第11話


待つことやや何十分か、周りが少し浮き足立ったように騒がしくなってきた。


「そろそろですかね。」


何も言わず、ただ私の肩に頭を乗せて座るお嬢様に、呟くように声をかける。



「うん...行きましょ。」


そう言って、お嬢様は私の腕に手をまわした。

少し驚いた私は、意図を探ろうとお嬢様の顔を盗み見ようとするが、やはりフードに隠れていて見えない。


人混みに入るから緊張しているのだろうか。


私はお嬢様の手の行方に何も言わない選択を取って、ベンチから立った。





聖火はこの広場で付けられるらしく、いそいそと、役人と思わしき偉そうな中年の男が仕切り、その指示に従って領民が動いていた。



私達は、広場の隅から広場の中心に向かって歩く。



楽しみだ。少しだけワクワクする。


街は飾られ、夜闇を淡く照らすランタンでオレンジに染められる。

そして、そのオレンジに染められた広場の人だかりの前に設置された、大きな聖杯と、大きな松明。

火をつけずとも感じられるその幻想的な光景に思わず息が漏れる。



それはお嬢様も同じな様で、フードから見える端正な口元は笑みが溢れていた。



「ループス、あのね、蛍って知ってる?」


ワクワクして抑えられない様な弾んだ声が可愛らしくて、思わず少し笑ってしまう。


「ふふ...。蛍...とはなんですか。」


「...なんで笑ってるのよ。」


私の含みに気付いたお嬢様は、少しムスッとしたように声を低くする。


「...お嬢様と同じ感動を味わえて、とても楽しいからです。」


「...ん。そ、そうね。私も楽しいわ...。」


腕にまわされた小さな手が、私の服をギュッと掴む。


「ふふ。それで、蛍とは?」



気を取り直して先程の話題を持ち掛けると、少しわざとらしく咳払いをした後、お嬢様は口を開く。


「...蛍って言うのはね、光る虫よ。」


あまりにも簡潔な説明に私は首を傾げた。


「その...蛍と言う虫が、好きなのですか?」


「ええ。もう少し後になると、家の屋敷の庭に蛍が沢山遊びに来るの。黄色くて優しい光が沢山ふわふわ飛んでいて、とても綺麗なのよ。...その光景が、少しこの街に似てるから。」


