第9話エミリア、心臓病を疑う


「あたしに伝言? 誰から」

「ウォーデンさんからです。授業の後に厩舎までお出で下さいとの事でした。でも授業がなくなったようでしたのですぐお伝えしに参りました」


「えっ、ルーカスが?!」


ドキン! うっ! ど、どうしてルーカスの名前を聞いただけで心臓が飛び上がるの?!


 あたしは不安になってきた。子供が心臓の病気だと長く生きられないってお髭の先生が言ってたわ。どうしよう‥あたし死んじゃうのかな。


 トボトボと歩いていると厩舎が見えてきた。厩番の若い男があたしに気が付いて頭を下げた。


「お嬢様こちらです。ウォーデンさんがお待ちですよ」


 厩番の男はあたしを馬小屋の裏の調教場所に連れていった。そこには小さな馬の手綱を持ったルーカスがいた。


「あ、あんたあたしをこんな所に呼びつけて・・」


「乗馬クラブとはいきませんが、今日はこの子と遊んであげて下さい」


「これ、仔馬?」


「これはポニーと言う種類の馬です。この大きさでもう成体なんですよ。人に慣れてますから安心して下さい」


「もしかして‥あたしこれに乗っていいの?!」


「もちろんです。ではちょっと失礼して・・」


 ルーカスはあたしの帽子を取って乗馬用のヘルメットを被せた。


「まあスカートでも平気でしょう」そう言ってあたしをスッと持ち上げたルーカスはポニーの背にあたしを乗せた。


 手綱はルーカスが取ったままでゆっくりと調教場を歩いた。あたしはそっと馬の首を撫でながら聞いた。


「ルーカスはどうしてあたしが馬に乗りたいと思ったの?」


「奥様に話を伺ってきました。あの日は乗馬クラブで子供の乗馬教室があったと聞いて、お嬢様があの日にこだわったのは馬に乗りたかったからだと考えたんです」


「ふうん」悔しいけど合ってるわ・・。


「このポニーは旦那様が買ってくださいました。これからはいつでもこの子に乗れますよ」


「ほんと?!」


「ええ。私がお付き合い致しましょう」


「ありがとう、ルーカス!」


 次の機会には調教場の外に出てみましょう、という話になった所であたしはポニーから降りた。


 あたしの前に屈んだルーカスはヘルメットを外して帽子を被せ、あごの下で帽子のリボンを結び始めた。

 ち、近いわ! 顔が‥近いわルーカス! その途端、まるで火が付いたように自分の顔が熱くなるが分かった。


「い、いいわ。リボンはいいわ! じゃああたしはもう行くから」


 あたしは走って厩舎を後にした。

 

 屋敷に戻るとすぐアンを捕まえて言った。「アン、あたし熱があるみたい。顔が熱いのよ」


 アンはすぐあたしの額に手をあてた。「いえ、熱はございませんわ。走ってこられたからでしょう。さ、手を洗って。お茶とお菓子の時間です」


 熱はない? そんなはずないわ。急に顔が熱くなったんですもの。そんなはずないわ・・。




 シーナ先生が突然家庭教師を辞めてしまったので代わりが見つかるまで少し時間を要していた。その間あたしはアンに簡単なお作法を習ったり、ごくたまに時間が取れたお母様から算学を教わったりしていた。でも大抵は図書室で子供用の本を読んだり、図鑑を眺めたりすることが多かった。


 今日も図書館で本を読んでいると、エレンがあたしに飲み物を運んで来た。エレンはアンの補佐をしているらしく、最近は何かと忙しいアンの代わりにあたしの世話を焼くことも多かった。


「レモネードでございます」

「ちょうど喉が渇いてたのよ・・うっ、酸っぱいわ」あたしが顔をしかめるとエレンの肩がビクッと反応した。


「あ、あの・・今日は庭園で取ったばかりのレモンを使ったので・・その・・もしかしたらそのせいで・・」


 ああ~またあたしに叱られて何かされると思ってるのね。


「別に怒ってないわ。もう少しハチミツを足して」

「あ、はい!」


 ほっとしながらエレンはハチミツを加えて言った。「今度からは少し甘めにお作りしてみます」


 ふうん、エレンって真面目なのね。ジェナと話してるのを聞いた時もエレンはあたしの事、悪く言ってなかったし・・。ちょっとエレンに聞いてみようかな・・。


「ねえエレン、病気以外に心臓がどきどきしたり、人の顔を見て赤くなったりするのは何故だか分かる?」


 エレンは質問されて驚いていたけど、ふとあたしの手元の本を見て言った。「そうですね・・ご病気じゃないのにどきどきしたり顔が赤くなるのは・・緊張しているのでなければ、恋でしょうか?」


「えっ?!」

「そのご本の中の登場人物の事ですよね?」


「あっ、そう、そうよ! 緊張は‥多分してないわ」

「じゃあきっとその人は恋をしてるんですわ! だから好きな人の顔を見たり声を聞いたりするだけでドキドキするんです」


「エレンは恋をしたことがある?」

「わっ、私ですか?! そのぅ・・」


「ねえ、教えてよ」

「あります」


「やっぱりドキドキしたの?」

「はい、しました」


「顔も赤くなる?」

「はい・・彼が笑うと笑顔がまぶしくて・・」


 へぇーっ! エレンたら話しながら顔が赤くなってるわ。その人の事を思い浮かべるだけでこんな風になっちゃうのね。


 え、ちょっと待って。じゃああたしも恋をしてるって事なの? まさかルーカスに?!


 

 そんなはず、あるわけないわ! ルーカスはおじいちゃんよ。あたしがあんあおじいちゃんを好きになる訳ない。やっぱりあたしは心臓の病気なんだわ。お母様に頼んでお医者様を呼んでもらおう。





「お嬢様はとても健康であらせられます」


「うそ! あたしは心臓の病気のはずよ」


 お母様とお医者様はお互い困った顔をしてあたしを見ている。「エミリア、何が原因でそんな事を思ったの?」


「それは・・」


 恋してるなんて有り得ないから、心臓の病気だと思ったとは言えないわ。何も言い返せないまま黙りこくるとお母様はお医者様を帰らせた。


「乗馬クラブに連れて行かなかった事は謝ったでしょう? こんな風に大人の気を引こうとしてはダメよ」


 お母様は乗馬クラブの事でまだあたしがへそを曲げていると勘違いしている。 


 仕方ないわ、こうなったら自分で確かめるしかない! 


 

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