第5話

「ループス...ほんとにもう痛くない?」


夕御飯をお嬢様の部屋に持ってきた際、包帯に巻かれた私の手を見てお嬢様はシュンとした。


「はい、もう痛くありません。」


私はどうやら痛覚の閾値が高い様で、怪我した際もあまり痛いという感覚が無かった。

だから本当に、そんなに心配されることは無いのだが。


「...ごめんなさい。」


「謝らないで下さい。もう、大丈夫ですよ。」


「...うん。」


そして、この会話は3回目だ。

いくら大丈夫だと言ってもお嬢様は眉を垂らして俯くばかり。

どうしたものか。


「今更傷だらけのこの身体に、ひとつ傷が増えたところで問題ありません。

それに、きっとこの傷もすぐ治って、跡にもなりませんから。」


今はメイド服を着ているため、肌の露出が少なく傷が見える事もあまりない。

しかし、脱げば、この傷よりも十倍もの傷が無数に目に入る。

今更ひとつ増えたところで、私の身体が傷だらけなことには変わりがない。


「...ループスはどこかに傷があるの?」


「はい、沢山。ですから───」


「どこ?」


「...え?」


お嬢様は深刻な事態だと言わんばかりの顔で、私の見える肌を注意深く観察する。


「どこに傷が...もしかして、右目のこと?...あ...手のひらに切り傷の跡が...」


などと、私の顔や手をペタペタと触りながら心配そうに目を潤めた。


お嬢様の瞳は濡れると大変綺麗だ。普通にしていてもキラキラと眩しいほどに美しいが、濡れると赤いしずくのようにも見え、今にもこぼれ落ちてしまいそう、なんて錯覚をしてしまう。


「...お嬢様、もう、昔のことですから。今は完治しておりますし、痛い事もありません。」


...たまに、静かな夜にジクジクと嫌な感覚が襲う時があるけれど。



「ループス...、ループスは、どうして、そんな...傷付いたの?」


「...なんで、でしょうね。」


昔の記憶がフラッシュバックし、喉が狭窄したのが分かった。

思わず苦虫を噛み潰したような顔をしてしまい、隠すように俯いた。


「...ループス...貴方は一体───」


「お嬢様。...そういえば、昼食の人参ちゃんと食べれて偉かったですよ。」


お嬢様の言葉を遮るように、私は昼に下げたプレートが空になっていたことを思い出し、目を合わせて彼女を褒める。


「...ま、まあ。美味しかったわ...。

.....やっぱり少し苦手だけど。」


最後の方は小声になりながらも、フン、と自慢げな様子が可愛らしい。

それに少し口角が上がる。



「ちなみに今日の晩御飯はピーマン入りです。」


「...ループスの...」


「...?」


「ループスのばか!!もう嫌い!」


嫌いなピーマンを献立に加えたせいか、プンプンと下唇を突き出しながら、私を部屋から押し出した。



「ああも情緒が安定しない人間には初めて会ったな...。」


あの流れならピーマン入りでも怒らないと思ったのに。


私は初めて目にする不安定な情緒と、コロコロと変わる表情に困惑と少し暖かい感情を持つ。


何はともあれ、残りの仕事を終わらせないと。


私は一つ息を吐いてから、洗濯をしに向かった。





─────────────────────


「では、お先に失礼致します。」


「はいお疲れ様。」


礼をしてから、未だ調理室で料理長と献立を話し合うメイド長を背に自室へ向かった。





自室に入り鍵をかけてから、私はメイド服のボタンに指をかける。


「...ふ。」


自分の胸元や腹部にある大きな傷を指で撫でながら、お嬢様の顔を思い出し、笑いが漏れる。


人の為にあんなに顔色を変えて...。


本当にお嬢様は優しくて可愛らしいお方だ。


「悪魔とは程遠い...。」


1人の空間に、自分の呟きが消えていく。


下着姿になってから、メイド服をクローゼットに仕舞い、麻布のシーツを敷いてあるベッドに倒れ込むように座る。



「...フェルマー、ここは変な人達ばっかりだ。あんたが嫌がりそうなお節介焼きばかりで...


