第10話エミリア、検証する


 何かを検証するためには同じ状況を作らないといけないのよね。まずはあの時と同じ帽子を被って‥っと。


「あっ、ジョージ! ちょうどいい所へ来たわ。この帽子のリボンを結んで頂戴!」


 ジョージもルーカスと同じように屈んで、あたしのあごの下でリボンを結んだ。帽子のつばが広いから顔を斜めにして結び具合を確かめる。ここで顔が近付くのよね。・・あれ、平気みたい。心臓はドキドキしないわ。


「ちょっとそこのフットマン! 手に持ってるシーツを下ろして、あたしの帽子のリボンを結びなさい!」


 このフットマンはジョージやルーカスより大分若いわね。ルーカスみたいに背は高くないけど、あたしがチビだからやっぱり屈むのね。・・だけどなんともない。


「パロット先生! 帰る前にこの帽子のリボンを結んでくれませんか?」


 ・・・・うん、髭に目が行くわ。心臓もドキドキしない。


 どうなってるの! 何が違うの?! ジョージはルーカスと年齢は近いけど何も感じなかったわ。あのフットマンはちょっとイケてるってエレンが言ってたけど、あたしにはさっぱり分からない。パロット先生はお話にならない。


 あっ、年齢かしら。もっとあたしと年が近い子を探さないと!

 

 でも困った事に屋敷に同年代の子供はいない。仕方ないわ、屋敷の前を子供が通るのを待ってみよう。


 外に出て生垣の横を歩いていると庭師が花の手入れをしているのに出会った。ラッキー! なんとその庭師が子供を連れていたのだ!


「ちょっと~そこの庭師!」

「あっ、これはお嬢様。おはようございます」


「あんたの隣に居る子を貸してちょうだい!」

「えっ、この子をでございますか?」


「取って食うわけじゃないわ。帽子のリボンを結んで欲しいだけよ!」

「それでしたら、わたくしが・・」


「あんたじゃだめなのよ。その子にやらせて!」


 庭師の孫だというその子はあたしより2、3年上に見えた。泥まみれの手をズボンで拭いてリボンに取り掛かる。でもリボンを結んだ事がないのか、手際が悪く、おたおたしている。


 庭師の手伝いで良く日に焼けた小麦色の肌に、汗を垂らしながら四苦八苦している。・・ちょっと汗臭いわね。そしてそれだけ。全然ドキドキしない。


「もういいわ。仕事の邪魔をしたわね」


 おかしい、同年代の子でもなんともないわ。子供でも大人でも私の心臓は静かなままだ。考え込みながら屋敷に戻りかけると人影が見えた。


「お嬢様、帽子が飛んでしまいそうですよ」屋敷から顔を覗かせてそう言ったのはルーカスだった。


「あっ、ルーカス!」ドキン! うっ!


「リボンを結びましょう」ルーカスは頼んでもいないのにあたしの前に屈んでリボンを結び始めた。


「よし、これでいい。おや、頬に泥がついていますよ」


 ルーカスがあたしの顔に手をあてて、親指で頬の泥を擦った。カァァ~っ! またっ、また顔が熱い! 顔から火を吹き出してるみたいだわ! 


 あたしは思わずその場から逃げ出してしまった。


 これってやっぱりそうなの? あたしは・・お金持ちで由緒ある公爵家の一人娘で、みんなからお人形の様に可愛らしいと言われているあたしが・・あのおじいちゃんに恋してるって事なの?!


 夕食の最中もぼうっとしているとお母さまから注意を受けてしまったわ。なんて事かしら! でもでもでも・・絶対違う。まだ違うと証明する方法があるはずよ!



 

 翌日はルーカスがワインセラーの温度点検に行く時間を見計らって、入口がある通路の柱に隠れて見張っていた。


「遅いわね。この間はお髭の先生の授業の後に会ったんだから、そろそろのはずなのに」

 

 ところがあたしがよそ見をしている隙に誰かがワインセラーに続く扉の鍵を開けている。あの後ろ姿は・・。ドキン! うっ! ル、ルーカスだわ!

