いで食事の後片付けの方、手伝いに行ってくるわね。」


共に裏庭の落ち葉を掃除していたメリルが、外にある用具室に向かおうとしていた私に、ほうきを手渡す。


「かしこまりました。」


そのほうきを受け取ると、メリルはありがと〜と言いながら、屋敷の中へと走り去っていった。


いつも忙しなく動き回るメリルに、忙しそうだな、なんて思いつつ、軽く息を吐いた。







用具室へと向かうその道中、2つの気配が隠れるようにして話し込んでいた。


一人はあのひょろりとしたクレアモント家の従者で、もう1人は壁に隠れていてよく見えない。



「……で、進捗は……です。」


姿見の分からぬ1人が話す。


女の声か……?


「そうか…………のまま、引き続き……悪魔の令嬢を……しろ。」


くそ、よく聞こえない。


しかし、腕のたつものならこれ以上近付くと気付かれる危険がある。


私はぐっと耳を凝らして、2人の会話に集中した。


「……です。」


「ああ、……ならこちらで何とか……る。お前……悪魔の令嬢の方を何とかして殺せ。」


「分かりました……している……世話係が……なのですが。」


「……く...しろ。」



会話が止まったのを機に、彼らは別々の道から去っていった。


「……お嬢様を、殺す?」



やはり、お嬢様の命を狙っていたのか。


それに世話係という単語もでてきた。

私に何かするつもりなのか?

それか、あのもう1人の人間は私を警戒している?

私を警戒する対象であると理解出来るほどの武力を持った人間……もしくは私が軍人であったと知っている人間。


「……。」


有力候補である1人の顔が頭に浮ぶ。





気配が完全に離れた事を確認したあと、私は用具室へと向かった。




─────────────────────



「あれ。ループスちゃん。」


裏庭の使用人用の扉から入ったすぐのところで、ペリーが紙タバコを吸いながら佇んでいた。


「……ペリーさん。こんなところで何を?」


「見ての通り、煙草を吸っているの。」


そう言ってペリーは、煙草を口から離し、白く濁った煙を口から吐き出した。



「煙草…吸うんですね。」


「まあね。」




煙草を見ると、パイプ煙草を吸っていた司令官を思い出す。

命令で呼ばれて入る司令官の執務室は、いつも煙たく頭がくらむほどの煙草の香りがした。


そういえば戦争に出発する前日、あの部屋で煙草を吸ってみるかと聞かれたな。


あの時、私は『はい』と答えた。


いつもなら真逆の選択を取っていたはずなのに。


あの日、彼の手から吸い込んだ、いやに苦い煙の味が蘇る。



「……。」


パイプの硬い感触を思い出して、唇に指を当てる。



『ループス、お前は哀れだな。』



パイプ煙草から口を離した時に言われたこの言葉に、私は自身の置かれた状況に同情された気がした。


この状況を作りあげた張本人である彼に言われたその言葉は、あの時の私の心を掻き回すには十分だった。


軍人として生きる間、助けて欲しいと願わずにいられた日を数える方が難しかった。


あの場で、絶対的な力を有する彼に従うしか生きる道が無かった私は、哀れであろうが、無様であろうが、彼の命令にすがりついて何でもしようともがいた。

それこそ、自身の倫理観を捻じ曲げてしまう程の事を何度もした。



死にたいと願うのに、死ぬのが何よりも恐ろしく、その矛盾に気が狂いそうになる長い時間を、『哀れ』の一言で終わらしてしまう彼に、怒りと憎悪、それと少しの悲しみが胸を焦がした。