温かいんだ.....ありがとう、フェルマー。」


フェルマーが居なければ、私はきっとこんな温かさも、彼らの優しさも、知ること無く死んでいた。

彼女がくれたこの恩を、私は自分の命を持って返し続けよう。


そう改めて胸に誓い、この温かい気持ちを、噛み締めるように目を瞑った。






─────────────────────


「そういえば、王都でお祭りが行われるのよ!」


洗い終わった大量の食器を共に拭いていたメリルが、思い付いたようにこちらを振り向いた。


「...お祭り、とは?」


「お祭り知らないの?」


「申し訳ありません。存じ上げません...。」


「お祭りっていうのは、こう、神の祝福を願って、食べて騒いで歌って踊れ〜...みたいな?」


自信なさげに視線を泳がせるメリルを横目に、手元の食器を拭き進める。


「なるほど...?」


「ま、まあ、タスマニアの祭りの醍醐味はなんと言っても、特大の聖火台よ!」


「聖火台...?」


「タスマニアの女神様に捧げる火のこと!あの大きな聖火台に、火が付けられるあの瞬間!もう鳥肌が立つほどの迫力よ!」


食器など知らぬと端へ放っぽり、私の顔に近付いて熱弁するメリルに、少し気圧されてしまう。


「な、なるほど。それはいつ頃なんですか?」


「月末だからー、あと5日後ね!」


あー楽しみっ、なんてニコニコと呟きながら作業に戻る彼女を見ながら、次は私の手が止まる。


...お嬢様は知っているんだろうか。


昼食の配膳時に少し話題にしてみようと思惑してから、鼻歌を歌うメリルの横で再び作業に集中した。









「ループス。」


洗濯物を取り込み終わってから、お嬢様の昼食を受け取りに調理室へ向かう途中だった。


後ろから聞いた声が、私の名を呼ぶ。


「はい、公爵様。」


振り向きながらそう言って、後ろの人物に目を向けた。


「驚いた...気が付いていたのか?」


「いえ、声で気付きました。私からご挨拶するべき所にもかかわらず、公爵様から声をかけさせてしまい不甲斐ありません。」


貴族などの序列制度に明るくない私に、下の者に上の者から挨拶させるのは良くない事だとフェルマーが教えてくれた。


「...いやいや、大丈夫だよ。君は時々騎士の様な発言をするね。」


困ったように笑う公爵様は、相変わらず麗しいお姿をされている。


「...なにかお困り事ですか?」


「え?何故だい?」


「いえ、お声掛け頂くのは珍しいと思いまして...」


公爵様とは、誓約書を書いたあの日から一度も言葉を交わしていなかった。見かける日はあれど、自室に籠られたり、馬車でどこかへ出掛けたりと、いつも忙しい日々を送られていた。


「ああ...たしかに、あの日以来だ。

いやあ、実はロイからリビアとループスの仲が随分深まったと聞いていてね。」


ロイ、と言われた時に、あの日の警戒した様子の背中を思い出した。


「ロイさんが...。」


「ああ、それにリビアの家庭教師も、彼女はよく笑顔で君の名前を出すと言っていた。


...今じゃ君の方が私よりも仲が良いのかもしれないね。」


最後の方に少し敵意を感じたのは気の所為だろうか。


リビアお嬢様は、1週間に1度、家庭教師にマナーや勉学を学ぶ。

その家庭教師はリビアお嬢様に偏見を持っていない。その為か、お嬢様自身も怯える様子は見られなかった。


「大変嬉しい情報です。ありがとうございます。」


胸に手を当て礼をする。


「...ループス」


少し気が張った声に、頭を上げ彼と真っ直ぐ目を合わせる。


「はい」


「リビアは...学園には行けそうか。」


湖底のような瞳を不安げに揺らす。


「...まだ厳しいかと。私個人への信頼度は出会った頃と比べれば目に見えて上がっていると思われます。

しかし、屋敷外の領民や使用人に対しての不信感は出会った頃と変わりありません。」


「...リビアが何か言っていたのかい?」


「領民も使用人も、皆私の瞳を怖がる、と。」


「あぁ...そうか。はぁ...どうしてアイツらはこうも...っ」


珍しく苛立ちを顕にする公爵様を見て、やるせない気持ちになる。


「ループス、引き続き頼む。私の方からも赤い瞳の偏見を無くすため色々と手を回しておくよ。」


「...承知致しました。」


困ったように柔らかく微笑んだ後、公爵様は屋敷の門へと歩いていった。






─────────────────────


コンコン...


