第16話ルーカス、願う


 私がエミリア様付きの執事に任命された辺りから、なんとなくおかしいと気づいていた。


 エミリア様に初めてお会いした時、あんな風に我がままで横暴で、怒り出すと狂暴になるのは寂しさのせいだと私はすぐに分かった。私がまだ子供の頃、隣家の末っ子がエミリア様と同じような境遇で、やはり寂しさからよく悪さをしていた。少し年上だった私も、その子供じみたいたずらの被害にあって辟易したものだ。


 父親のダーモットは軍人で家に居ないことが多く、母親は公爵としての務めや社交行事にしか興味がなく、娘にはほとんど見向きもしない。娘は自分の子供というより、公爵家を引き継がせるひとつの駒の様にしか思っていないのだろう。


 ダーモットが酒に酔った時に少しだけ夫婦の関係について漏らした事がある。

 リタにとって自分は都合のいい種馬であって、ただそれだけなのだと。彼は傷付いている様に見えた。本当はリタの事を愛していたのだろう。しかし彼女はそうではなかった。


 開き直って愛人を作ったりする男も多いが、真面目なダーモットは浮気などはせずに軍人としての仕事に没頭する事を選んだ。


 その結果ダーモットは娘を愛しているが、娘に会いたい気持ちよりリタと顔を突き合わせて自分が傷付く方を恐れたのだろう。休暇になっても公爵家に戻らない事が多かった。



 愛情に飢えているなら与えてやればいい。本質はとてもいい子だ。そう思って接したのがいけなかったのだろうか。


 好みの女性像を質問された辺りで、それは確信に変わった。だが所詮は子供だ、優しくされて嬉しい気持ちを愛情と混同したのだろう。たとえ本当に好意を持っていたとしても、いずれは自分に見合った相手を好きになり私の事は忘れるだろうと思っていた。


 しかし私の考えは甘かった。婚約証書まで持ち出して私と結婚するなどと言い出すとは!


 なんとかしてお嬢様を避けたがそれにも限度がある。偽の恋人を作って見たがすぐバレてしまった。


 お嬢様はとてもいい子だ。本当はとても繊細で心優しいのだ。見た目もさることながら、7歳の子供が大人びた口調で話すところも可愛らしい。


 あんな風に真っすぐな気持ちをぶつけられて、あの子に惹かれない人はいないだろう。私も釣り合う年齢だったら簡単に恋に落ちていたかもしれない。


 だがやはり私のような60過ぎの年寄りを好きになってはいけない。公爵家を捨てて駆け落ちするなど、とんでもない話だ。

 だがそれを実行してしまいそうな程の行動力があるのもまた事実で不安になった。


 だから私は最後の手段に出た。


 言い寄られて迷惑だ、私は実はお嬢様を嫌っていると突き放したのだ。

 これでお嬢様は随分と傷付いてしまうだろう。だが私の様な人間の為に人生を台無しにするよりはましだ。


 そして何事もやるなら徹底的にだ。


 私は公爵家を辞して、また戦場に戻って来た。無論、ダーモットは猛反対した。だが私は死ぬなら戦場で死にたい、ベッドの上で孤独な老人としてではなく、剣士として最後まで国に尽くして死んでいきたいと訴えた。


「あなたにそこまで言われてしまっては私はもう止める言葉が浮かんできません」そうダーモットはうなだれた。


 もちろんダーモットは娘の想いを知らない。それでいい。私がいなくなれば、私に対する執着も手放さざるをえなくなる。まだ幼いエミリア様だ、時が経てばこんな老いぼれの事は忘れるだろう。


 ダーモットにはもっと家に帰り、娘を可愛がれときつく言い渡した。私などより父親が傍に居て愛情を注いでやるほうが数倍いいに決まっている。


 さて・・戦場ではいつ何があるか分からない。だから手紙のひとつ位は残しておこうか。


 私は備品入れから便箋を取り出し、短い手紙を書き始めた。




「ギリゴール卿、物凄い数の魔物が押し寄せて来ていると連絡が入りました。前線は危険です。どうか後方支援に回って下さい」


 伝令の情報を伝えに司令官がわざわざ私の元にやって来た。


 大量発生の周期が早まったのかもしれぬ。この基地にソードマスターはもう一人いるが、魔物の大軍勢に一人では厳しい戦いを強いられるだろう。


「ここで引き下がってはソードマスターの名が廃る。私は最後まで皆の為に戦うぞ」

「・・では、お支度を手伝います!」


 司令官の後から入って来た戦士が、私に篭手を装着したりして戦の準備を手伝ってくれた。だが本心では無茶をすると思っているのだろう。その横顔には不安の影が差している。無理もない事だ。ソードマスターとはいえこの左足だからな。


 まだ若い・・20歳を過ぎたばかりだろうか。次の世代を担っていく若者よ、どうかこの老骨の戦いぶりを目に焼き付けておいて欲しい。




 魔物の軍勢は討伐隊の基地のすぐ傍まで進行して来ていた。

 魔物はアイスゴーレムの群れでこちらのソードマスターは水使いだ。アイスゴーレムは彼の攻撃のほとんどを凍らせてくるので相性が悪い。


 しかもアイスゴーレムの冷気で周囲の温度が下がり、他の戦士たちの動きも鈍い。仲間がどんどん氷漬けにされて行っている。


 大量発生への援軍の到着はまだしばらくかかるだろう。なんとか踏ん張るしかない。


 ゴーレムが飛ばしてくる氷塊を避けつつ雷撃を繰り出す。だが日が暮れかかり足元の水溜りが凍っていた事に私は気づかなかった。


 バランスを崩して片膝をついた所へ、ゴーレムの硬い拳の強烈な一撃が脳天を砕いた。私はそのままくずおれた。


 意識が遠ざかる。周囲の喧騒が聞こえなくなってきた‥。私は私の望み通り戦場で命を散らすことになったのだな。そうだ、これでいい。そう思いながら目を閉じると、誰かの笑顔が浮かんできた。幼いながらも時折見せる大人びた笑顔。それから・・ああ、拗ねてふくれっ面をした顔も可愛い。


 私の望み通り‥いや、私の本当の望みはあの子の幸せだ。どうか神がいるなら私の最後の望みを聞いて欲しい。


 どうかエミリア様に幸せが訪れますように。どうか・・どうか・・・・・。




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