第6話
聖火祭まで残り2日の日の夜、屋敷の空気がいつもとちがった。
静かなのは変わらないが、いつもよりも屋敷の気配が多いような気がした。
皆が寝静まった頃、私は自室から出た。
2階の廊下の窓から裏庭の方に目をやると、顔を黒い布で隠し、外壁の柵をよじ登る人影が見える。
3人。
彼らは外壁を伝ってこの屋敷に近付いている。
「賊か……?」
最後列にモタモタと慣れない動きで歩く人物の手元を見て呟く。
その手にはナイフが持たれており、明確な敵意を表していた。
門番は何をしているのかと反対側の廊下へと足を運び、窓から門を見る。
「...ちっ」
裏庭には目もくれず、ヘラヘラと談笑する2人が見えてしまい心底ガッカリする。
階段をおり、襲撃者が歩いて行った西側の廊下まで足を進める。
この屋敷は昼に見るとそうでも無いが、暗闇の中で歩くと迷路のようだ。
ほとんどが同じ景色に見えるため、方向感覚の無いものは迷いそうだ。
「.....手短に脅して連れてきてくれ。俺はここを見張ってる。」
廊下を曲がった先の奥の方で男の話し声が聞こえる。
...この屋敷の誰かを狙っているのか?
「分かった。公爵家といえど、ガキ1人なんざすぐ攫える。出る時の事を考えていてくれ。」
「でも大丈夫か?“悪魔の引きこもり令嬢”だろ?俺は行かねぇからな、お前達だけで行ってこいよ。」
「くくっ、笑わせんな、悪魔だろうとただのガキだよ。何ビビってんだ。見た目が良けりゃちょっと遊んでやる。」
「...ああ。……それにしても公爵家ともあろう屋敷、警備がチョロすぎて拍子抜けだ。」
静かにくつくつと笑うそいつらの言葉を聞いた私は、静かに1人頭に血を昇らしていた。
───────こいつら、お嬢様を狙っているのか。
生憎、今この屋敷には公爵様がおらず、唯一武力が見込めそうなロイさんも公爵様について出掛けており居ない。
音を立てずに捕まえられるか?
暗殺の訓練は軍の基礎訓練程度でしか教えられていない。
何せ軍というものは、例外を欠いて、来ることが分かって戦うものだと思っている。
自信はないが、お嬢様を狙うと言うのであればその行為を看過することは出来ない。
戦うことを頭で想像すると、蓋をした記憶がドロドロと隙間から溢れ出る。
『殺せ、殺せ、殺さなければ価値がない。』
頭の中に司令官の声が聞こえる。
無視すれば、またあの痛みを味わうんだ、恐ろしい、殺さなければ...
頭の中がじわじわと、ドス黒い恐怖の色で蝕まれていく。
2人が、仲間の元を離れ、私がいる廊下への曲がり角へ向かってくるのを察知して、息を殺して待ち伏せをする。
その2人のうち、1人が曲がり角を曲がって、私と顔を合わせる。
その頭を右手で鷲掴み、曲げた右膝に振り下ろす。
喉目掛けて右膝を振り上げ、ガコッ、と、こ気味のいい音を立てて息を止める。
白目を剥き、息絶えた1人の身体を私の後ろへ転がし、遅れて歩くもう1人の姿が見えるまで待つ。
「...!」
私の姿を見て声を出しそうになる奴の腹を殴り、残った1人に見えないようこちら側の廊下に身体を引き込む。
「ぐ...ぁ...」
膝を着いたのを目視したあと、体重を乗せて男の首を思いっきり捻った。
これで2人。あと1人。
曲がり角から、残る1人がいる廊下へと身体を出す。
「...っあ?」
状況を飲み込めないのか、曲がり角と私に視線が行ったり来たりする。
「誰かに命令されたのか?それとも自分で計画したのか?」
「...あ?...は?は?...な...あいつらはどこに...。」
足を引きずるようにして後ずさりする男に、私はコツコツと足音を鳴らし、近付き続ける。
震えた手でナイフを私に向ける男はなんで、なんで、とブツブツと呟いている。
「質問に答えろ。誰かに命令されたのか?」
「ちっ!ちげえ、俺達は....金が...金が欲しくて」
「自分たちで計画したということか?」
暗闇に揺らめく紫の眼光に、男はもう目が離せない。
足がガクガクと震え、終いの果てにはつまづいて尻もちを着く。
「っひぃ...ゆっ許してくれ。俺は言われただけで」
「言われた?」
「あ、あいつら、2人にだよ...っ、公爵家の娘を攫って...そしたら、金がっ金、入る、って。」
コツ...と、座り込んで震える男の元で足を止めた。
「それは許せないんだよ、私が、許せない。」
困ったような顔をして自分を見下ろす1人のメイドに、男は1人呟いた。
「...ばけものっ...。」
「...はぁっ...はぁっ...はぁっ...」
3つの命が事切れた後、私は1人うずくまる。
殺さなければ...もっと、多く殺して...そうすれば傷つけられずに済むから...。
息が苦しい。昔の記憶が雪崩のように流れ込む。
殺さないと、進まないと。
終わらぬこの地獄の、終わりの鐘を聞くまでは...