結局あの日、彼のあの言葉に、私は何も返せなかった。

怒りの言葉も、嘆きの言葉も、何も。




「……怖い顔。」


耳に届いたペリーの声に、いつの間にか項垂れていた頭を上げる。


「………。」


あの時、クレアモントの従者と話し込んでいたもう1人の人物として頭に浮かんだ顔が目の前にある。


今ここで殺してしまえば、お嬢様に被害が被る前に終わらせられる。


ペリーはお嬢様の信頼を得ているから面倒だ。


なんとか事故を装って処理できないだろうか。



「……何をそんなに焦ってるの?」


また、この暗い目。

気味が悪いのは一体どちらだ。



「…さあ。」


「はは、誰かに何かでもされた?」


ふぅ、と煙を吐き出して言った彼女の言葉に、煙を介して司令官が輪郭を得る。



『ループス』


『殺せ』


『進め』



手段を選ばず、省みる事も無く、命令に忠実に従え。


それが唯一私が生きられる方法だから。



ブツっと何かが切れた音が耳の奥で聞こえた。



「殺せ」


うわ言のように口に出したその言葉は、頭の声と重なり始める。


サビルメの軍人を殺す時、前に進む時、後ろで仲間が倒れる音が聞こえる時、取り憑かれたようにその命令を口に出した。

ただ生きる為に遂行しなければならないその命令を、忘れぬ様に、精神に刻むように声に出す。


戦争が終わるその時まで、彼の命令に私は従い続けなければならない。


だって、そうする事でしか、私は生きる方法を知らないから。



「……。」




「殺せ……殺さなければ…」



目の前のペリーの顔が、驚きと恐怖に染まる。



「……っ本気で言ってんの、…これじゃあまるで────」





「あら、こんな所にいたんですね。」




第三者の気配に、完全に意識が呑まれていた頭が覚醒する。


「……メイド長…。」


「……はぁっ、はぁっ…ラ…ランマットさん……。」



知らぬ間に、壁にもたれ掛かるようにして姿勢を崩したペリーが、震えた声でメイド長の名前を呼んだ。



「……どうしたのですか、2人とも。」


怪訝な顔で、私とペリーを交互に見たメイド長は、少し首を傾げてそう言った。



「…特に何も。」


そう答える自分の声は、生気を失った様なものに聞こえる。


「……。」


化け物でも見るような目で私を見るペリーに、少し目をやると、その顔はいっそう歪んで、怯えを含んだものに変わる。



「……ペリー?大丈夫ですか?」


心配するようにペリーに触れたメイド長は、慰めるように触れたペリーの手を撫でる。


「…大丈夫ですよぉ。」


ペリーの引きつったその笑顔に、メイド長はまたもや怪訝な顔をした。



「私は仕事も残っていますので、失礼します。」


居心地が悪く感じた私は、彼女らを背に、お嬢様の部屋へと向かおうと歩いていく。


「ま、待てっ!」


後ろから聞こえた、ペリーの静止の声に足を止める。


「なんでしょうか。」


「…どこに、行くつもり?」


首だけ振り向くと、ペリーは隠すことも無く敵意の眼差しを私に向けた。


「……お嬢様のお部屋に。」


そう答えると、酷く焦った様子で、私を睨みつける。


「行かせない。」


「なぜ?」


「……あんたは危険だから。」


その言葉に首を傾げる。


「…?」


お嬢様を殺す算段をクレアモントの従者と話していたくせに、よくもまぁそんな事を言えるものだな。


ペリーの言葉を無視して、私は足を進める。


どうしても今、お嬢様に会いたい。


お嬢様に会わなければ、昔の自分に戻ってしまうような、そんな気がする。



「...っ、待て!!」


後ろで聞こえる声も、もう届かない。


あの頃の自分に戻るくらいなら死んだ方がマシだ。


早く会わないと。この声を、司令官を消して欲しい。


……私を、助けて欲しい。











─────────────────────



お嬢様の部屋の扉をノックもせずに開くと、中で本を読んでいたお嬢様が驚いた顔をこちらに向けた。


「ループス!?...ど、どうしたの。」



怒ることも無く、心配して寄ってくるお嬢様に、ホッと息を吐いた。



「…リビア様。」


彼女の肩に目元を埋めて、そっと腰に腕をまわす。


「……ループス、…よしよし。いい子、いい子。」


母が子をあやすかの如く、背中をリズム良くトントンと叩かれる。



「……貴女を閉じこめて、私がずっと守っていたい。」


勝手にダラダラと零れる涙が、お嬢様の服を濡らす。


「…何かあったの?ループス。」


お嬢様は、濡れた衣服など気にもしていないように、私の様子を見て、心配そうに声をかける。


わずか14歳のお嬢様は、たまに驚く程に達観している時がある。

世の中の人間の成長過程は、女の方が身体的にも、精神的にも成熟が早いと言われているし、こういうものなのだろうか。




「……恐ろしい事を思い出してしまって。」


「そう、…大丈夫よ。私がついてるわ。」


「……。」


すっと頭の音が静かになる。


いつの間にか、司令官の幻覚も見当たらない。



「……お嬢様は、魔法使いみたいですね。」


悪夢を消し去る魔法使い。


御伽噺に出てくる魔法使いの様に、全てを良い方向に、美しく変えてしまう。


「ふふふ、わたくしが?ループスは偶にとてもロマンチックになるわよね。」


