第3話

────は、物心ついた時には既に軍人として育て上げられていた。


一番最初の記憶は5歳の頃だった。


視界に滲む赤色に死を前にする恐怖。

その歳では到底受け入れることの出来ないストレスが、私の身に降り注いだ。

しかし、受け入れるしか無かったんだ。

それが、育ての親を殺せという命令であっても。

あまり覚えていないが、私達を育てたのは軍人だった。

いい思い出では無いのだろう、彼を前にしても、常に怯えと恐怖が混ざったような緊張感が私達の中にあった。

その彼を殺せと言う命令を下したのは軍の指揮官だった。

育ての親である彼も知らなかったのだろう。指揮官であるその人間に、必死の形相で何かをまくし立てていた。


気付けば私達は彼をナイフで滅多刺しにしていた。


僅か4人、1番下は4歳、上は6歳。

1人とはいえ、平均以上ある背丈に体躯、殺しの訓練を徹底的に叩き込まれた大の大人を、生きた全ての時間を、戦いのために動く人間を見つめるだけだった子供4人に、為す術もなく殺された。


その戦いとも言えぬ、蹂躙に近い揉み合いの際に、私の右目は見えなくなった。


その事実を目にした数多の軍人達は、私達を恐れ、指揮官に殺せと意見した。

しかし、その指揮官は歪んだ表情で嬉しそうに私達を軍の訓練に混ぜ込んだ。


地獄だった。

ミスをすれば2m近くあるでかい男に殴り蹴られる、私達が笑えば、気に触ったのか軍人達に痛め付けられる。


そんな地獄の日々を何年も過ごしたある日、自国の皇帝が他国、サビルメ公国に戦争を仕掛けた。


軍人達の話によると、皇帝はサビルメの海をまたいだベリン王国に目をつけたらしい。


ベリン王国は、宝石類が豊富に資源として取れるという。

ベリンを攻めやすくする為、領地を拡大させるべく、自国の皇帝は、サビルメ公国に牙を向けた。

サビルメはベリン以外の国との国交が希薄であり、自国とは隣国であるにもかかわらず、情報がほぼ全くと言っていいほど入ってこなかった。


それでも皇帝が望むから、と皇帝の顔を見た事も無い私たちも共に、軍事も、土地も、情報が無いに等しいサビルメに進軍した。


今思えば本当に無謀だったと思う

。自国の軍はそれはもう、残忍で冷酷で、何よりも強かった。

以前、タスマリア王国を攻め、僅か2日で3つの領地を狩りとった。

そう、強かったのだ。

だからこそ、今は亡き、アキシアルンド帝国は、情報がないにもかかわらず慢心していた。


サビルメの軍はそこまで強くなかった。

アキシアルンドに面する、1つの領土を制圧するのに2日もかからなかった。

慢心に拍車をかけ、軍は前に進む。

進め進めと命じられる。


私達子供は世界の何よりも、軍人達を恐れていた。

彼らの命令は絶対で、私達は人を殺さねばならない。

生まれてから、その日まで、感情を押し殺し、彼らへの恐怖を持って、ただ人を殺すために育て上げられ、日々を過ごしてきた私達は、戦争で人を殺すことでしか価値が生まれないと考えていた。

