第42話エミリア、父と打ち解ける
どうしてカーティスがあのタイミングで私に求婚したのかは分からない。でも少女時代から私を見て来たカーティスは、私の微妙な心の変化を感じ取ったのかもしれない。
父の遠征先に出向いていた母が、父を伴って帰宅したのは、あれからすぐの事だった。
「ただいま、エミリア。ああ、1か月ぶりの我が家だわ」
「お父様、お母様、お帰りなさいませ」
「エミリア、変わりはないか?」
「はい、鉱山組合の新しい・・」
親子3人で久しぶりのお茶を囲んでいたが、お母様が手を振りながら私の話を遮った。
「鉱山組合なんてどうでもいいのよ。この人はエミリアを心配しているのよ、侯爵家でコカトリスに襲われたことを聞いて卒倒しそうだったんだから」
お母様がお父様に話したのね。あの時は特に大きなケガも無かったし、お父様には知らせていなかったのだった。
「二人にしてあげるから、話をして頂戴。私は湯あみをしたいわ」
お父様は置いてけぼりにされた子供の様に不安そうな目をして、お母様が出て行ったドアを見ている。考えてみるとアカデミーに入学してから今日まで、お父様とこうして二人きりになった事はなかったかもしれない。
軽く咳払いして威厳を取り戻そうとしながら、お父様は私に向き直った。
「その、本当にどこも怪我はなかったのか?」
「はい、かすり傷程度です」
「そうか‥コカトリスは周期的に変異体が発生して人間を襲ってくるのだが、その周期が定まっていなくてな、予想が難しいのだ。私が駐屯していた東部でも・・いやこんな事はどうでもいい事だ」
「お父様こそご無理はされていませんか?」
「わたしはもう戦場に直接出る事はないからな、人々の安全を確保しつつ、部隊の兵士や戦士をうまく配置することに余念がないよ」
カップの中で揺れるお茶に目を落とした後、ふっと懐かしい思い出に浸るように、お父様は遠くを見つめながら言った。
「それでも、ギリゴール卿と戦場を駆け巡った日々が恋しくなる事がある。彼が居れば自分でさえも無敵になった気がしていたな」
「ロスラミン団長のご子息が‥ルーカスが雷のソードマスターに覚醒しましたわ」
「そうだったね。私達は余程、雷のソードマスターに縁があると見える」
『私達』とお父様は言う。特に深い意味もなく言った言葉なのだろうが、私は一瞬、ルーカスへの私の気持ちを、お父様が見透かしたのかと思ってドキリとしてしまった。
「お母様が変わられて、戸惑ってはいませんか?」
これは予想外の質問だったようで、お父様に驚いた表情が現れてすぐ消えた。
「そうだね、戸惑っているというのは的確な表現だ。私は結婚してすぐに、リタにとって一番大切なのはこの公爵家と仕事だと悟ったからね」
「お父様もお母様と同じでしたの? 貴族の結婚なんてそういう物かしら?」
「いや、私は違う」
お父様は少し俯いてはにかんだ。
「私達は珍しくお見合い形式で初顔合わせを行ったんだ。リタは若い頃から素晴らしく美人で、エネルギーの塊の様に溌溂としていて、その全てが私には魅力的に映ったね。私はリタにベタ惚れだった。だから結婚した後で寂しい思いをすることも多かったが」
「が?」
「諦めないで良かったと思っているよ。あと何年かで部隊は引退するつもりだ。その後はリタと二人で諸国を巡る旅をしようと計画しているんだ」
「素敵な計画ね」
「エミリアは、その‥自分が好きな相手と結婚したいと、子供の頃にリタに言ったそうだが」
「言いました、私も子供だったのです」
そうだわ、私もいい加減に大人になって、元々お母様が薦めていたカーティスと一緒にこの公爵家を守って行くのが、理の当然なのかもしれない。
「そうか。だが一緒に居たいと思える相手がいるのなら、お前も諦めてはいけない。もう時代は変わってきている、家の為に自分を犠牲にすることはないんだよ」
今度は私が驚く番だった。私の中ではお父様はとても真面目で実直なイメージがある。でも時代の新しい波を拒むような頑固さとそれは別物だったのだ。この短いひと時で私達親子は10年以上もの溝を一気に埋めたような気がした。
「ありがとうございます、お父様。二人で話せてとても良かったです」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ああ、いたいた。ルーカス、お帰りなさい」
「アンドーゼ先生、僕をお探しですか?」
「ええ、例によってまたノーマですよ。ルーカスはまだ遠征から帰ってこないのか、とうるさくて。帰還は昨日の予定だから、今日は公爵邸に来ているのではないかと見に来たんです」
「ああ、それで・・」
「叔父を偵察に行かせるなんて、全く人使いの荒い姪御です」
なんとなく僕はそのまま先生の自宅へ足を運んでいた。ノーマはアンさんと一緒に出掛けているらしい。居間に通されるとほのかにレモンのいい香りが漂っている。
「アンがお茶の支度をして行ってくれました。後はお湯をポットに注げばいいだけなんですが・・」
先生はポットの蓋を開けて中を確認しているが、手つきが心もとない。
「僕がやりましょうか?」
「そうですか! ではお願いします」
待ってましたとばかりに、目を輝かせて先生は僕をキッチンに案内する。よく沸騰させたお湯をポットに注いで再び居間に戻ると、先生はタルトを切り分けていた。
「これがまた美味しいんですよ、レモンと糖蜜の甘酸っぱさがくせになるんです」
先生は自分の皿に3切れ分はある大きさのタルトを乗せたが、僕は少な目でお願いした。
「お茶の時間は毎日こんな感じですか?」
「ええ、もちろん!」
毎日毎日こんな量のスイーツを食べているとは思えないほど、先生はスリムな体形を維持している。元々太らない体質なのだろうか? それに改めて見ると、最近の先生は身なりが小奇麗でトレードマークだった寝ぐせも見られない。
「そんな事はないですよ。結婚してから急に太りましたが、アンが食事を工夫してくれるようになってまた元に戻りました」
先生が最近はまっているという糖蜜のタルトを頂きながら、僕は戦地での話をした。
「ソードマスターになったからには討伐隊への勧誘もあるのではないですか?」
「はい、ですが‥迷っています」
「エミリア様の傍を離れがたくて、でしょうか?」
アンドーゼ先生はいつもの様におだやかに微笑んでいる。僕の気持ちなどはすっかりお見通しということか。
「そうです」
僕も観念して正直に打ち明けた。
「でもエミリア様の心には別の人が居座っています。僕を通してその人を見てるんだ」
忌々しい事に、僕であって僕じゃないルーカスがエミリア様の瞳には映っている。いっそ、モーガン卿やカーティス副団長を愛してくれた方が、僕もすっぱり諦めることが出来ただろうに。
「あなたは、今の自分を受け入れて欲しいと思っているんですね・・あなたの気持ちは見ていればよく分かります。そしてエミリア様の周囲の事はイライザが僕に詳しく話してくれるんですよ」
イライザは騎士を目指すようになってから、人が変わったように社交的になった。明確な目標がイライザを変えたようだった。騎士になった今も公爵家で働く人たちとの交流が盛んなようだから、色々な所から情報が入ってくるのだろう。どうしてそんな話を知っているのか、驚くような事をよく聞かされる。
「だから・・」
先生はソファから立ち上がった。
「エミリア様と一度よく話し合ってみたらいいと思いますね」
「話はしたんです。でもエミリア様の求めているのは今の自分じゃないと思うと苦しくて。自分の我がままだと分かってるんです。でも・・」
「今がそのタイミングだと判断しました。あなたにお返しする物があります」
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