犬猫を撫でるみたいに、私の顔を撫でるお嬢様に、目が釘付けになってしまう。


「ロマンチック……私がですか?」


「ええ、可愛いわ、ループス。いつもはかっこよくて、素敵な王子様。でも今は、愛くるしいわたくしのお姫様ね。」


そう言って、とても愛おしそうに私を見つめるお嬢様。


そんな言葉を聞いた私は、クラクラする程に顔に血が集まる。


「……お、お姫様はリビア様でしょう。」


「ふふふっ……ループスは、私の王子様でお姫様だから、私が守ってあげるし、私を守ってくれるのよ。」


お嬢様は柔らかい笑顔を私に向けた。


「……私が、リビア様に守ってもらうのですか?」


「ええ。貴女が恐ろしい夢を見たり、恐ろしい過去を思い出したりしても、私が守ってあげるのよ。」


「……。」


「それに、私は公爵令嬢だもの。貴女に危害を加えようとする人間なんて、私の地位で膝まづかせて差し上げるわ。」


ふんふんと得意げに鼻息を漏らすお嬢様に、私は唖然としていた。


私ばかりが守る立場であると思い上がっていた。



「……そうですね、その時は助けて下さい、リビア様。」


「ええ!……だから、大丈夫よ、ループス。私ばかり守られているのは嫌だわ。二人で一緒に、助け合いましょう?」


お嬢様は、私の首に腕を回して、グッと顔を近づける。


「…リビア様は、私が思っていたよりお強い様ですね。」


そう言ってキスをすると、回された腕が強ばった。


この人は、私の女神だ。


彼女に会い、言葉を交わすだけで、私の苦しみは解けるように消えてゆく。



「……ループ」


蕩けた目で私の名前を呼ぼうとするその声は、私の動きによって止められる。


「……っ!!」


グッとお嬢様の体を、自分の身体から離し、ドアの方へ振り返る。


その後、1秒にもならない間に扉が開き、ペリーが焦ったように私達を見た。

お嬢様に目が止まった時、ホッとしたような表情をしたように見えた。



「はぁ……はぁ……、はぁ……。」


息を乱すペリーに、お嬢様はビックリとした表情で固まる。


「……。」


「はは……申し訳ありません……はぁ、お嬢様。」


私は、息も絶え絶えに話すペリーをみて、困惑する。


「……お嬢様に御用でしょうか。」


「…え、と、あー、お話をしようと思って。」


思わぬ返答に、耳を疑う。


どう考えても今考えた言い訳にしか思えない。


どうしてこんなに焦っている?


お嬢様を狙うなら私が居ない間を狙うのが普通じゃないのか。


それか、お嬢様を狙う以外に理由があるのか?


何か見られてはいけないものがこの部屋にあるとか……



そこまで考えて、先程のを思い出し、少しばつが悪くなる。



「そ、そんなに急いで……お話を?」


絶対に嘘だろ。と言いたげな表情でペリーを見るお嬢様に、ギクリとしたペリーは笑って誤魔化そうとする。


「いやぁ、あはは……。」


「……何か怪しいわね。」


そう言うと、お嬢様は顎に指を当て、鋭い目つきでペリーを見た。


いけ、そのまま糾弾してやれ。



心の中で、1人の私が拳をつきあげた。



「……っあー、実は、ちょっと急ぎの用が、ありまして?」


「どうして疑問形なのかしら?」


お嬢様の止まらぬ尋問に、ペリーが分かりやすく狼狽える。


少し子気味がいいな。


もう蚊帳の外だと思い込む私は、観戦者のような気持ちで2人のやり取りを眺めていた。


もしペリーがお嬢様に何かしようものならすぐ動けるし。


「……ループスに、用事が。」


そう思っていたのに、突然矛先が私に向く。


いつの間に呼び捨てに?


「…ループスに?……というか、いつから呼び捨てになったのかしら。」


少し怒ったような表情でこちらを見たお嬢様に、今度は私が狼狽える番だ。


「し、知りませんよ私は。」


「……ループスが呼んでいいって言ったんじゃん。」


今だといった表情で、ペリーが追い討ちをかける。


このクソアマ。


「……随分仲が良くなったのね。」


お嬢様の恨む様な視線に、グッと背筋が伸びる。


「有り得ません。こんな……ちっ。」


チラリとペリーを見ると、また片方の口角を上げた笑みを浮かべており、イラつきが顔に出てしまう。


「ループスはそんな顔も出来るのね。…わたくし、その顔知らないのだけど。」


何故か最高潮に不機嫌になりだすお嬢様に、理由が分からない私は後ずさる。


「……ペリーさん、用があったのでは。」


渋々、この場から逃れる為、兼、危険人物をお嬢様から遠ざける為に、ペリーの嘘に乗りかかる。


「……うん。だから、お嬢様から離れてこっちにきて、早く行こう。」


何故か警戒した様子で手招きするペリーに、歩いて近付く。

ペリーと共にお嬢様の部屋から出ようと、ドアノブに手をかけた時、


「ループス、また後で来なさい。」


後ろから聞こえるお嬢様の声に振り向くと、モジモジとしながら命令口調で話すそのギャップに胸がきゅんとした。


「……ふふ、はい、お嬢様。」


そんな可愛い顔をしないで欲しい、口角が上がってしまう。


「……っ、ばか。」


小さく呟いた言葉は聞き取れ無かったが、お嬢様のおかげで心の淀みは少し消えた。


扉を開きながらペリーの顔を見ると、困惑した様な、驚いているような、複雑な表情を私に向けていた。











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