第9話

「おはようございます、お嬢様。」


聖火祭当日、公爵様の許可も頂き、お嬢様と王都へ向かうことになった。


聖火祭は夜に行われるらしいのだが、昼頃から祭り仕様の出店などがあるらしいので、夕方から王都へ行くという予定となった。





部屋に入ると、暗い表情のお嬢様がいた。



「……おはよう。」


やはり外に出るのが怖いのか、お嬢様の顔色は優れなかった。


「...リビア、行けそうかい?」


実は今日、忙しいにも関わらず、公爵様もリビアお嬢様の部屋に来ており、彼女の久しぶりの外出にソワソワとしていた。


「...パ...お父様は.....私が外に出ても、大丈夫と思いますか...?怖がらせてしまったり、しないでしょうか。」


多分、赤い瞳のことを言っているんだろう。


お嬢様の表情はずっと固く、暗いままだ。


「...リビア、パパはね、リビアの赤い瞳が大好きだよ。僕のたった一人の愛娘である君が、僕にとっては何よりも大切なんだ。」


「.....ええ。」


公爵様は、お嬢様の両肩に手を置くと、彼女の額にキスを1つ落とす。


「怖がる者なんて、放っておけばいい。君の魅力を知っている人は、君が思っているよりもずっと多いんだよ、リビア。」


「...お父様...、その...ありがとう。」



リビアお嬢様は俯いた顔を上げると、少し照れたようにはにかんだ。


しかし、まだ彼女の表情には緊張が含まれていて、きっと彼女からしたら、この部屋の外に出ることすら大きな出来事なんだなと改めて思う。



「さて、リビアはまだ少し準備が必要だろうから...ループス、ちょっとだけいいかい。」


そういうと、切り替えたように、こちらへ向き直る。


その訳ありげな顔に、思わず私は背を正す。



「かしこまりました公爵様。...お嬢様、お話が終わったらすぐに戻ります。」



「え、ちょっと...!...もう、悩む時間が増えるのは嫌だから...手短によ、ループス...。」


お嬢様は、一瞬抗議の目を私に向けたあと、観念したように項垂れる。


「勿論です。楽しみですね、お嬢様。」


「...ふふふっ、うん、楽しみねループス。」


ふわふわなお嬢様の髪の毛が、彼女の笑顔に花を添えたように揺れる。


本当に、可愛いな。


「...ごほん、じゃあまた後でね、リビア。」


長らく彼女に見とれていると、公爵様が咳払いをしてその沈黙を破った。



公爵様と共に、お嬢様の部屋から出ると、公爵様は書斎へと向かう。

何も言わない彼の後ろを、私は黙って着いて行った。








────────────────────


「さてさて、ループス。一昨日から今日までの間に、今までに無かったような事が立て続けに起こっている。」


書斎のデスクに腰をかけると、公爵様は困った様子で私に声を掛ける。



「...はい。」


「ループス。君は軍人だそうだね。」


空気を割るような、低い声。

私は、緊張で握り拳に力が入る。


「はい。」


「ふぅん...、...はぁ、しかし、ランマットが言うには君に害は無いし、私達公爵家の者が危険にさらされる事はないと。」


スっと目を細めて私を見たあと、彼は毒気が抜けたように眉を垂らした。


「...。」


「ループス、フェルマーさんが君を養子に迎えなかったら、きっと君はここにはいなかった。」


彼の緑色の瞳が私を真っ直ぐに見つめる。



「はい、仰る通りです。」


「だから、私はフェルマーさんが君を養子に迎えてくれたことに感謝している。」


叱責されると思っていたので、思わぬ言葉に目を見開く。


「...。」


「君がいなかったら、一昨日の晩、リビアの身に何か起きていたかもしれない。...はぁ、あの門番共、使えないにも程がある。」


公爵様はそう言いながら、髪の毛をかきあげイラついたように眉をしかめた。


「...とんでもありません。.....殺さず、捕らえておけば公爵様のお手も煩わせずに済んだのに、私は...。」


あの時、過去の声に呑まれていなければ...。

あの日からずっと、後悔し続けている。


「いいや、ありがとうループス。君がいてくれてよかったよ。」


あまりに優しいその声に、鼻の奥がツンとする。


「...と、んでもありません...。」


声が震える。


涙をこらえる様に、息を止め、短く吐き出す。


「...君は色々面倒事に関わってきたようだ。


私は諸事情でよく王城へ謁見に行く事があってね。

...勿論王直属の近衛軍を見る機会もあるんだけど...。」


そこまで言うと、私を訝しげに見つめ、言葉を止める。



「...?」


「君は彼等とは違う。失礼を承知で言うが、少し...気味が悪い。」


公爵様はそう言ってから、すまないね、と小さく呟いた。


自分ではよく分からないが、私は他の軍人とは違うのか。



『殺せ、殺せ、進んで殺せ』



また、あの声だ。