お嬢様のカナリアの様な声で、慈しむように話すその思い出は、まるで宝物の様に思える。

そして、その宝物のような思い出を、会話を通して共有してもらえることに嬉しさを感じた。



「...蛍も一緒に見れますかね。」



ただの一世話係が、主人に願うように言ったその言葉に少しだけ後悔が滲む。


私はどんどん欲深くなっている気がする。



「どうしよう、もう楽しみで仕方ないわ。」



そんな後悔を壊すように、心底嬉しそうに話すお嬢様の姿に胸がいっぱいになる。


なんて優しくて、可愛らしい人なんだ。




松明に付けられた焔が、観客の熱気で揺らめく。

その朱色を見つめながら、今、この瞬間の記憶が後の宝物になると確信した。







ガタイのいい男ふたりが、白い民族衣装を着て、大きな松明を持ち上げる。


その2人は、松明を持ち上げたまま、人二人分の高さにあろう口の広い聖杯に、ハシゴを使って近付いていく。



歓声が徐々に静まり、皆その瞬間を心待ちにする。





聖杯に、松明の焔がかざされた。




ぶわりと、その空間を歪めるように大きく燃える聖火に、一拍の沈黙を経て、熱気が籠った歓声に変わる。




「綺麗ね...。」



お嬢様のその声は、大喝采の中でも、一際綺麗に耳に届いた。


私はその時なんと返事をしたのか、目の前に広がる圧倒的な光景に記憶が曖昧になっていた。













─────────────────────


カタカタと馬車が揺れる。


未だ冷めぬ感動の熱に、頭がふわふわと夢見心地だった。



「ありがとう、ループス。」


今までの沈黙を割るようにお嬢様が口を開く。


「...えっと...?」


何のお礼なのか分からず戸惑っていると、フードを取ったお嬢様が照れたように唇を食む。


「...私を、外に連れ出してくれてありがとう...って言ってるのよ...。」


モジモジと落ち着かない様子で指先を絡ませるお嬢様に、ジンと胸が熱くなる。


「...いいえ。礼を言うべきは私の方です。私と共に聖火祭に来て下さってありがとうございます。」


揺れる馬車の中、私は静かに頭を下げた。


一度の沈黙の後、お嬢様の息が震えるのが分かった。


「...お嬢様。」


顔を上げると、顔を手で覆いながら、鼻をすするお嬢様が視界に映る。



「.....だめね、私っ...泣いてばかり...こんなに泣き虫じゃないのに...嬉しくて...。」



煮えるような、それでいて心地の良い暖かみが胸を満たす。



「...お嬢様、そちらに行ってもよろしいですか。」


指の隙間から見える濡れた赤に、頭の中の何かが解ける様な感覚がした。



私は返事を待たず、対面に座るお嬢様を抱きしめた。



「...ループ...ス...。」


「嫌なら言って下さい。」



どうしてこんな行動を取ったのか、自分でも分からない。

でも、どうしようもない焦燥感というべきか、この溢れた気持ちを逃がす方法を私は知らない。



いつものように壊れ物を扱う様ではなく、お嬢様の細い体を強く抱き締めて、彼女の肩に顔を埋める。


そんな私をあやすように、お嬢様は私の背中に手を回し、ポンポンと優しく叩いてくれる。



「わたくし...今...世界で1番幸せよ、ループス。」



私の名前を呼ぶその声が好きだ。

彼女の濡れた瞳が好きだ。

細い体躯で周りの悪意に精一杯抗おうと、高飛車に振る舞う所が好きだ。



「好きです...お嬢様...。」


思わず零れたその言葉は、自身の焦りと溢れた知らぬ感情をそっと沈めてくれる。



「...えっ...えぇ...?は...?」



お嬢様の背を叩く手が止まったので、身体を離す。



「...お嬢様?お顔が真っ赤です。」



「...わ、わたく...私が好きと...言ったの?」



はくはくと口を開いては閉じ、やっと発されたその言葉に首を傾げる。



「はい。大好きです。」


「〜〜〜〜っきゃぁ...。」



虫のような小さな悲鳴をあげ、頬を両手で覆うお嬢様。


何かよく分からないが、とても可愛らしいので私はニッコリと笑っておいた。







─────────────────────


馬車がエヴィルバードの屋敷の近くまで来た頃、ずっと頬に手を当て、真っ赤な顔をして独り言を小さく呟いていたお嬢様が私に向き直った。



「ループスは...私とおつ...おつっ...お付き合い...をっ...したいと思っているの...?」


「...お付き合い?とは?...私はずっと、お嬢様の世話係でいたいと思っておりますが。」


こんな幸せな状況に置かれているにも関わらず、これ以上を望むのは欲をかきすぎだ。

お付き合いというものが何なのか知らないが。



「.....」


「お嬢様?」


その返事を聞いて、フリーズしてしまったお嬢様に声をかける。



「あ、貴女は私が好きなんでしょう?」



何を今更...。



「はい。お嬢様が主人で良かったです。世話係として、お嬢様のこの先の幸せを私は守り抜くと誓います。」



お嬢様はその返事に、やっぱりそうよね...なんて呟きながら、ショボショボと頭を項垂れる。


一体なんなんだ?もっと忠誠を誓った方が良いのだろうか。

しかし、実現不可能な事は宣言するなと司令官から言われた覚えがある。







悶々と悩んでいる間に、屋敷に到着したようで、ガタリと馬車が止まった。


馬車の扉を開け、降りた先で馬車の中に向かって手を差し伸べる。



「お嬢様。お手をどうぞ。」



一瞬躊躇う仕草を見せたあと、よそよそしくお嬢様は私の手を取った。




「「「お帰りなさいませ、お嬢様。」」」



門でメイド達が出迎える。


バタバタと焦るように屋敷から公爵様とロイがお嬢様を迎えに来ていた。



「...やぁ、おかえりリビア、ループス。どうだった?楽しかったかい?」


そう言った公爵様は、リビアの顔を心配そうに見つめる。



「ええ!凄く綺麗だった。街はまるで蛍みたいだったのよ。それにね...」


嬉しそうに身振り手振りで感動を表そうとするお嬢様に、公爵様とロイと私は暖かい目でその話を聞く。


