第4話
メリルとの食事を終えたあと、私は自室のベッドに横になる。
夜になると、街の世界は機能を止める。
しかし、戦争の中では、私達は夜に機能する。
どうしても、夜は嫌な気持ちに蝕まれる。
「あーそんだあーとは、羊の数を指に折りー...」
ソヌに伝わる子守唄を口ずさむ。
フェルマーがよく、私の腹部をトントンと叩きながら歌ってくれた。
フェルマーは、死んだ後どこに行ったのだろうか。
人に愛されたのは、彼女が最初で最後だった。
寂しい。もう、昔の夢は見たくない。
静かに涙を流し、夜に脅えながら目を瞑った。
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チュン、と鳥の鳴き声で目を覚ました。
日が登り始めた頃の様だ。
床頭台に置いた懐中時計に目をやり、仕事まで猶予があることを確認する。
起きて直ぐにする事は、休めた分だけ体を動かすこと。
やりたくなくても勝手に身体が動き出す。
私はまた、もう亡き故郷の、もう機会のない戦争の為、トレーニングを始めた。
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「それにしても、覚えが早いですね。」
朝にする仕事が全て終わったことを伝えると、メイド長はそんな事を私に言った。
「いち早く皆さんの戦力になれると嬉しいです。」
「もう十分戦力ですよ。では、お嬢様のお部屋の掃除をお願いします。」
と、掃除用具を渡されたことに疑問が浮かぶ。
「...お嬢様の部屋の掃除は3日に1度では?」
「それが公爵様からの命令で一日に1度になりました。...なにせ、お嬢様が公爵様にそう伝えた様でして。」
なんと、思わぬ情報に少し胸が躍る。
理由は分からないがこれでお嬢様と仲を深める機会が増える。
たくさん恩を返せそうだ。
と言っても、私は生涯この恩をフェルマーが託してくれたエヴィルバード公爵邸に捧げようと思っているのだが。
掃除用具を手に、心躍らせお嬢様の部屋に向かう。
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「お嬢様、お部屋の掃除に参りました。入ってもよろしいでしょうか。」
ノックをしてから、またもや返事が無かったので声をかける。
「入りますね。」
声を掛けてから、ドアノブに手をかけると、
ガッ...
「...???」
ガッ...
───内側から鍵をかけられているようだ。
思わず片手で頭を抱える。
.....意味が分からん。お嬢様は一体何がしたいのだ。
数分待てど、鍵が開く様子が無いのでメイド長に鍵をもらおうとお嬢様の部屋を後にする。
「あらあら、今までそんなことは無かったのに。リビアお嬢様は何を考えているんでしょうね。」
可笑しそうに微笑みながら、メイド長は私にリビアお嬢様の部屋の鍵を手渡す。
「...ただでさえ人の感情とやらは難しいのに...私には全く分かりません。」
思わずため息を吐きながらメイド長に愚痴をこぼす。
「あはははっ、リビアお嬢様はループスに甘えてるのかもね。」
すっかりお嬢様への嫌悪感を無くしたメリルが楽しそうに笑いながら私にそう言った。
「甘える?」
「そうそう、所謂構って欲しいがためのイタズラってやつよ。」
メリルは人差し指を立てながら歯を見せて笑う。
「メリル、お嬢様に失礼ですよ。」
メイド長がメリルにピシャリとそう言うと、メリルがしょぼんと項垂れる。
「...イタズラ...よく、分かりませんね。では、失礼します。」
説明されても分からなかった私は踵を返して、再度お嬢様の部屋へと向かった。
メリルが楽しそうに頑張れ〜なんて言っているのを背にイタズラとやらをしたことが無い私は、メリルの言葉の意味を考え、頭の悩みを1つ増やした。
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「...お嬢様、鍵を開けてはくれませんか。」
流石に断りを入れず鍵を差し込むのは後ろめたさがあったのでお嬢様との対話を試みる。
返ってきたのは沈黙。
諦めた私はドアノブの上の鍵穴に、メイド長から預かった鍵を差し込んだ。
中の気配が焦るように動いたのを感じた。
「っあ...!」
またもやベッドの上で、タオルケットを頭まで被った小さなお化けが焦ったように私を見ていた。
「お嬢様、鍵が掛かっているとお嬢様の部屋の掃除が出来ません。」
「...だ、だから掛けたの。」
うーん、お嬢様は掃除が嫌なのだろうか。
いやしかし、メイド長が言うにはこれが初めてだと。
あまり想像はしたくなかったが...
