第10話
エヴィルバード公爵邸の門で、公爵様に見送られたあと、私とお嬢様は馬車で王都に向かった。
「お嬢様、大丈夫ですか...?」
王都に着いた頃、久しぶりの馬車で酔ったお嬢様が、先程とは毛色の違う真っ青な顔色で私に寄りかかっている。
「うん.......全然...ゥッ...大丈夫...。」
えずいていたような気がしたが、本当に大丈夫なのだろうか。
「屋台で遊ぶのは後にして、少しそこで休みましょうか。」
そう言って、私はお嬢様の手を引いて広場のベンチに座った。
座った後も、お嬢様はぐったりしており、フードを深く被ったまま私の肩に頭を乗せた。
「ゔー...ん...ループス、お水が欲しいわ...。」
「そうですね、気が利かずすみません。屋台で何か買って来ましょうか。」
「うん...私、ここで座っておくから...。」
ベンチから立ち、飲み物を売っている所を探そうと人だかりへと向かう。
ふと、公爵様の言葉が蘇る。
『...もしかすると今日、リビアを狙うものがいるかもしれない。』
...1人にして大丈夫だろうか。
足を止めて、お嬢様に振り向くも、お嬢様の様子は変わらない。
出来るだけ早く戻らないと、と思い、私は歩くスピードをはやめる。
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無事飲み物を買った私は、急ぎ足でお嬢様の元へ戻る。
「お待たせしました、お嬢様。何もありませんでしたか?」
飲み物を手渡すと、お嬢様はほっとしたような顔をしてそれを受け取った。
「...?別に何も。」
「そうでしたか。良かったです。」
コクコクと飲んだ後、お嬢様は項垂れた頭を重そうに起こし、息を着いた。
「うん、ごめんなさい。もう大丈夫よ。...ループス、言い忘れていたけど...その服、よく似合ってるわ。」
そう言ったお嬢様は、くいっと私の袖を引っ張った。
私達の今の服装は、目立たぬよう庶民の服を着ている。
お嬢様はワンピース、私はパンツスタイル。
しかし、2人ともマントを羽織っているため、その格好は隠れてよく見えない。
きっと、お嬢様の部屋を出る前に言おうとしてくれていたのだろう。
そう思うと、胸がギュッと締まり、思わず笑みがこぼれてしまう。
「お嬢様も、とてもお美しいです。」
手を取り、彼女の前に膝まづく。
「...やめなさいっ...もう、ループス、目立つから...」
お嬢様のマントから少し見える首元は、真っ赤になっている。
照れ屋なお嬢様は、いつか殿方にこのように言われても、こんな可愛い反応を見せるのだろうか。
「...」
ドロリと、泥のようなものが心臓の周りを這った様な気がした。
何も言わなくなった私に、戸惑った様子でお嬢様がループス?と呟く。
「お嬢様、そろそろ行きましょうか。まだ灯火まで時間があります。」
「うん。...私、目立ってない?怖がらせたりしてないかしら...。」
ベンチから立ち上がった途端、お嬢様は俯いて悲しそうに口を紡いだ。
「大丈夫ですお嬢様。何があっても私がお守り致します。」
お嬢様の手を優しく握ると、一瞬肩を跳ねさせたあと、一際強く私の手を握り返した。
「怖いけど、ループスと一緒だと楽しいわ。」
そう言った彼女の表情がフードで見えない事に、私は少し歯がゆく感じた。
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「ループス!見て。綺麗ね。」
すっかり祭りの屋台を楽しむお嬢様に、手を引っ張られながらついて行く。
彼女が嬉しそうに手に持つそれは、ステンドグラスに装飾された2対ペアのゴブレットだった。
「ええ。大変美しいです。」
赤色の花をステンドグラスで柄付けされており、屋台の明かりにキラキラと照らされている。
「ループス、このお花の名前知ってる?」
少し自慢げに笑うお嬢様の質問に、自身が知る花の名前を浮かべてみるが、どれもこの花には当てはまらない。
「...いいえ。」
「ふふん、フリージアっていうのよ。」
人差し指を顔の前で立てたお嬢様は、フン、と鼻高らかに笑った。
「あらあら、お嬢ちゃん良く知ってるわねぇ。お花が好きなのかしら。」
私達の様子を見て、売り手の老婦人がクスクスと笑った。
「そうですわね、お花は...好き。」
お嬢様はその質問に、何かを思い出したように、ハッとした後、少し俯いて答えた。
「?...花言葉は知ってる?フリージアの。」