それは、軍も同じ考えで、私達は彼らの兵器だった。


1年程経った頃だろうか、軍の中に蔓延る慢心は、完全に消え去った。


サビルメは軍の武力すら高くないが、戦術が驚く程に長けていた。進軍した軍は総員約5千名。


第一軍は2500名、私達が配属された第二軍は1000名、第三軍も約1000名、医療と物資を運ぶ第四軍約500名。


今では第一軍壊滅、第二軍は残り300名、第三軍は自国へ戻り国の防御に務めたが、今ではもう連絡が取れない。第四軍も100名程しか生き残っていなかった。


1つの領土を奪ってから、進軍してすぐに、サビルメ軍の包囲網が完成していた。

針のむしろと言うべきか、森をぬけ、足を踏み入れたそこは、両側に岩壁があり、先に進軍していた第一軍の死体と共に、私達を上から迎え撃つ弓が見えた。


命からがら森に逃げた私達は往く先々にサビルメ軍の罠や待ち伏せに会い、物資も奪われ残り少ない。


第一軍が全滅した事で軍の士気が大きく下がった。それ以外に軍の空気が変わった事がもう1つ。彼らが私達4人を敬いだしたのだ。

瞳に恐怖の色を乗せ、媚びへつらうように私達に助けを求めた。

私達は、彼らが思っていたよりもずっと強かった。

進まなければいけない、その命令だけを頭に、立ちはだかる敵を殺し、前に進んだ。

もう何人殺しただろうか、その日も自国からの報告は来ず、地形も何も知らぬ私達は、自国への帰り道も分からず、ただ森をさまよっていた。

飢餓のせいか、朝目を覚まさずに息絶える者もたくさんいた。

それには目もくれず、私達4人は前へ進んだ。それを急いで追うように、軍の人間はただ走った。



─────────────────────


もう何年過ぎたか分からない。


私達はただ前に進んだ。


馬鹿馬鹿しいと自国へ帰ろうと、軍から逃げ出した者もいた。歩いている途中で死んでいく者もいた。精神が限界を迎え、自死する者もいた。


いつの間にやらもう10名程しか生き残っているものはいなかった。

私達はただ前に進んだ。

もう、自国は滅びたことも知らずに。


それから3ヶ月経った頃、生き残りは私達4人だけだった。

私達に戦争の終わりを伝えようとするサビルメの軍隊を敵だと思い、殺し尽くした。

つい最近では森に人間の気配が消えた。


進むためだけに、休憩をとっていた頃、1人、1番歳が上のダムルという男が口を開いた。


「この状態じゃ進めない。俺を食ってくれ。」


食料はもう無かった

。水は泥の混じった小川から供給出来たが、人間は水だけでは生きていけない。

私達は分かっていた。もう、自分達は限界だと。


「いや。わたしは、いや。皆で死のう。」


ダムルの言葉に、一番歳下のリンという女の子が無表情でそう返した。


「俺は、もう進めないから、食え。」


ダムルの左脚は、もう壊死していた。腐って異臭を放っている。


皆、人間を食べるのが嫌という訳ではなかった。ただ、ダムルを食べる事への抵抗感の名前を私達は誰にも教えて貰っていなかった。


「私も、なんでか分からないけど、嫌だ。」


私もダムルにそう伝える。


私の肩に頭を乗せ、浅く息をしている、私と同じ歳のウェスティも小さく私の声に同意した。


「そうか。俺の死体は好きにしろ。俺はもう価値がない。」


ダムルはそう言ってから、自分の首にナイフを突き刺し絶命した。


その事実に私達はただ、声を押し殺して涙を流した。


進めぬものは価値がない。殺せぬものは価値がない。


そう言って教えられてきた私達は、彼の最後の言葉を理解していたのに、彼の言葉に同意出来ず、ただ悲しみ、彼の言葉に怒った。


その悲しみや怒りの感情が何故出てくるのか、その名前も知らないまま、悲しみに暮れたリンは、ダムルの唇に自身の唇を重ねてから自死した。


私とウェスティは、その2人を食べるなんて出来なかった。

結局、森にいた爬虫類や、小さなうさぎを見つけては狩り、食べて生を凌いだ。




私達は家族も同然だった。


愛をフェルマーに教えられた時、初めてあの悲しみと怒りの理由が愛だと理解した。それを知ってしまった私は声を上げてダムルとリンの死に涙を流し続けた。


大切だったんだ。

ただ窮地を乗り越え、共に抗ってきただけの寄せ集めの人間達。

だが、彼らと共に過ごす時間だけは、安心出来た。周りに怯えることも無く、ただ安らかに目を閉じ、息をすることができた。


彼らを愛していた。


その後、私はウェスティを連れ、森を抜け、いつの間にかソヌ国に足を踏み入れていた。


ウェスティはソヌ国に着いた後、戦争から逃げようと提案し、私もそれに頷いた。

私に幸せになって、とだけ言葉を残し、どこかに歩いて行ってしまった。

私は、去りゆくウェスティの背中に幸せを願い、ソヌにある森を彷徨い、抜けた先でポツリと立つ家へと足を進め、フェルマーに出会った。


─────────────────────


「はぁ...はっ...ふーーっ...。」


奥歯を強く噛みしめる。


昔のことは毎晩夢に見る。

忘れるなと言われているようだな、と自嘲する。


そう考えている内にも、徐々にこの部屋へ近付いてくる気配に警戒してしまう。



────コンコン


「メリルだけどー。今大丈夫?」


「...はい。」


ガチャリと少し重たい扉を開けると、寝間着姿のメリルがそこに立っていた。


「...っえ、あ、ごめんっ!」


顔を真っ赤にしながら慌てふためくメリル。


何も言わずにどこかへ走り去ろうとするので、私は思わず腕を引っ張って自分の部屋へ引き込んでしまう。


「あ...ごめんなさい。何か用があったのかと思って。」


私はお嬢様に何かあったのかと考え、用を早く伝えて欲しかった。


それなのに、


「いゃっ...あの...ば...晩御飯、まだかと...思って...誘おうと...」


違った様だ。


そういえば晩は使用人用の小さな食堂で食べるよう言われていた。


少しほっとした私は、シャワーを浴びてからでも良いかと聞いた。

その言葉にメリルが頷いたので、上だけ下着姿なのはまずいと思い、適当な服を上から羽織ってからシャワー室へと向かった。


この国では、庶民がシャワーを浴びる習慣はなく、シャワーや湯船などは貴族の習慣である。

それにも関わらず、前代エヴィルバード公爵は使用人のために、シャワー台を8つ用意した部屋を造り、それを使用人のシャワー室として使用人に使わせた。もちろん男女別で、だ。