 

 あたしが隠れて見ている事なんて気づきもしないでルーカスはワインセラーに降りて行った。


 きょ、今日はあたしの負けね。また明日、挑戦してやるわ!



 さあルーカス、今日はあんたの仕事ぶりを見せてもらうわ。昨日は気づいたらあんたがワインセラーまで来ていて、不意を突かれたからドキドキしたのよ。今日は絶対そんな事にはならないわ!


 あたしはこっそりルーカスを探し回った。なんたって屋敷は広いのにあたしの足は短い。はぁはぁ、午前中は探し出せなかったわ。ま、お昼を食べてからまた続ければいいか。


 お昼の給仕はエレンと他に2人のメイドがやっていた。アンはジェナの代わりに入ったメイドの教育に忙しいらしい。昼食後、何気なくキッチンを覗くとエレン達に交じってルーカスが食器の片づけをやっていた。


 あら、ルーカスの姿を見てももう心臓が飛び跳ねたりしないわ。なあんだ、やっぱりあたしの勘違いだったのね。


 エレン達は随分とお話に花が咲いているみたいね。その時、背中を見せていたルーカスが顔をこちらを向けた。ルーカスの表情が見える。目を細めて楽しそうに笑っている。


 ドキン! うっ! あれっ! しかもまた顔が熱くなってきた! 今は遠くから見てるだけなのに!



 これは確定ね。完敗よ、ルーカス。あたしはあんたに恋してるみたいだわ。


 まだドキドキしている心臓を押さえ付けながらあたしは自室に戻った。どうしよう? どうしたらいい?

 



 初めての恋にあたしは戸惑っていたの。誰かに相談することも出来ないうちに1か月があっという間に過ぎて行った。


「お嬢様、最近元気が無い様に見えますが・・」


 エレンがあたしの着替えを手伝いながら心配そうに聞いてくる。そうよ、あんたの言う通りだわ。あたしは自分の気持ちをどうしたらいいか分からなくて困ってるのよ。


「うん。そうね、あたしもそう思うわ」

「まあ! どこか具合でも悪いのですか?」


「具合は悪くないわ。どうしたらいいか分かんないだけ」

「何か事情がおありなんですね・・」


「エレンは悩み事ってあるの?」

「私は・・そうですね・・お恥ずかしい話なんですけど・・」


 エレンは気まずそうにしながらも少しずつ話してくれた。


 エレンの家はエレンが11歳の時に母親が再婚した養父と、その間に出来た子供との4人暮らしだった。でもその養父がギャンブル狂で大きな借金を背負ってしまい、母親と弟と懸命に働いて借金を返済しているそうだ。


「長年の苦労で最近は母の体調が思わしくないんです。父は賭博場に出入り禁止なってギャンブルこそやってないんですけど、最近は暇さえあればお酒を飲んでいて・・」


 母親と弟が働いたお金は借金の返済と父親の酒代に消えて、エレンの仕送りでやっと生活出来ている状態らしい。


「離婚してしまえばいいんじゃないの?」

「今住んでいる家は父親の物なんです。とても新しい家を借りる余裕がなくて」


 エレンの悩みはあたしには想像もつかない物だった。


「でもあと2,3年で借金は返済できそうなんです。そうしたら少しずつでもお金を貯めて新しい家を探して家族3人でやり直そうって話してます」


「あんたって苦労してんのね」

「それでもこのお屋敷では良くして頂いてますから平気です。何でも好きなようにとは行きませんけど、ここでの仕事は楽しいですわ」


「なんでも好きなように・・か」


 あたしにはエレンみたいな悩みはない。それどころか何でも好きなようにやってきた。

 そうだわ! あたしは公爵令嬢のエミリア様よ! 何でも好きなように出来る身分じゃない。今までだってそうだった。欲しい物は何でも手に入れられる。だからこれからもそうすればいいのよ!


 決めたわ! あたしはあたしの好きなようにやる! あたしはルーカスが好きなんだからルーカスを手に入れればいいんだわ!


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