フリージアすら知らなかった私は言わずもがな、フリージアを知っていたお嬢様も分からないらしい。
何も言わず首を横に振るお嬢様を横目に、老婦人へと目をやる。
「親愛、なんですって。ペアって言うとどうしても恋情を思わせるけど、このゴブレットは家族だったり、友人だったり、恋人や夫婦間だけの贈り物じゃないの。
...それって、とっても素敵だと思わない?私は愛の種類は沢山あると思うけど、何も恋愛感情が1番大きい愛だとは思わないわ。」
そう言って、柔らかく笑う老婦人を見ていると、フェルマーのことを思い出す。
「確かに。愛は...その人の心の器を表すようだと思う。血が繋がらず、恋情も無い相手でも、器がでかいものなら惜しみなく与えられる。愛はその人自身だ...。」
もうこの世には居ない、私に初めて大きな大きな愛をくれた彼女へと、私は思いを馳せる。
「...ループス、珍しいわね。そんなこと言うの。」
フードで目元は見えないが、きっと私のことを見ているであろうお嬢様を見て、ハッと恥ずかしくなった。
私は、今何を語っていたんだ...??
「...喋りが過ぎました。」
頭に手をやり、1つ息を吐き出すと、焦ったようにお嬢様が声を出す。
「ち、ちがうわっ、そういう事じゃなくて。だから...だれか、そういう人が居たのかしら...って。」
「ええ。少し前に、他界しましたが。」
その一言に、ズゥンと空気が重くなった気がした。
なぜだ。
「ま、まぁ。貴方がそういう人と出会えていて良かったわ。貴方は時折孤独な様子を見せるから。」
淡々とそう言うお嬢様の声には、柔らかな、労るような温かみをかんじる。
再度手を引かれ、前を歩く彼女の背中を見つめる。
何故か胸が苦しい。今すぐにでも、お嬢様を抱き込んで泣きたくなってしまう。
「...あなたは優しすぎる。」
どうしようも無いその感情を、吐き捨てるように呟いたその一言は、雑踏の中に消え、彼女に届くことはなかった。
「ループス。見て、剣よ。」
キラキラと目を輝かせるお嬢様は、楽しそうに武器を売るそこへと小走りに向かう。
「...危ないですから。」
少し小言を言うと、お嬢様は眉間に皺を寄せてフン、と鼻息を荒らげた。
「だって剣なんて初めて見るもの。そういえば、門番の槍。あれも素敵だったわ。でも彼らは剣を持っていなかったものね。」
そう言いながら、素敵ね〜なんて呟いて剣を物色するお嬢様に、ため息をもらす。
「お嬢ちゃん、剣見んのは初めてかっ!女には関係ない話だろうが、そうまでキラキラされちまうと無下には出来ねぇなぁ。」
この数多の武器の造り手と思わしき中年の男が、自慢げにお嬢様に剣を見せる。
「これはな、切れ味に特化させた剣でよ。軽すぎると刃こぼれしちまうし、重すぎてもダメだ。そうなりゃ質のいい鉱石を使って...」
「へぇ、...凄いわ...綺麗ね...」
黙々と話し続ける鍛冶屋であろうその男に、お嬢様は楽しそうに耳を傾け、コクコクと頷く。
何を言っても聞きそうにないから、私は目線を他の武器へと向けると、あまり見た事のない形状のナイフを見つけ、思わず手に取ってしまう。
「おいおい、触んのはやめてくれ。」
男の制止の声が聞こえ、私は静かにそのナイフを置く。
「...すまない。これ、あんたが作ったのか。」
トントン、指でナイフの近くに触れると、男は感心したように声を出した。
「見ねぇ形だろ。両刃のナイフだよ。」
中央にくびれるようにして刃が曲を描くそのナイフは、長く軍にいた私も見たことがないものだった。
「...両刃のナイフなら沢山見たが、この曲線はなんなんだ。」
「あまり詳しくは言えねぇ。けど、このナイフは人を殺すためのもんだ。」
目を合わせてそう言い切るその男の言葉に、私の頭の声が騒ぎ出す。
『殺せ 殺せ 殺せ 殺せ』
「持ってみろ。」
その言葉に従って、そのナイフを持ち上げる。
なるほどな、軽い。
持ち手は骨で出来ているのか。取っ掛りがあるから血で滑ることも少なそうだ。
それに刃も丈夫な金属が使用されている。
「...暗殺用か。」
「...さぁね。」
この男の腕は確かなようだ。どれもこれも、断面が美しく切れそうだ。
『そうだ、殺せ 殺せ、殺さなければ────』
ジジ...ッと脳の血管が焼けるように痛み、チカチカと昔の記憶が写真のように点滅する。
気持ち悪い、最悪の気分だ。
早くナイフから手を離したいのに、これを置けば殺せなくなってしまう。殺さないといけないのに。サビルメの、あいつらを...
