第12話
「おはようございます、お嬢様のお食事を頂けますか。」
調理場に入り、いつも通りお嬢様の朝食を取りに来た時だった。
調理場の隅で、メイド長と料理長が、献立表であろう紙を見ながら話す中にペリーがいた。
ペリーはチラリとこちらを見たあと、視線を紙に戻した。
「はい、お嬢様の朝食です。」
料理人から渡されたトレイを受け取り、ペリーには目を向けないまま調理場を後にする。
はっきり言えば、とてつもなくやりにくい。
元々こういったコソコソと警戒して調査するタイプの訓練は苦手だった。
こういうのはウェスティが長けていたから、ずっとウェスティに任せっきりで、残りの私達3人はただ戦いだけに力を入れていただけだったから...。
心の中で特大のため息をついたあと、気を取り直してお嬢様の部屋へと早足で向かった。
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「これ美味しいわ。」
私は今、最早ルーティンと化した、お嬢様のお食事する風景をただ見つめるこの仕事にとてつもないありがたみを覚えていた。
料理に一喜一憂するお嬢様を見つめていると、昨日から悩ませられていた幻聴が嘘のように消えてゆく。
お嬢様が居ないと私は壊れてしまうのではないかと一抹の不安を抱きながら、今この安らぎを噛み締める。
「鶏肉の香味スープですね。お嬢様は鶏肉が好きなのですか?」
そういえば、この前も鶏肉の料理を気に入っていたような気がする。
「...そうなのかしら。そうね、私鶏肉が好きみたい。」
まるで世紀の大発見をしたかのように目を輝かせ、私に笑いかける。
まただ、胸が苦しい。
「料理長に伝えておきます。」
自身の身体の違和感から目を逸らし、何ともないように振る舞う。
「いいの。いつもじゃ飽きちゃうでしょう。たまにの楽しみにしたいから、私とループスの秘密にしておいて?」
そう言ってお嬢様は、人差し指を口に当て花でも咲くように楽しそうに笑った。
「...っ、ん。」
一際強くなった胸の違和感に、思わず声を出してしまう。
胸に手を当てるが、いまいちどこが苦しいのかも分からない。
「…どうかしたのループス?」
お嬢様は、胸を押えて黙り込む私を見て、心配そうな顔で私を見上げる。
「いえ…なんでもありません。」
「…そう?」
その後は、やけにチラチラとこちらの表情を伺うお嬢様に、若干の笑みを浮かべつつ、いつもの様に食事が終わるまで待っていた。
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「ループス、これ庭師のサグに持って行ってくれない?私洗濯頼まれてて。」
お嬢様の部屋の掃除を終えて、用具室に入った時、忙しなくバタバタと用意するメリルが私に言う。
「かしこまりました。これは?」
手渡された包に目線をやりそう問うと、メリルは、なんかの種だって〜っと答えて急ぐ様にして部屋を後にした。
首を傾げつつ、言われた通りに庭へと足を運んだ。
「ループスちゃん、どこ行くの?」
1階に降りる階段の踊り場で、後ろから声をかけられる。
「庭師のサグさんの所へ。種を届けてと言われたので。」
階段の上から私を見下ろすペリーを横目に、足を止めず庭へと向かう。
「そうなんだ。ランマットさんが言ってたけど、君本当に仕事が出来るみたいだね。」
ペリーは、足をとめない私を気にする様子もなく、ただ着いてきて話を続ける。
「光栄です。」
「冷たーい。……そういえば、私がいない間にお嬢様を狙った侵入者が入ってきたらしいね。」
私を焚き付けたいのか、煽るように話すペリーに、少し鬱陶しいな、と思ってしまう。
「そのようですね。」
「門番が捕らえたっていうじゃん。でもお世辞にも、素人すらの侵入を許した門番が捕らえられるとは思えない。」
「そうなんですね。」
「……ねえ、イレギュラーがあって自分で処理しないといけないなんて面倒でしょ?」
意味の分からない話に、思わず振り向く。
尚も彼女は余裕の笑みを浮かべている。
イレギュラー?処理?一体何を言っているんだ。