ノックをした途端、中の気配が扉へと飛び出して来る。


「っ...遅いわよループスっ!」


髪を少し乱して出てきたお嬢様は少し怒っているように見えた。


「申し訳ありません...少し話し込んでしまいまして...。」


エプロンのポケットに入っていた懐中時計を盗み見ると、時間より30分程遅れていた。


「...入って。」


私の言葉を聞いた後、少し機嫌が悪くなったような気がする。

断る訳にもいかないので、お嬢様の命令通りに私は彼女の部屋へ足を踏み入れる。


扉が閉まる音が聞こえると、お嬢様は入ってすぐの場所で足を止めた。


「...お嬢様?」


「...誰といたの。」


「はい?」


「だから!私《わたくし》以外の誰と話し込んだというの!?」



──────あ、零れる。



そう思ったと同時にお嬢様の赤い瞳から雫がこぼれ落ちる。


「...エヴィルバード公爵様とお話しておりました。」


生憎彼女の濡れた瞳を拭くハンカチは持ち合わせていなかった。

次からは、彼女の為にハンカチを用意しないとな、なんて考えながら、彼女からこぼれ落ちた雫を指で掬いとる。


「...パ...お父様と?」


あれ、パパと呼んでいたのにいつの間にかお父様に変わってる。


「はい。最近のお嬢様の様子をお聞きになられました。」


「...なんて答えたの?」


「...ピーマンが嫌い、と。」


「〜〜なっ、バカ!!ループスの大馬鹿者!それ置いて早く出てって!」


べしべしと私の脇腹を叩きながら顔を真っ赤にして叫ぶ。

そんなお嬢様を見ながら、可愛いな、と思うと共に、後ろめたさを感じた。



嘘を付くのは良くないと分かっていながらも、学園に行けるようにするとの命令を公爵様から受けている事を何故か彼女には言いたくなかった。



「...ああそうだ、お嬢様。タスマリアの聖火祭を知っていますか?」


「...知ってる。」


叩く手を止めて、お嬢様は俯く。


「...嫌なら断って下さい。私と一緒に、行きませんか?」


「え?」


お嬢様は俯いた顔を上げ、真っ直ぐに私の目を見た。

赤い瞳は泣いたせいか濡れており、ゆらりと揺れたように見える。


「...お嬢様が、外に出るのが怖いのは知っています。ですから、隠す為にフード付きのマントを羽織ってもよろしいですし、ただ...メリルさんからとても綺麗だと教えてくれるものですから...その...」


お嬢様が嫌がるかもしれない、とどんどんと言葉に自信を失っていく。私がつらつらと言い訳のような言葉を並べる間も、お嬢様は私の瞳を見つめるだけだ。


「...。」


「あー、分からん...。

もう、なんて言えば良いのか...その...私は、お嬢様と、綺麗なものを見たいのです。」


つい焦りから、1人言をこぼしてしまう。

こんなに焦るのは初めてだ。

なんでこんなにも胸がざわつくのか、あまりいい気分ではない胸の感覚に、思わず頭をおさえる。


「...く...」


「...?」


「行く。ループスと...一緒なら、行くわ。マントも着るし...もしかしたら私、帰りたくなるかもしれないけど...あの、あの、私...」



またそんなに涙を貯めて...。

キラキラと赤が揺れて、まるで夕陽が落ちた海みたいで...


「...綺麗だ。」


そう口に出してしまったら、お嬢様は大きな目を見開いてから、顔をクシャリと歪めた。


「ぁ...っう...〜〜ぅう」


きゅう、と喉を鳴らしてお嬢様が泣き出した。ポロポロとこぼれる涙を掌で受け止める。


「...お、おじょう...」


突然泣き出してしまったお嬢様に、どうすれば良いのか分からずワタワタとする私の胸に、お嬢様の身体が寄りかかってきた。



「わた...っ...わたく...し、貴方がだいっ...大好きよ。あなたの事が...大好き。」


初めて言われた『大好き』に、心臓が握り潰されるような痛みがくる。

熱を持ち始める耳に、急速に打ちはじめる鼓動、今まで起こったことの無い身体の変化に戸惑った。



ああもう...どうすればいいんだ。こんなにも、愛しい人の涙を、どうすれば止められる。



寄りかかってきた綿の様な軽さのお嬢様を、折れないように、壊さないように、大切に包み込む。

ほぼ触れているだけの腕の温度が、お嬢様の背中の熱と混ざり合うのを感じる。




─────これは、ハグと言うんだっけな。

フェルマーが一度してくれたことがあった。


ああ、温かい...。



「わたくしも...っ...ループスと...綺麗なものを一緒に見たい...。」



くぐもった声でそう言って、お嬢様は涙で濡れた顔を上げた。


私を見上げて乞う様なその上目遣いに、腰がゾクリ震えた。

しかし、胸が握り潰されたような感覚の方が大きかったため、私はその感覚には目を向けなかった。



「楽しみですね...リビアお嬢様。」


そう言って涙を指で拭き取ると、リビアお嬢様は満面の笑みで「うんっ」と言った。
















━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


(作者である私も混乱してきたので、人物のイメージや詳細を以下に書きます)