不快なその声に、奥歯をギリ、と噛み締める。



「...ループス?申し訳ない、やはり不快な思いをさせた。言わない方が良かった。」


心配そうな声に、ハッと意識を戻す。


「い、いえ。少し考え事を。」


「...でもね、フェルマーさんが選んだ人だって言うのもあるんだけど、君のことはこれでも信頼してるんだ。」


彼の言葉はよく、フェルマーとの大きな信頼関係を垣間みせる。


フェルマーは一体何者なんだ。


「そう言って頂けるのはうれしいですが、私はその様に目をかけて貰える人間ではありません。」


私の取り柄は殺すことしかないから...。


「...卑屈なのは良くない。君はあのリビアのお気に入りだ。自信を持って貰わないとあの子が傷つくだろう。」


「...申し訳ありません。」


公爵様は、私の返事を聞くと、困ったように頭をかく。


「...まぁいい。私はリビアを助けてくれた君に礼を言いたかったんだ。」


「...ありがとうございます。大変嬉しいお言葉です。」


そう言って軽く礼をする。


「はぁ、もう、君は本当にお堅いな。...リビアも待っているし早く終わらせよう。君に相談があるんだ。」


少し疲れた様子で、彼は私に向き直った。


それに従って、私も頭の中に響く声から意識を背ける。


「私に出来ることであればなんなりと。」



私の返事を聞いて、呆れたようにため息をついたあと、公爵様は本題に入った。



「...はぁ、昨日の朝の事だよ。烏に剣を刺したの事だ。」



ああ、あのふざけた迷惑行為。


フツフツと怒りが湧いてくる。


「...私も見ました。使用人達の中でも混乱が起きており、その中にはお嬢様のせいだと噂する愚者もおりました。」


「ああ。ランマットから聞いている。...まだ犯人は捕まっていないんだ。この屋敷に侵入した外部の者か、それとも.....」


「この屋敷の内部犯...ですか。」


私がそう口に出すと、公爵様は少し驚いた顔をしたあと、眉間に皺を寄せた。


「ああ...もしかすると今日、リビアを狙うものがいるかもしれない。内部の者の仕業であれば、リビアの身は常に危険に晒される。」


「...はい。」


「...そこで、君に相談なんだ。リビアの護衛を兼任してくれないか。」


机の上で指を組み、私を見つめる瞳は真剣そのものだった。


内心、焦る。


私なんかが本当にリビア様を守れるのだろうか、とか、なんで私にそんな事を、とか、でもお嬢様を御守りしたい、とか、色々な思いが頭を駆け巡る。


でも、少しだけ汚い考えが頭に浮かぶ。





──────殺せば頭の中のこの声は、収まるんだろうか。






リビアお嬢様を守るためだと訳付けて、賊や暗殺者を捕らえず殺してしまえば、私はこの声から開放される。

司令官の命令に、従える。




でもそれは、きっとその時だけの応急処置にしかならず、この声がこの先消える事はない。




「.....私じゃ、務まりません。」




その時限りの措置にしかならないのなら、殺して得るよりも、お嬢様の笑顔を見て居た方がずっと心が穏やかにいられる。


きっと、護衛になってしまったら、彼女を守る為と呈して楽な殺しを選んでしまう。


それならば、護衛になんてならず、言い訳も出来ぬ状況で苦しんだ方が、ずっと良い。


私は、あの頃の、軍人だった頃の自分をお嬢様に知られたくない。



「...そうか。しかし、リビアが君以外の者を傍につけるのを嫌がるんだ。」




「護衛にはなれませんが、ただの世話係として、彼女に仇なそうとする者から、命を張ってお守り致します。」




「...あっはっはっ!それは護衛とは違うのかい?」


カラカラと愉しそうに笑うその笑顔は、お嬢様の物とは少し違う。


「違いますよ。私は彼女の世話係です。」


きっとあまり違いは無いんだろう。

普通の世話係はきっと命を張って主人を守るなんてしない。

でも、もう私は普通じゃないことを知っているから、普通じゃない人間らしく、普通じゃない世話係になってやろう。


私の返事を聞くと、公爵様は満足そうに微笑んだ。

私たちは、書斎から出て、リビアお嬢様の部屋へと足を進めた。








─────────────────────



「それじゃあ、行きましょう。お嬢様。」


お嬢様の部屋の扉を開け、お嬢様に出るよう促す。


「...待って。心の準備が。」


その返事、5回目。


胸に手を当て、わざとらしく深呼吸するお嬢様を見つめる。


「...お嬢様。そろそろ行きましょう。聖火祭の前に屋台で遊べなくなってしまいますよ。」


呆れたように眉を上げると、お嬢様の顔はカッと赤くなる。


「わ、分かってるわよ!ちょ、ちょっと待ちなさい。はぁ...」


そんな押し問答の私達を見ながら、公爵様はニコニコと嬉しそうに笑っている。



「...お嬢様。屋台どころか聖火祭まで終わってしまいます。」