「...私がお嫌いですか。」
「...っ、き、嫌い...よ。」
フェルマーにゲンコツを喰らわされたような気分になる。
ああ...せっかく恩情を受けたのに。私の任務は失敗だ。
「...では、私は世話係を辞退します。他の者であれば────」
「だめ!!」
リビアお嬢様は私の言葉の途中で大きく声を出し、バッと私の方に顔をやった。
その勢いで、頭まで被っていたタオルケットがパサリと落ち、お嬢様の顔を露わにした。
「...。」
「あっ...あ、」
焦ったような青い顔で、彼女は必死にタオルケットを被り直そうとする。
「お嬢様...。」
私はお嬢様に近寄り、その手を止めた。
「...あ、わたし...その...」
「私がお世話係でも、嫌じゃないですか?」
「い...やじゃない...。」
「私の事がお嫌いなのに...ですか?」
そう言うと、お嬢様は焦ったように目線を泳がせてから、俯く。
「...ない。」
「...?お嬢様...なんと、」
「嫌いじゃ...ない...わ...。」
くるみ色の柔らかな髪の毛から覗く耳は、まるで林檎のように紅くなっている。
私はそんなお嬢様の言葉に胸を撫で下ろす。
イタズラか...。
「...それは良かったです。では、お部屋のお掃除させていただきますね。」
そう言ってから私は掃除を始めた。
掃除を終えるとお嬢様に礼をしてから部屋を後にする。
掃除の間、お嬢様はずっとタオルケットに身を包んで私の事を見つめていた。
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廊下を歩きながら公爵様に言われた事を思い出す。
────「あの子は今年で14歳になる。15歳になると、春から学園に通うことになっていてね。どうにかその歳までに彼女を外に連れ出して欲しい。」
さて、どうしたものか。このままでは彼女は外に出そうにもない。
無理矢理連れ出せばきっと彼女は私に安らぎを感じてはくれなくなる。
「様子見...だな。」
結局、お嬢様との親密度をあげる方向に軍杯が上がった。
それから、お嬢様の世話係として2ヶ月が経過した。
「...ループス、私ニンジンは嫌だと言ったのだけれど。」
不満そうに頬を膨らませながら、フォークの先でソテーにしたニンジンをつつく。
お嬢様との信頼関係は驚くほど急速に深まったと言える。
掃除をする際に、お嬢様の定位置はベッドの上から椅子の上に移動し、最終的にはノックをすると自分からドアを開けてくれるようになった。
お嬢様は自身の目を隠す為に消していた、部屋のライトも付ける許可を下さった。
そして、自身を包むブランケットはもうベッドの上に放り出されている。
小さなお化けみたいで少し可愛いと思っていたのだが。
しかし、親密度が上がるにつれて、段々とワガママになってきてもいる。主に私だけにだが、ああしてこうして、これは嫌だと、下唇を突き出す表情は何度見た事か。
「好き嫌いはいけません、ちゃんと食べて下さい。」
そして、いつ頃からか、食事の際は終わるまで私を傍に置くようになった。
「いーや。だって不味いもの。」
「...お嬢様、ニンジンは貴方のお父様の領地に住む、領民が作ったものです。それを、貴方の家に仕える料理人が丹精込めて調理したものです。貴方はそれを事実として受け止め、彼らの為にも食べるべきだと私は考えます。」
「...む...。私の領民ではなくパパの領民なんでしょ。私には関係ないわ。」
日に日にワガママを炸裂させるこのお嬢様に、私は日々頭を痛めていた。
「私は、民を腐らせる人間を軽蔑します。」
「...なにを、」
「お言葉ですが、貴方のお父様は、民を活かすお方です。そのお方のご令嬢が民を敬愛しないでどうします。」
無礼を承知にお嬢様の考えを改めていただく。自身の父上の領民は、彼女の領民でもあるのだ。
「...でも、彼らは私を嫌うのよ。」
「嫌う?」
「パパの領民も、この家の使用人も、皆、この赤い目を...嫌うのよ。」
そう言ったお嬢様のお顔は出逢った頃のように怯えていた。
「...私は2人、お嬢様の瞳を好きになった人間を知っています。」