あくまでこの段階での設定としてご理解下さい



主人公

【ループス・パトロニウス】


・21歳

・黒髪、セミロング(胸の真ん中くらい)

(勤務時は後ろでポニテ)

・柳葉眼

・薄い紫色の瞳、右目は失明(白濁)

・褐色肌

・175cm、61kg

・筋肉質、体幹がっちり、骨格ストレート、姿勢良い



お嬢様

【ルビア・エヴィルバード】


・14歳

・くるみ色の髪、背中の中心くらいの長さ。

天然ゆるふわパーマ、前髪長め(目の下くらい)

・タレ目、ぱっちり

・彩度が高めの赤い瞳。

・色白肌、ブルベ

・150cm、38kg

・痩せ体質、食べても太らない忌々しいタイプ。

骨格ナチュラル

ヒョロい。



公爵様

【セイムス・エヴィルバード】


・36歳

・金髪、天然ゆるふわパーマ、目の上位、センターパート

・タレ目

・深い翠色の瞳

・色白

・172cm、56kg

・この人もヒョロ





先輩メイド

【メリル】


・25歳

・赤毛、前髪長めセンター分け、ボブのニュアンスパーマ

・セクシーお茶目お姉さん

・タレ目の気だるげまぶた

・色素薄めの茶色い瞳

・ソバカス

・160cm、48kg

・骨格ウェーブ、バストヒップ共に↑



メイド長

【ランマット】


・45歳

・茶髪、ロングのお団子ヘア

・穏やかな性格、怒ると怖い、敬語

・つり目

・茶色の瞳

・164cm、54kg

・腰痛持ち




公爵様の専属執事

【ロイ】


・37歳

・公爵様の幼馴染(同級生)、騎士の家系

・オリーブ色の髪、オールバック、

・つり目

・深い青色の瞳

・180cm、62kg

・細身、締まってるタイプの筋肉




ループスの養母

【フェルマー・パトロニウス】


・パトロニウス家(伯爵家)の次女、今のパトロニウス伯爵はフェルマーの兄(長男)の息子(フェルマーの甥)

・銀髪、クルクルヘアーの肩までの長さ

・タレ目のアーモンドアイ

・黄土色の瞳

・160cm65kg

・他界(67歳)







生きる屍(両親×、生まれ故郷は皆アキシアルンド)



【ダムル】


・最年長

(その他設定なし)

・他界(16歳)




【リン】


・最年少

・ダムルに恋愛感情(自身は気付かず)

(その他設定なし)

・他界(14歳)




【ウェスティ】


・ループスと同じ歳(21歳)


(当時15歳の時の設定)

・黒髪、顎あたりまでの長さ

・黒の瞳

(その他設定はネタバレを含むため無し)






------------------------------------------------------------------


主人公が今いる国

【タスマリア王国】



主人公が昔いた国

【アキシアルンド帝国】

(消滅)



アキシアルンドと戦争をした国

【サビルメ公国】

(ベリンと唯一の国交)



戦争をした理由ともなる、アキシアルンドが狙っていた国

【ベリン王国】

(島国、サビルメと唯一の国交)

(鉱石、宝石の類が主な国益)



フェルマーと出会い過ごした国

【ソヌ国】

(タスマリア王国との関係良好)



【パトラシド王国】

(唯一隣接するタスマリア王国を敵対、他国と国交は結ばないが、国同士のパーティ等には参加する)







他にも考えている国はありますが、現在までで出てきた国名を挙げました。

主人公が元軍人なので、少しにはなると思いますが、政治的な対立なども物語に加えたいです。

しかし、いかんせん其方に滅法疎いため、今後その部分が破綻している描写が出てくるかもしれません。

その際は、生暖かい目で見守るか、肘でつついてからかって下さい( ¨̮ )





















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る