第17話エレン、笑顔で送りだす
ウォーデンさんが突然お屋敷を辞めたのは、エミリア様が池に落ちてからまもなくしてだった。
でもそれより少し前からウォーデンさんの様子がおかしい事に私は薄々気が付いていた。なんとなくだが彼はエミリア様を避けているようなのだ。
朝、お寝坊なエミリア様を起こしに行くのはウォーデンさんの日課だったのに、ある日からそれを私に任せるようになった。それだけではない。お茶の支度も他のメイドに交代してもらったり、エミリア様のお部屋の掃除は、エミリア様がお勉強部屋に移動されて留守の間に済ませるようになっていた。
以前ならお嬢様を避けたがるメイドは山の様にいたから、ウォーデンさんも例外ではないと思えただろう。でも何人目かの家庭教師が変わった辺りで、エミリア様はとても様変わりされた。
使用人を悩ませていたイタズラもぱったり止み、イライラしたり癇癪を起したりすることも無くなった。それより何よりウォーデンさんはエミリア様から大変気に入られていたのだ。ウォーデンさん自身もエミリア様にとても尽くしておられたように見えたのに・・。
ウォーデンさんが辞めた事を聞いたエミリア様はとても気落ちされていた。
奥様は「放っておけばそのうち元気になるでしょう。随分ウォーデンさんに懐いていたから、初めのうちは寂しいかもしれないけれどねぇ。でも初めのうちだけよ」と、笑っていらした。
そうだろうか? でもお母様である奥様がそうおっしゃるのだから間違いないはず。私も精いっぱいお仕えして、早くエミリア様が元気になるようにお力添えをしよう。
でも奥様の楽観的な予想は現実にならなかった。いや、もっと悪化したのだ。
しばらくして、公爵家にウォーデンさんの訃報がもたらされた。屋敷の者は当然驚いたが、私は2重、3重にも驚かされることになる。
まず、足が不自由な彼がなぜ戦場で亡くなったかについて、ウォーデンさんを知る屋敷の人間は不思議に思った。そこで奥様が、ウォーデンさんは旦那様の戦友であり、以前の上司であり、しかもソードマスターだったとみんなに打ち明けられた。
ウォーデンさんはギリゴール卿だと聞かされた時のみんなの驚いた顔といったら! でも当然だわ、ギリゴール卿はこの国の英雄だもの。そんな方が執事見習いとして一緒に働いていたなんて夢にも思わなかった。誰かが頬の傷について納得してたっけ。
もうひとつは、ギリゴール卿が私の為に遺産を残してくれた事だ。以前にお嬢様にお話したのと同じ家庭の事情をウォーデンさんにも話したことがある。借金を返済して、更に別の家を借りるお金を工面するのは大変だけど、家族が大好きだから頑張れる。そう言った私をウォーデンさんはとても偉いと感心していたっけ。
きっとウォーデンさんは私の話を覚えていてくれたのだろう。彼が私に残してくれた遺産は、借金を楽に返済する事が出来て、更に新しい家を買うことが出来る程の金額だった。
家族はもちろん喜んだ、涙を流して大喜びした。でも私は手放しで喜ぶ事は出来ない。こんなに私に良くしてくれたウォーデンさんにもう2度と会えないのだから。
そして同じ様に、いえ私の何倍もの衝撃を受けたのはお嬢様だ。
ウォーデンさんの訃報を聞いた時、エミリア様はまさに茫然自失と言った様子でしばらく身動きひとつせずに、早朝のベッドの中でじっと1点を見つめていた。それからゆっくりとベッドから出て、寝間着姿のままで外へ行かれようとした。
「お嬢様。どこへ行かれるのですか? お着替えをされませんと」
私と一緒にウォーデンさんの事を知らせに来ていたディクソンさんがエミリア様の後を追いかけた。
「ええ、そうね」
エミリア様はそう言いつつ、ドアを開けてすたすたと部屋を出て行ってしまう。
「お嬢様、お待ちください。お嬢様」
ディクソンさんがしつこく声を掛けると、エミリア様が振り向いた。私はそのお顔を見てぎょっとした。全く表情のないその顔は、人形の様に生気がなかったのだ。
「馬屋に行くのよ。教えてあげなきゃ・・ブルーの所に行って教えてあげなきゃ・・ル、ルーカスが、ルーカスが・・」
エミリア様は突然ガタガタと震えだし、その場に倒れてしまった。
エミリア様の悲しみようは見ているこちらが辛くなるほどだった。起きていても心ここに非ずといった様子で、突然泣き出すと止まらず、嗚咽に苦しむ。お食事も喉を通らず、悪夢にうなされて睡眠もまともに取れていないようだった。
お勉強を続けられる状態ではなかったが、家庭教師のアンドーゼ先生はちょくちょくお屋敷に来てエミリア様の様子を気遣っていた。今日もとても綺麗なガーベラの花束をエミリア様に贈られていた。
花束を見たエミリア様は「きれいね、ありがとう」とお礼を言われたが、その声には感情が伴っていない。決まったセリフを自動で応答しているような感じだ。エミリア様は悲しみから逃れようと、感情を自分の中から締め出してしまわれたのかもしれない。
しばらくすると、お泣きにならなくなった代わりに感情の起伏もなくなってしまわれた。お食事をされてもおいしそうではないし、以前の様にガゼボで本を読みながら小鳥を観察する事も止めてしまったのだ。
さすがの奥様もエミリア様のご様子を心配されだした。私も、ディクソンさんも奥様に散々申し上げた、このままではエミリア様がどうにかなってしまうのではと。それで奥様はまず、同世代の友達を作らせようと考えたようだった。
お茶会を開き、エミリア様と近いお年のご令嬢やご令息を沢山招かれた。でもエミリア様は、ご自分からはお声を掛けられず、聞かれたことに最低限答えるだけ。まるでお葬式のようなお茶会が何度も開かれるだけで、明らかに友人作りは失敗に終わった。
奥様は次に環境を変えることを決められた。旦那様は全寮制の学校にエミリア様を送られる事に反対していらしたが、最後には奥様に説き伏せられておいでだった。
お嬢様はただ奥様に従った。明日はエミリア様がお屋敷をお発ちになる日だ。私ではエミリア様の笑顔を取り戻すことは出来なかった。せめて明日は一番いい笑顔でお嬢様を送り出そう。
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