「…意味が分かりません。」
本当に理解が出来ない。意を探ろうと、ペリーを見つめる。
「ふっ、次はもっと使える人材を選ぼうか?ループスちゃん。」
片方の眉をクイッと上げ、そう言ったペリーは、踵を返して私に背を向けた。
「本当に何を言っているんですか。理解が出来ません。」
その声に、彼女の返事はなかった。
ペリーが言った言葉の意味に頭を悩ませながら、私は本来の目的である庭師に会いに行った。
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「ああ、これですね。ありがとうございます!サグさんに渡しときますね。」
私が渡した小包を受け取り、晴れたような笑顔を向ける青年に軽く会釈をする。
結局、今日、サグは腰痛で休んでおり、サグの弟子のフロリに頼まれ物を渡すこととなった。
「ええ、では……」
「あ、待って下さい。」
屋敷内に戻ろうと足を踏み出した時、後ろにいたフロリから声を掛けられた。
「はい、なんでしょう。」
「あ……いや…その、……そう!ループスさんの右目は、何があったのかな……と。」
一体急に何なんだ。こういう話題は初対面では失礼になるんじゃなかったのか。
「…事故で。」
「あっ……す、すみません。」
バツが悪そうな顔をして、俯く彼の真意が分からずに困惑する。
「私に何か用事でも?」
早く仕事に戻りたくて、彼の言動を急かすように問うと、分かりやすく焦った彼は、手で前髪を整えて私に向き直った。
「……ループスさんは、ご婚約とか、なされてるんですか!」
軍の号令かのような声量でそう言われた私は、まるで鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしているのだろう。
「こ……婚約?しておりませんが…どうしてそんなことを……」
珍しく吃るほどにびっくりしてしまった私は、困惑しながらも質問の意図を探ろうとした。
「いいい、いえ!!特に……その、気になって…………あの!!」
彼の顔がどんどんと赤くなっていくのを、どこか関係の無い立場にいるかのように見ていると、又特大とも言える声量で彼が私に向き直った。
「……はい。」
若干の呆れと疲れで正直うんざりしていた。
次は何だ、これならまだ洗濯をしていた方がずっと楽だな。
「……その、だ、男性のタイプ…などお聞きしても…?」
「…その質問はどういった意図が?」
こんなにも訳の分からない会話をしたのは……昨日のペリーとの会話以来か……。
連日にわたり化け物のようなコミュニケーション方法を取ろうとする人間を、2人も相手にしないといけないのか私は…。
「…っぁ、ぁぁっ、あの、……あーやべぇ、……貴女に…その……ひ、ひひ……ひとめ…ひ」
「────ループス!!!」
彼の言葉を遮るように、屋敷の方から声がした。
もう聞き馴染んだその声に思わず顔を上げると、そこには、窓から乗り出したお嬢様の姿があった。
「……お嬢様。あぁもう、危ないでしょうそんなところに…。」
そんなにのりあげては窓から落っこちてしまいますよ、なんて思いながらも、お嬢様の姿を見たら、先程の疲れが飛ぶように無くなった。
「ループス!命令よ!私の部屋に来なさい!!…今すぐよ!」
そう言った後に、彼女はフロリをギラリと睨んだように見えた。
「かしこまりました。すぐに参りますのでお待ち下さい。」
この地獄のようなコミュニケーションに終止符をうてる事に胸を撫で下ろしつつ、彼女に会う口実が出来たことに喜びを感じる。
呆気に取られたような顔をしたフロリに、ぺこりと頭を下げてから、私は早足でお嬢様の部屋へと向かった。
ちょっと、と私を引き止めるフロリの声を無視して歩くと、彼は残念そうに声を出していた。
……だってしょうがないでしょう。彼女の命令なんですから。
なんて、心の中で言い訳じみたことを言いながらも、少しスッキリしたような気持ちになった。
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お嬢様の部屋の扉を数回ノックすると、声を出す前に扉から転げるようにして、私の胸に小さな何かが飛び込んでくる。