皆、もう少し早い時間に使うのか、シャワー室には誰も居なかった。

シャワー台のカーテンを閉め、完備された石鹸を水で濡らす。

シャワーは流石に全て水で、冬は皆寒さに震えるらしい。



体の汗を洗い流したあと、私はメリルの部屋へと足を運んだ。



─────────────────────


「...ちょっとびっくりしちゃった。」


食事を受け取る際にも珍しく終始無言だったメリルが、スープを口に運んだ後にそう言った。


「何がですか。」


「いや...ループスって...その、凄く良い体してるのね...と思って。」


「...鍛えて...いるので?」


少し話の意図が分からず疑問形になってしまった。

相変わらずチラチラと私の顔を見ながらパンを口に運ぶメリルに怪訝な目を向けた。


「私、最初ループスのこと怖いって思ってたの。」


「良く言われます。」


女にしては高い175cm程の身長に、骨格が細いため華奢でありながらも、誰が見てもわかる鍛えた体、目つきもいいとは言えないし何せ右目が失明している。

服から覗く肌にはナイフで切られたものや、矢が貫通した傷跡が数箇所見える。

小さな子供に、そんな容姿とあまり動かない表情のせいで大泣きされた過去もある。


「最初、どこかの没落騎士でも来たのかと思ったぐらいよ。」


あながち間違ってないな、なんて思いながら目の前のご飯を食べ進める。


「ループスはさ、どこから来たの?あまり見かけない見た目でしょ?そのオニキスみたいな真っ黒な髪色とか、褐色肌もあまり見ないわ。パトラシド辺りにそういった肌の人がいるって聞いたことがあるけれど。」


「...ソヌから。しかし、両親を見た事がないため私の生まれは分かりません。」


本当はアキシアルンドだ。きっと生まれも。アキシアルンドには砂漠地帯が多く分布しており、私のような黒髪は珍しかったが、褐色肌はよく見られた。

しかし、アキシアルンドは消えた国として有名であった。

なにしろ『生ける屍』の噂で悪名高いその場所は、今でこそサビルメ公国の領地になっているが誰も寄り付かず、恐ろしいと蔑み、そこに住まう者はいないと聞く。


アキシアルンド帝国、という名は誰も口に出さない愚かで恐ろしい国とされている。


何せ、生き残りは『生ける屍』だけだから。

その『生ける屍』でさえももうこの世には居ない。


だから、皆は信じている。

もうこの世に、アキシアルンド帝国を生まれ故郷として持つものは誰一人としていない。

皇帝も、民も、全てサビルメによって誰一人残すことなく殺されたから。






「あ...ごめんね。踏み入ったこと聞いちゃって。」


両親を知らないと聞いたメリルは申し訳なさそうに眉を下げた。


「いえ。お気になさらないでください。育ての親はいましたから。」


「そっかぁ。そんなに優しい顔をするなんて。

大好きなのね、その人のこと。」


思わぬ言葉にゴホッと咳き込む。

頭の中でフェルマーのババアがニヤついているのが浮かぶ。


「...ええ...まあ。」


「ループスの瞳は紫で綺麗ね。アメジストの様だわ。ほんとに、珍しくて美しい見た目ね。」


「...メリルさんは宝石がお好きなんですか。」


彼女の例えによく宝石類の名前が出てくる。


「ええ!だって綺麗でしょう。私はルビーが1番好きよ。キラキラとしていて、あんな色が自然に発生するなんて、素晴らしいわ。」


そう言って、目をキラキラと輝かせるその姿に少し柔らかな気持ちになる。


「ルビーと言えば、リビアお嬢様の瞳はルビーのようですよね。」


「...え?」


あっけらかんとした顔でメリルが私を見つめる。


「...?リビアお嬢様の潤んだ瞳はルビーのようです。」


再度そう言うと、メリルは顎に指を当て考え込んだ。


...しまったな、彼女はお嬢様が嫌いなんだったか。

少ししてからそんな事に気がついて、言った言葉は引っ込められないと諦めのため息を静かに吐いた。


「確かに、そうね。悪魔の瞳と思い込んでいたけれど、お嬢様の瞳はルビーの様だわ。」


確かに、と言った風に手をぽんと叩くメリル。

彼女の白い頬が嬉しそうにふわりと赤くなる。


「...ふふ、貴方は素直な人ですね。」


先程まであんなに怖がっていたのに、見方を変えると嫌いな物が好きな物に変わる。

いつだって人は、最初に思い込んだ印象に執着する。しかし、メリルは新しい見方を見つけると思い込みを簡単に捨てる事が出来る。

素直で可愛らしい人だ。


「...笑ったところ、初めて見たわ。とても綺麗ねループス。」


惚けた様な表情でそう言われ、私は少しむず痒くなった。


「...メリルさんも笑顔が素敵です。」


そう返すとメリルは、頬に手を当てキャーっと小さく震えた。

そんなメリルを見て温かい気持ちになりながら私は晩ご飯を食べ終えた。














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