「はぁ...はっ...ぅ...殺さ...なければ...」
夜闇に怯え、自身の身体を抱きしめるようにして腕を組む。
...また...誰か来る。
殺さなければ、私を襲う奴らを、進みを邪魔する不届き者を...、
最後の1人が持っていたナイフを手に取り、近付いてくる気配に対抗するために、臨戦態勢に入る。
「...ル...ループス...?」
その人物は手に持ったキャンドルを私に向けた。
転がる男3人を見て、困惑と怯えが混ざったような表情を浮かべる。
「...メイド長...。」
しかし、ナイフを持って震える私を見て、心配そうな表情へと変える。
「...ループス、これは...一体...。」
「これは...その、お嬢様を狙ってきた者で...私はまた...人を...。」
「...落ち着きなさい。この者たちは...亡くなっているのですか...?」
ポンポンと座り込む私の肩を優しく叩き、落ち着くよう言い聞かせる。
「...はい。私は...人を殺す方法しか...知りません。」
グッと肩に乗った手に力がこもるのが分かる。
ああ...フェルマーがくれた機会なのに...こんなに早く終わるのか...
「はぁ...門番を呼んできます。あなたを1人にするのは心許ありませんが、ここにいてくれますね?」
メイド長は額に手をやり、困った様子で私に言った。その手は小さく震えており、恐怖を隠せていなかった。
しかし、その口調は有無を言わさない圧があり、私は従う以外道がない。
「...は、い。」
「公爵様からは、あなたの事情を深く聞かぬよう言われておりますが...さすがに今回の件が起きてしまったからには、ある程度話は聞かせてもらいます。」
「...かしこまりました。」
私の返事に頷くと、彼女は門番の元へと向かった。
私も、最初は殺さずに捕まえるつもりだった。
だが、私には殺さずに攻撃する方法なんて分からない。殺すつもりなんて無かったのに、気が付けばまた...人を殺してしまった。
指先から血の気が引き、額に嫌な汗が噴き出す。
「...ぁああ...殺さなければ価値がないから...私は...進まなければ...敵を殺して...皇帝に...彼らが言うから...殺さなければならないんだ...」
俯いた顔を上げると、見知った顔が2人、私の事を見下ろしていた。
男が口を開く
“お前たちが進む為に、俺は死んだのに、お前は進まなかった”
女が口を開く
“私達、せっかく死んだのに、私たちの死を無駄にするの? 姉さんは、進んで、殺さないの?”
「ダ...ムル...違う、...リン...私は...」
“ “逃げたんだ” ”
「ちが...う、ちがう、私は...」
ダムルが私の頬に触れて、唸るような低い声をだした。
“お前は価値がない”
ダムルの顔が指揮官の顔に変わる。
ドクドクと高速に脈打つ心臓に合わせて、体が揺れる。
「...違う...違うんだ...私は...っ...許して下さい...もう痛いのは...嫌だ...殺すから...許して下さい...」
“ “殺せ、進め...出来ぬのならお前は生きていても意味が無い” ”
響くように耳に入る指揮官の声に全身がガタガタとふるえる。
蹴られ、殴られ、切り付けられた記憶が脳を焼き焦がす。
「許っ...許じで..っ...痛い...苦しい...」
殺したサビルメ軍の断末魔が耳に入る。
もう1つ、また1つと増え、それは万程の大群の声に変わる。
聞こえぬようにと耳を塞ぐが、声の大きさは変わらない。
怯えるように身を縮め、強く目をつむった。
「あ...あ゙ぁああっ...」
殺さなければ...それなのに、彼らを殺すのが怖い...
