第41話エミリア、吹っ切れる


「ル、ルーカス?」


 さっきまでの優しい表情から一転、ルーカスの口元は厳しく真一文字に結ばれている。


「僕は・・何の事をおっしゃっているのか分かりません。前世の記憶の全てを覚えている訳ではないので」


「あっ、そうだったのね・・」


 ルーカスは『あの約束』が何か、私に尋ねようとはしなかった。急にぎこちない態度になったルーカスに、私の理性もこれ以上踏み込んではいけないと警告している。8歳のエミリアなら、約束を忘れたルーカスを責めていたかもしれない。大人になった自分を褒めてあげるべきかしら。


 少しの沈黙の後、ルーカスは用事を思い出したと言って席を立ってしまった。テーブルには手付かずのままのチーズケーキと、8歳の少女の顔をした私が取り残された。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 どうしようもなかった。いや、どうしたらいいのか分からなかった。


 エミリア様に不意打ちを掛けられた僕は、ルーカス・ギリゴールの生まれ変わりだと認めざるを得なかった。だがそれを知ったエミリア様が喜んでくれたのは予想外だった。あの時、子供心を傷つけた僕を恨んでいると思っていたから。


 でも屋敷を去ったせいで、僕は2重にエミリア様を苦しめていたのだ。僕の死を自分のせいだと考えていたなんて・・。自分が病で余命幾ばくも無いからといって、死に場所に戦場を選んだのは過ちだった。屋敷を出た僕が戦場で死ねば、それをエミリア様が自分のせいだと考える事に思い至らなかった。


 僕は悪くないとエミリア様はおっしゃった。そして僕もエミリア様のせいで死んだ訳ではないと答えた。もう過去のわだかまりは無い。僕は自分の気持ちをエミリア様に打ち明けようと決心した。


 だがエミリア様は『ルーカスを好きだ』と言った。そうだ、エミリア様の心を占めているのは前世のルーカスなんだ。この僕じゃない。その事実は僕の背中に冷や水を浴びせた。


 僕はバカだ。今の自分がエミリア様に好かれていると考えるなんて愚かだったんだ。エミリア様が求めてるのは僕じゃない、そう思うと息苦しくて胸が痛くてあの場所には居られなかった。


 僕はどうしたらいい? エミリア様の幸せを願うなら、前世のルーカスの顔をしてお側に居ればいいのか? この口から前世のルーカスの言葉で、愛していると囁くべきなのか?



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 あの気まずい終わり方をしたお茶会の後も、ルーカスはいつも通りに私の護衛を務めた。前世の話は一切せず、あのお茶会はまるで無かったかの様な振舞だ。私を避ける事もなく、通常通り。いつものルーカス・ロスラミンだった。


 今日も護衛騎士として私の外出に付き従い、終われば屋敷まで送り届ける。


「他にご用はございませんか?」

「ええ、無いわ。ありがとうルーカス」


 私を執務室のドアの前まで送ったルーカスはそのまま踵を返した。そこへ中庭から屋敷内に通じるフランス窓を開けて、イライザが入って来た。


「ルーカス! 良かった、探していたのよ。ノーマが会いに来てるわよ。中庭に‥あそこにいるわ」


 イライザが振り返った中庭に若い女性の姿が見えた。ルーカスはイライザに礼を言って中庭に出て行く。イライザは私の方へ歩いて来た。


「おかえりなさいませ、エミリア様」

「ただいま。今の、どなたかしら?」


 ルーカスが女性と談笑しながら去っていく姿を見て、私の心臓は大きく脈打ち出した。恐ろしい予感に全身の血の気が引いて行く。知りたくない、でも知らなければ・・。


「ノーマはアンドーゼ先生の姪御さんです」


 イライザはクスッと笑って付け足した。


「ルーカスは付き合ってない、なんて言うんですけどね。あれは絶対付き合ってますよ。ノーマがルーカスにぞっこんなのは傍目から見ても明らかだし」


 胸の動悸は収まらない。まだ確定じゃない、イライザの早とちりかもしれない・・。


「そ、そうね。お似合いだわね」

「ですよね! 私もそう思うんです。ルーカスより2つ年下で、とても可愛い方なんですよ。きっとルーカスは私にからかわれるのが嫌で、付き合ってないなんて嘘をつくんだわ」


