第14章 間接的対峙

9月中旬。とある週末

8:00。早めの出勤をした的場は居室に入って即、冷房の電源を入れる。

昨日は、満腹が故の睡眠をとるべく早めの帰宅をしたのにもかからわず、娘たちと深夜までゲームに付き合わされることになった。

有名な双六ゲームであるが、設定次第でとんでもなく長丁場になるのである。

一緒に遊ぶのが久々であったこともあり、興奮冷めやらぬまま眠りについた結果、5:30という中途半端な時間に起床してしまったのだ。


居室のメインデスクのPCを起動し、研究室共有カレンダーを開く。

古間が4日ほど休みを取っている。旅行とのことである。

11:00に約束がある。早めの出勤はむしろ好都合だったかもしれない。


11:00。北央大学農学部棟。担当科目の講義室などでない限り、立ち入ることはない。ご縁の無い巨大な建物。

北央大学は文系の学部棟よりも理系の学部棟の方が大きいため近くに来るとやはり圧巻である。しかし、文系の学部棟の方が建物の状態としては綺麗である。


【食品科学研究室(藤田研究室)】

藤田宏一。メールでのやりとりだけで言えば、穏やかな人格という感触であるが実際はどうであるのか。


コンコンコン


「はーい。どうぞ。」

「失礼します。」

「あなたが、的場先生?」

「はい。初めまして、理科教育学の的場と申します。」

「どうも、食品科学の藤田でございます。白神君についてですよね?」

「はい。彼の休学理由についてお聞きしたくて。」

「その前に、お宅の研究室に古間という学生がいますね?」

「・・・はい。それが何か?」

「実は、先日その古間君が私に連絡してきまして、あなたと同じ件でね。」

「白神君から古間君の話題が出ていたことと、メールアドレスが大学から配布されているものであったことから、本人だと分かりましたが・・・その・・・個人情報なんでね。」

「左様でございますか。うちの古間が申し訳ございませんでした。」

「いえいえ、別に責めているわけではないです。誰かのために動けることは素敵なことですから。」

的場は言いようのない妙な居心地の悪さを感じた。メールでの印象通り、物腰は柔らかいが、どこか掴みどころのない性格をしている。

また、古間も白神について嗅ぎまわっているのも意外であった。

とにかく聞くことを聞いて退散することにした。

「ここでの話は内密にしますので、どうか教えていただきたいのですが、白神さんの休学理由は?」

内密。そのワードを敢えて強調した。的場の直観であるが、情報が洩れることが藤田が最も危惧していることである。噂に寄れば、農学部は情報管理にかなり厳しいルールを設けているらしい。北央大学に限らないが大学では情報管理において厳しいルールが設けられている。しかし、農学部はそれに加え、学部独自のルールを設けているとのことである。

「貴方は教員ですので、まぁ良いでしょう。しかし、先に謝らせてください。実のところ、私にもよく分からないのです。」

何とも歯切れの悪い回答に的場は、薄々と感じていた可能性が確信に変わるのを感じた。それは、次に続く言葉を容易に想像できるくらいには鮮明であった。

「昏睡状態。ほら、最近ニュースでよく見る、流行りの眠りってやつですよ。」

的場の予感は的中した。同時に妙な納得感を感じた。それはまるで、自身の本能がそれ以上深く切り込むことを拒んでいるような、ある種の防衛本能のような、それでいて実に自然な感覚であった。「腑に落ちる」というのはまさにこのことであると的場は実感した。

「いつからですか?」

「4月下旬くらいかな。彼は、元々田嶋先生のとこの学生だったんだが、3月に異動が決まって、うちに来たんだ。彼は、田嶋先生を慕ってたからね。随分へこんでたんだけど、4月には本調子に戻ったようだった。でも・・・」

「でも?」

「倒れてたんだよ、学生居室で。それをうちの学生が見つけて、そのまま入院ってなったわけだ。取り敢えず、2週間ほど経過を見てみたんだが、目覚めなくてね。親御さんを読んで休学の手続きをしたんだよ。」

「何か、心当たりとかは?」

この質問はナンセンスである。的場は十分に理解していた。聞いたところで、答えられるわけがない。臨時教授会で医学部の教員がずっと黙っているほどには、その実態は明らかになっていないのだから。

「うーん。何とも言えませんね。」

想定内の解答である。それにしても、やけに他人事というか第三者視点がやや過剰な気がすることに対して的場は引っ掛かっていた。

「あまり、大きな声では言えませんが、白神君にとっては確かに居心地は良くなかったかもしれませんね。」

藤田が突然口を開く。

「というと?」

「田嶋先生の講義は農学部の中でも鬼門だったんですよ。必修科目を担当していた時なんて、単位が取れなくて留年や休学・退学が相次いだもんですから、途中からオムニバス形式になってんですよ。」

たしかに、田嶋の講義は難しくて有名だ。教育学部に異動後もいくつかの講義を担当しているが田嶋の担当する『科学論Ⅰ・Ⅱ』は毎年、学生を苦しめている。必修科目ではないものの、理科教員なら知っておきたい理科実験のいろはを理論ベースで学べるということで、やる気のある学生は率先して履修する。そして痛い目を見るところまでがセットだ。ついでに言うと、古間は史上最低点を叩き出しその単位を落としている。田嶋曰く、その記録は今もなお破られていない。

「まぁ、私は田嶋先生とは犬猿の仲だったのもありますし。彼、性格も田嶋先生と似てましたから。」

「なぜ、白神君は藤田先生の研究室に入ったのでしょう?」

「おそらく消去法でしょう。決定打は何か知りませんが、田嶋先生の所以外で有機化学ができる研究室は、私ともう一人しかいませんでしたから。」


藤田の居室を後にし、的場は次の段階として例の昏睡状態について情報を集めるべきであると考えた。

メッセージアプリを開き、大学時代の友人で現在、病理医として大学近くの中堅病院に勤める百田 友樹(ももた ともき)に連絡を取った。

本件のようなケースは、現場人に直接聞くのが最も有効であることを的場はよく知っているのである。

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