「お嬢様、あんなに窓に乗り出しては危ないですよ。」
「早く入って。」
お嬢様は、説教は聞きたくないと、私を部屋の中に引っ張り、また私の体に縋り付くように抱きついた。
「お嬢様?何かございまし────」
「……っ」
言葉を発するまでもなく、彼女の腕が私の首に絡みつき、視界がお嬢様の顔でいっぱいになった。
「……お、お嬢様っ…何を……」
バクンバクンと心臓が痙攣するかのごとく速くなる。
「……ループス、どこにも、行かないでよ。」
やめてくれ、私はその濡れた瞳に弱いんだ。
彼女の至近距離で潤む赤い瞳に身体が硬直する。
「……おじょう、さま、私はどこにも行きませんから……っ、離れて下さい……。」
「…あの男と何を話していたの?」
私の要望はどこへやら、彼女の質問は止まらない。
「よく分かりません、婚約者がいるのかと質問を……」
「知ってる。あの人声がでかいもの。」
じゃあ何故聞いたのか…などとは聞けない。
目の前のお嬢様は多分怒っている。理由は分からないが。
「…お嬢様、本当に…離れて…」
至近距離で唇にお嬢様の息が当たる。
頭にものすごい勢いで警笛がなっている気がする。
この状態が危険なのは理解できるが、何故危険な状態なのかが分からない。
「……やーよ。…ループス、」
私の腹部にお嬢様の手が触れる。
途端、ゾクリと腰が動く。
「お嬢様っ……いけません、一体何をするのですか。」
彼女の手を掴み、静止を促すと、いつの間にかベッドのすぐ側まで引っ張られていたようで、お嬢様は倒れ込むようにベッド横たわった。
私は、倒れ込む際も絡んで離さない彼女の腕に引き込まれ、お嬢様を押し倒す形で倒れ込む。
「…ループス、好きよ。」
真っ赤な顔でそう言った彼女を見て、顔が勝手に彼女の首元へ近付く。
唇を、真っ白な柔肌に押し付けると、耳元で果実のように甘ったるい声が聞こえた。
「……は、……ん。」
私は何をしているんだ。これはなんだ。
お嬢様の首元から鎖骨に唇を滑らせると、彼女の息が熱を持つ。
脳が火傷しそうだ。
「……はぁ、ふ……ぅ。」
自分の息が乱れるのがわかる。
一度唇を離すと、彼女の腕に首をひかれて、赤と目が合う。
「……ループス…。」
目眩と似たような感覚が体に襲いかかる。
その時、ポタポタと、何かがお嬢様の寝衣に落ちた。
2人同時にそこに目をやると、
「……へ?」
「…あ、」
血だ。
「えっ……きゃあぁっ!ちょっと、大丈夫なのループス!?」
鼻に手を押し当てると、鼻の奥がじんわりと熱くなり、手のひらが赤く染まっていく。
「……申し訳ございませんお嬢様、後ほどお着替えをしますので少々お待ちいただけますか。…失礼します。」
心配した顔で騒ぐ彼女に背を向けて、私は洗濯室へ早足で向かう。
血が止まらず、手からこぼれ落ちそうなので、エプロンを捲りあげて鼻に押し付ける。
洗濯室に入り、誰もいないことを確認して、扉を閉める。
「……〜〜〜っああ!」
思わず大きな声で叫んでしまった。
それにしても何をしているんだ私は。お嬢様の肌に……口付けなんて……。
止まらなかった、理性が私の行動を非難していたのは分かっていたのに、それなのに身体が全く言うことを聞かなかった。
脳が火傷しそうな感覚は現実だったわけだ。私は頭に血が上っていた。興奮していた。
これじゃあまるで……
「……獣じゃないか……っ。」
顔に血が凝集するのが分かる。
ドクドクと全身を揺らすように、大きく拍動する心臓。
それを鎮めるように胸に拳を押し込んだ。
尚も止まらない鼻血に、今まで感じた事がないような羞恥と後悔が押し寄せる。
「……っは。」
それなのに、この血に怒りが芽生えるほど、先程の行為を中断した事を名残惜しいと思ってしまう。
タイルの壁に後頭部を打ち付けるようにしてもたれ掛かる。
流れて止まらない血に諦めと似た様な、なんとも言えない感情を抱きながら、そっと目を瞑った。
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