─────「...ループス!!」
自分を呼ぶ声に顔を上げると、メイド長のランマットが私の肩を揺すっている。
「あっ...ああぁ...」
言葉が出てこない。
さっきのは幻か?
自分の被害妄想が生み出した幻覚幻聴?
でもきっと、彼らは私を恨んでいる。進まなかった私を、殺さなかった私を。そして、命を刈り取った私を。
私には価値がない、殺される、指揮官に、殺され────
「落ち着きなさいループス!!」
メイド長は大きな声で私を呼んだ。
「...はっ...はぁっ...ごめん...なさい...っ。」
頭がグルグルする。私はどうすればいいんだ。殺さないと、それなのに、誰を殺せばいいんだ。分からない。
「...ループス・パトロニウス!貴方は今何処にいるのですか!エヴィルバード家の使用人として早くこの場に戻ってきなさい!!」
メイド長はそう言って、無理やり両手で私の頬を挟み目線を合わさせられる。
聞こえていた断末魔も消え、目の前がメイド長の顔でいっぱいになる。
「っ...も、申し訳ありません...、ただいま...戻りました。...私...気が...動転していて...」
「...いいのです。戻ってきたなら、良いのですよ。」
ホッとしたように息を吐いて、メイド長は私に向かって微笑んだ。
そうだ、私はエヴィルバード家の使用人になったんだ。
アキシアルンドの軍人じゃない、
私はお嬢様の世話係なんだ。
そう思うと体の力がだらりと抜け、右手に持ったナイフがするりと抜け落ちた。
─────────────────────
あの後、3人の死体は国の衛兵によって回収され、夜から明け方まで事情聴取が続いた。
私の身元を聞かれた際には、メイド長が上手く誤魔化してくれた。
「それで?貴方は一体何者ですか。」
屋敷に戻ったあと、そのまま侍女長控室に連れられて今に至る。
メイド長は部屋に入った途端に椅子に倒れ込むように座った。
組んだ腕を指先でトントンと叩き、珍しく険しい顔をして私に問い詰める。
「...何者...とは?」
「...はぁ。...野盗とは言え彼らは私たち女性よりも大きいですし、女性一人で大の男3人を相手にするのは現実的では無いでしょう。」
もはや呆れたような顔で会話をするメイド長に、申し訳ない気持ちになってしまう。
「私は...軍にいました。」
「いつ頃からです?」
「...詳しくは分かりません。なぜ、軍に居たのかも。ですが、物心ついた時には既に軍にいて、それ以前の記憶はありません。」
私の生まれも、誰が両親だったのかも、何も分からない。
私のループスという名前も、カビたパンをくれるだけの育ての親ともいえぬあの軍人がつけた名だ。
「どこの国の軍ですか?」
「...それは........っ、……。」
「...いいえ、言わなくていいです。それで、今はその軍からは逃げている途中なのですか?」
押し黙った私に配慮してか、堅い声を少し和らげてくれる。
「...いいえ。...私を知る軍人は...もう居ません。」
「...それはどういう意味ですか?」
「.....私を知るものは、もういません。」
しん、と部屋が静まりかえる。
その静けさを破ったのは、メイド長のため息だった。
「...分かりました、貴方がここにいる事で、軍の面倒事に公爵家の皆様が巻き込まれることは無い、ということでよろしいですか?」
ふと、戦争中に逃げ出した軍人の後ろ姿と、ウェスティの顔が浮かぶ。
「.....ありません。」
でもきっと、彼らももうあんな地獄を味わいたくは無いだろう。関わることも、きっともう無い。
「...なら良いのです。
...ここに居て良いのですよループス。だからそんな顔をするんじゃありません。」
メイド長はいつの間にか腕組みをやめ、デスクに肘を着いて私に微笑んでいた。
「...っありがとうございます。」
目頭が熱くなり、視界が滲んで見えない。
……暖かい。
自分の涙がポタポタと絨毯を濡らす。
私は、ここに居ても良いのか。
その日、10分近くもの間、メイド長の目の前で、声を押し殺して泣いた。
その間、彼女はずっと優しい目をして私を見ていてくれた。
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