「え...?」
「彼女はこの家のメイドのメリルと言います。初めはお嬢様の瞳を恐れているのが私にも伝わるほどでした。
彼女は宝石が好きで、1番好きな宝石はルビーだそうです。
彼女は、お嬢様の瞳がルビーの様な色をしている事に気付き、今ではよく、私にお嬢様の瞳を見たいと話して下さります。」
「メリル...?」
「はい。メリル、と言います。いつか、お嬢様にはもう一度彼女と会って欲しいと私は思うのです。」
「...も、もう1人は?」
メリルの話を聞き、少しソワソワと嬉しそうにするお嬢様は、椅子から身を乗り出した。
「私です。」
「...ループスも私の瞳が嫌いだったの?」
思わぬ方向から疑問が飛んできて、一瞬びっくりしてしまう。
「いえ、お嬢様、私は...」
「...ループスは違うって思ってたのに!」
お嬢様は涙を目に溜めながら、私を強く非難する。
「違います!」
お嬢様は、普段は出さない私の大声に、身体をビクリと跳ねさせ、怯えるような瞳を私に向けた。
「...違います。私は初めから貴方の瞳を美しいと感じていました。」
震えるお嬢様の手に、私の手を重ねると、少し肩が跳ねたが、彼女の瞳は怯えを消した。
「...うん。」
「...貴方の瞳も、姿も全て、私はこの世でいちばん美しいと思っております。」
「...っ、わ、わかったから。」
ぶんっと顔を逸らすお嬢様の手を握る力を少し強め、言葉を続ける。
「お嬢様、私は初めから貴方の瞳を愛しています。」
「なっ...〜〜〜っ!!」
声にならない声を出してから、お嬢様は眉間に皺を寄せ、顔を真っ赤にしてから目をギュッと瞑る。
「お嬢様?」
「...う、うるさい!出てって!」
そう叫んだあと、私の手を振り払った。
その際に私は振り払われた手を机の角にぶつけてしまった。
机に乗せた、ご飯のトレイがガシャンと音を立てる。
「...。」
ぶつけた手からは、角で切れたのか血が一筋の線を描いて流れる。
「あっ...ど、どうしよう私、そんな、そんなつもりじゃなくて、...ああ...あ、ごめんなさいごめんなさい...っ」
先程とは真逆の血の気を失ったような顔色で私の手を掴もうとする。
私は、お嬢様の手に血が着くかもしれないと、咄嗟にその手を避けてしまった。
「...ぁ。ご...ごめんなさい...。」
絶望を滲ませた表情で私の目を見上げる。
「...お嬢様。」
「ご...ごめんなさい...ごめんなさい...私...。」
なおも謝り続けるお嬢様の額に、自身の額を引っ付ける。
フェルマーが良く、私が昔の夢を見て、衝動的に外にフラフラと出ようとした時、落ち着かせるために額を合わせてくれた。
「お嬢様。大丈夫です。ただの事故です。お嬢様のせいではありません。」
「でも...っ...手が...手...血が...怪我した、私が貴方にっ...」
震える手を私の手に伸ばそうとするお嬢様。
その手を怪我をした方と逆の手で掴んで止める。
「お嬢様。手が汚れてしまいます。大丈夫です、リビアお嬢様。私は怒っていませんし、辛くもありません。」
掴んだ手が力を抜き、震えが止まったのを見て、その手を離し、お嬢様の頬に手を触れる。
「...ごめんなさい、ループス。」
お嬢様は、やっと落ち着いたようで、眉を下げ私に謝る。
「大丈夫です。お嬢様は悪くありません。」
「ううん、私が悪いの。だから、ごめんなさい。」
「...はい。大丈夫ですよ。お嬢様に怪我がなくて良かったです。」
そうして、私はお嬢様の額から顔を離した。
「...ループス、手当してきて。傷が残ってしまうわ。」
今も尚申し訳なさそうに眉を垂らすお嬢様に少し笑ってしまった。
「な、何笑ってるの!ほら、早く。」
そう言って、お嬢様は、グイグイと私の背中を扉まで押す。
「はははっ...すみません、お嬢様が可愛くて。後でご食事下げに来ますね。」
最後までお嬢様の方を向かせてくれないまま、私は扉の外に放り出された。
扉が閉まる少し前に、「ばか...」とお嬢様の小さな声が聞こえた。
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