「〜〜〜っ!!もう!!.....ループス。」


半べそをかいて、地団駄を踏むお嬢様は、諦めたように私を見あげる。


「...なんでしょう。」


「.....だっこ。」


真っ赤な顔をし、唇を尖らせて呟いたその声に、私は目を瞬いた。


「お嬢様...それは...」


「.....ループス、私はね、リビアにこんな風に甘えられた事がない。ずるいと思わないかい?私は父親なのに。抱っこなら僕がしてあげるよリビア、さあ、」


ヒシヒシと伝わる公爵様の敵意に、思わず私は目を逸らす。


分かっていたことだが、とんだ親バカだ。


自分が仕える公爵家の主に、失礼とは思いつつ少し呆れてしまう。


「嫌。ループスが良い。...ループス。早く。」


ギュリンッと音の出そうなほど勢い付けて、公爵様は私の方に首を捻る。


怖...


そんな争いを知ってか知らずか、お嬢様は手を上げ、私を見あげる。


また耳が赤くなっており、私はそれを見て微笑んでしまう。


「...お嬢様、14歳の令嬢がそんな甘えた事を言ってはいけません。」


「ループス、そういう割には少し...嬉しそうね?」


そう言ってお嬢様は、ぽふりと顔を赤く染め、私の裾を指先で引っ張る。


「...甘えているお嬢様があまりにも可愛くて。」


「...な...っ...。ばか、ばかっ!」


ポコポコと私を軽く叩くお嬢様を見つめていたら、横から視線を感じた。


.....まずい、公爵様のことを完全に忘れていた。


鬼のような顔をしているのを予想して、恐る恐るそちらに顔を向ける。


「...?」


予想とは違い、公爵様は口を開けたまま、驚いた様な顔で、私とリビアお嬢様を交互に見ていた。


「...ループス、抱っこは良いわ。手を繋いで欲しいの...。」


「へ?...あ、はい。どうぞ。」


公爵様の以外な表情につられてボーッとしていると、お嬢様の声に意識をハッと取り戻した。


手を出すと、まるでダンスの誘いでも受けたように、ソッと小さな手が私の手に乗ってくる。


「.....い、行きましょ。」


「はい。」


その折れてしまいそうな小さな手を、優しく握り返す。






そして、私は彼女を部屋の外へと連れ出した。









「...リビア、よくやったね。凄いよ。」


先程まで呆気に取られたような顔をした公爵様は、いつの間にやらお嬢様の頭を撫でて嬉しそうに微笑んでいた。


「へ、部屋から出ただけよ。私達はこれから王都へ向かうんだから!」


お嬢様は公爵様の言葉に、ふんふんと自慢げに鼻息をたてて、頬を桃色に染めた。


「ああ、門まで送っていくよ。さあ、行こうか。」


そう言ってお嬢様の、私と繋いでいる手と反対の手を握り、階段へと足を進めていく。


ヌッと、階段の壁から出てきたロイさんは、何食わぬ顔で公爵様の後ろをついて歩く。

その表情は少し柔らかく、嬉しそうだな、と感じた。










門へ向かう途中、何人かの使用人が公爵様とお嬢様を見て頭を下げた。


しかし、やはりお嬢様を見る目は冷たく、困惑や恐れを感じる。


先程まで明るかったお嬢様の表情も、すっかりフードに隠れて見えなくなってしまっている。


俯いて歩くお嬢様の横顔は、フードに隠れていて見えずとも分かるくらいに暗かった。


「そういえばお嬢様。王都の屋台に、お嬢様位の年齢の少女が好む、綺麗なお菓子があるそうですよ。」


彼女が少しでも楽しく居られるように、慣れないけれど、話題を探す。


「そう...。」


「へえ、それは良いね。庶民の味や娯楽を知るのも公爵家の令嬢として必要な事だよ。ループスには多めに渡しているから、2人で存分に楽しんできなさい。」


「...うん。」



公爵様のフォローも虚しく、お嬢様の纏う雰囲気は依然として暗い。



「私、タスマリア王国に来たのはここで働きに来た際が初めてなんです。王都は通りましたが、残念ながらよく見れていません。...お嬢様、屋台観光する際、私にタスマリアの良いところを教えてくれませんか?」


私の手を握る手に力が篭もる。


「...私も...分からないわ...。」


もう完全に萎縮してしまっている。

まるで出会った頃のようだ。


「...でしたら、私達は、タスマリアの風景に同じ感動を味わいながら知っていけますね。」


この国はいい国だから。

きっと良い所が沢山ある。



私がそう言うと、お嬢様は立ち止まって私の顔を見つめた。


その瞳にはやはり涙がたまっていて、窓から射し込む太陽に、キラキラと照らされている。


「...っ...そうね、楽しみね、ループス。」


グスッと鼻をすすったあと、吹っ切れたように私に向かって微笑んだお嬢様は、門へと、私たちを引っ張って歩き出した。



それに焦る様についていく私と公爵様は、目を合わせて笑った。





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