 イライザは楽しそうに話している。馴れ初めは確か、先生の家にお邪魔した時で・・でも私の耳にはもうイライザの話は届いて来なかった。軽いめまいを感じ、涙が自然と浮かんできた。イライザはまたフランス窓を抜けて出て行く。私も無意識に執務室のドアを開け、デスクの前に腰掛けた。


 ルーカスが生まれ変わって、また私の所に戻ってきてくれた。それを本人からの確証を得て、私は舞い上がっていた。それゆえにしっかりと現実を見られていなかったんだ。


 ルーカスに前世の記憶があったとしても、厳密にいえば彼は同じルーカスではない。もうロスラミン家の息子としての道を、20年歩んで来ているのだ。私達二人は客観的に見れば、雇い主と従者で、アカデミーの先輩と後輩で、私は彼より8つも年上の女なのだ。


 前世では自分の孫の様な年の子供に結婚を迫られ、生まれ変わっては8つも年上の女から好意を寄せられるなんて、ただもう迷惑なだけだろう。ルーカスの態度が豹変したのもうなずける。


 それにルーカスにはノーマという、今の自分に合う女性がいた。ルーカスの幸せを願うなら、私は身を引くべきだわ。もう8歳の子供じゃない、私の方に振り向いて欲しいなどと駄々はこねられないのだ。もしルーカスとノーマが付き合っていないとしても、ルーカスにふさわしいのは私じゃない。8歳も年上で、子供だって授かることが出来るか分からないような年齢の私じゃない。


 私はまた自分の気持ちを押し付けて、子供の頃と同じ過ちを犯す所だったのだ。



 


 もう変わらなければいけない、私はそう感じた。


 ルーカスの前世での死は私のせいではない、まずはこれを受け入れようと思う。私ももう過去の呪縛から解き放たれる時が来たのだと感じたのだ。もう自分を責めるのはやめなさいと、神様が私の元へ生まれ変わったルーカスを送ってくれたのかもしれない。私が再びルーカスに出会えたのは、結ばれるためじゃない。だからルーカスへの気持ちも同時に手放そう。


 でも頭ではそう考えていても、やはりルーカスの顔を見るとまだ胸が痛んだ。だが幸いな事に、ソードマスターとして覚醒したルーカスが戦場に駆り出され、しばらく屋敷を留守にすることになったのだ。


「ルーカスが留守の間は私とスタイルズがエミリア様の護衛を務めますので、ご安心下さい」


 私の執務室に挨拶に来たカーティスが言う。


「公爵家騎士団の副団長なら、怖い物なしね」


「ソードマスターほどではありませんが、私の命に代えてもエミリア様はお守り致す所存でございます」


 カーティスは大袈裟な身振りで一礼した。私もフフッと笑ったが、顔を上げたカーティスの瞳はいつもと同じように熱を帯びている。


「そういえばカーティス伯爵が引退されて、家督をご子息に譲られるそうね」


「はい、父は肺を患ってからすっかり弱気になってしまいまして。弟に家督を譲った後は母と保養地へ移る予定なのです」


「長男のあなたが‥継がなくてよかったの?」

「私の領地はここからずっと西の海岸地域にあります。領地の仕事と騎士団の仕事を両立するには遠すぎます」


 カーティスは「それに」と言いながら、私の前に跪いた。


「エミリア様のお側を離れたくありません」


 私の手を取り口づけを落とすと、手を握ったままでカーティスは立ち上がり、唐突に質問を投げて来た。


「モーガン卿をお選びになるのですか?」

「アレク? いえ、アレクは私に求婚なんてしていないわ」


 しそうである事は、言わなくてもいいわよね・・。


「では先に名乗りを上げましょう。エミリア様、どうか私と一生を共にして下さい」


 

 

 



 

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