「もっと話を聞かせてくれ、ただ外で話すのもなんだ、屋敷の中でお茶でも飲みながら話そうか。」


そう言って笑った公爵様は、お嬢様の手を取り屋敷の中に向かった。










公爵様とお嬢様がお嬢様のお部屋で話をしている間、私は調理場で湯を沸かしていた。



「ループス、でよかったよね?お嬢様を外に連れ出してくれたらしいね。」



調理場の出入口から掛けられたその声に、顔を上げる。

一体誰だ。足音が静かすぎる。



声の主に目をやると、快活そうな、30代後半の位に見える女性だった。



「...えっと、」


「ああ、ごめんね、私はペリーって言うんだけど...そうだなぁ、ランマットさんの次くらいにこの屋敷で古株の人って覚えて?」



お茶目に笑うと、ペリーはエプロンのポケットに両手を入れた。


「...ご挨拶が遅れて申し訳ございません。新しくこの屋敷に務めさせていただくループスと申します。よろしくお願い...」


「ちょ、ちょっと待って?...かったいなぁ、ループスちゃん。」


私の挨拶を途中で遮って、困ったように額に手を当てるその様はとてもわざとらしく見えた。


「...よろしくお願いします。」


なんだか釈然としないが、キリが悪いので私は続きの言葉を流れるように口に出した。


それにしても、そんな古株とどうしてこうも屋敷内で出会わなかったのだろう。



「...んーまぁいいや。ごめんね、私がいない間ドッタバタしてたでしょ。ちょっと実家に帰省しててさー、長い休暇貰ってたんだよね。お母さんがもう長くなくて。困ったよねぇほんと。心配だけど、私の弟とそのお嫁ちゃんが世話みてくれるって言うからさぁ、お前は帰れーって感じで追い返されちゃって...あっはー!もっと休み貰ってたのに1週間も早く帰ってきちゃったほんと、もー。でもまぁ休んでばかりじゃ身体もなまるしね。3日前に一応戻ってきてはいたんだけどー、ちょっとゴタゴタしててさぁ、休暇は今日までって事にしてもらったんだよね。だからループスちゃんにもご挨拶出来なくてもどかしかったよー。」


そんな話をしながらペリーは手際よく棚から茶葉を取り出し、私が沸かしていた湯をポットに注いだ。




対して私は、雪崩のように話すペリーを見て、フリーズしたまま動けなかった。


人間は、こんなにも一方的に話続けられるものなんだな...。


なんて、一種の感動を覚えながらペリーをボーッと見つめる。



「...ってことがあって〜、あれ?ループスちゃん、聞いてる?」



いや聞けねぇよ。



「...あ、あぁ、すみません。そうでしたか、長期休暇を取ってらしたから会えなかったんですね。」


「そそ。だからこれからよろしくね。聞いたところによるとあのお嬢様がすっごい懐いてて公爵様も嫉妬しちゃう程だってぇ〜?あっはは!私がいない間に面白いことになってるねぇ。」


ケタケタと本当に楽しそうに笑いながら、いつの間にか蒸らしまで終わっていた、紅茶のポットとカップ2つを乗せた銀トレイを私に向けて渡した。


「...えっ...ああ、ありがとう...ございます。」



今まで出会ってきた中で一番奇怪とも言える目の前の人物に、私は思いっきり動揺していた。


それと同時に、どこか冷静な私は、彼女の動作ひとつしても、布の擦れる音や足音がやけに小さなことに少しの警戒を滲ましていた。



「...んじゃ。明日からバリバリ働いちゃうからよろしくね。.....それと聞きたかったんだけど、君一体何もんなの?」


そういったペリーは明るい表情から一変、笑顔は崩さぬものの、目がすぅっと細められる。


背中にヒヤリとした感覚が走る。




敵意だ。






また、頭の中が騒がしくなる。


あの頃、何年もの間ずっと向けられ、警戒していた敵意や殺気。


沸いて出てくる恐怖と戦意、そしてアドレナリン過剰分泌による高揚感。


懐かしいともいえる、この感覚が目の前の強者に向けられる。




『殺せ 殺せ 殺せ 殺せ』




警戒しなければ、この人間に殺される。





「...ねえ、君やばいよ?死体みたいな目してんじゃん。」



ペリーは、いつの間にやら持っていたカトラリーのナイフを自身の顔の横でプラプラと揺らす。



「...何もんかって聞いただけなのに何そんな警戒してんの? ...なんかやましい事でもある訳?」



頭の中の声がうるさすぎて、ペリーの言葉がプツプツと途切れるように聞こえる。



「...あんたこそなんなんだ。身のこなし方が普通じゃない。...ここの使用人ってのも嘘か?」




もしかしたらお嬢様を狙った暗殺者かもしれない。

ここ数日、どうにもお嬢様を狙った被害が多い。



渡された銀トレイを調理台に置き、両手の自由を確保する。



「私は元々王室直属の騎士だよ。...いい加減質問に答えてくれない?君はなんなの?」


そう言って、酷くウザったそうに私を睨みつける。


騎士...?騎士がなんで使用人に...。






「...今はただのお嬢様の世話係だ。」



「...ふぅん。昔は?」



「...軍人。」



「どこの?」



「言わない。」



そう呟くように口にすると、ペリーは少し目を大きく開いた後、ひとつ息を吐いた。



「ま、いいや、変な動きしないでね。君怪しすぎだから。じゃーね。」



ペリーはそう言ってナイフを調理台に置くと、またエプロンのポケットに手を入れて調理場を出ていった。





身体の緊張がドッと抜ける。




なんなんだ一体。

怪しすぎる...?

私からすれば怪しいのはペリーの方だ。

ああもう、くそ、ペリーのせいでこれからこの声がより一層騒ぎ出すだろう。





『殺せ 殺せ 殺せ 殺せ』





頭の声は鳴り止まぬまま、渡されたポットの中を捨て紅茶を入れ直した。



これからの業務に大いに支障をきたしそうな人物との出会いにうんざりしながら、あの催し物の内部犯の目星が付いた事になんとも言えぬ複雑な感情を沸き立たせた。













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