「──────ループス」
その声で、ブツリとくぐもった聴覚が鮮明に戻る。
ジットリと、汗で背中についた服が気持ち悪い。
「失礼、私達には...関係がないものだ。」
震える手で、ナイフを台の上に下ろす。
「...馬鹿言うなよ、あんた一体なにもんだい。」
男は、フードの中を覗き込むように、訝しげにこちらを見る。
「...行きましょう、お嬢様。」
そう言って、戸惑う様子のお嬢様を連れ、屋台の並ぶ道をゆっくりと歩いた。
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「ループスはああいった武器に詳しかったりするの?」
私の手を引きながら、お嬢様は質問した。
「...いいえ。」
その答えに、短くも長い沈黙が流れる。
お嬢様の顔は見えないまま、何を考えて、何を思われているのか分からない。
酷く居心地が悪い。
「...いつか、話してくれると嬉しいわ。」
聞こえてきたその声は、あまりにも寂しげで、私は思わず立ち止まってお嬢様の手を引いてしまった。
「...っ...。なんで...泣くんですか。」
お嬢様の前髪で隠れた赤い瞳には、まだ零れずとも、珠のような涙が溜まっている。
「あなたが...何も話してくれないから...。知りたいのに...だって...私は...あなたの事が.....」
そこまで言って、お嬢様は、はぁっと短く息を吐いて俯く。
「.....。」
今はまだ、何も話せない。
誰にも言えていない。フェルマーにも、誰にも。
お嬢様に言う時は、その時はきっとお嬢様を愛し、お嬢様に愛された殿方が現れた時。
私が不必要になった時...。
まただ。心臓が何か、ドロドロとした汚いものに沈む感じがする。
焦燥感と怒り。
何に対して私は怒っているんだろう。
「...なんでもないわ。もう、いいから。行きましょう...。」
知らぬ感情に困惑する私を置いて、お嬢様は先に行こうと足を踏み出す。
その手を瞬発的に掴んで抱き込む。
なんと、言えばいいのだろう。
彼女の涙を止める方法が、いつまでたっても分からない。
それなのに、私の為に泣くお嬢様があまりにも愛おしい。
彼女が私の事を考え、泣くその顔を見ると、なんとも言えぬ満足感が胸を満たしてしまう。
私はきっと、お嬢様にとって良くない世話係なんだろう。
静かに目を瞑り、私は口を開いた。
「...いつか、話す時がきっと来ます。それまで待っていてくれませんか。」
貴女が誰かと愛し合うその時まで、今だけは、貴女の寵愛を私だけに降らせて欲しいから。
話してしまえばお嬢様はきっと、私から離れていってしまう。
だから、今だけ。
「...分かった。...待ってる。」
胸元から、くぐもった声で伝えられたその答えに、内心そっと胸を撫で下ろす。
「...。」
「...そ、そろそろ離しなさい...っ。暑いのよ...。」
モゾモゾと小さなお嬢様が、私の身体から居心地悪そうに離れようとする。
いつもの調子に戻った気がして、惜しむことなくお嬢様から身体を離した。
「...行きましょうか、お嬢様。」
フードで見えぬお嬢様の顔は、きっと真っ赤に染っているのだろう。
差し出した手をそっと握る小さな手を、名前も分からない感情を胸に押し込んで握り返す。
それから、お嬢様の年齢位の少女に流行しているらしい、キラキラとした色とりどりの飴を買って、聖火を灯すその時間まで、広場のベンチに座って時間を潰した。
その間、お嬢様は何も言わず私の肩に頭を寄りかからせていた。
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